くぐった先に、たくさんの、服、服、服。
ミニチュアな人形サイズもあれば、天井から床にまで及ぶような、とんでもなく大きな、服もあった。(誰が着るのかな?)
これなら私が着れるような服もありそう。
部屋を見回すと、作業机にはハシゴがかけてあった。
「アリス、こっちですよぅ!」
朗らかに言って、服の山をするする駆け抜けてハシゴに手をかけた。
またするするとハシゴをのぼっていくものだから、私も慌てて後に続いたが、上からなにやら怒声が聞こえて思わずびっくりしてしまった。
落ちそうになって冷や汗をかいてしまってから、ゆっくりとハシゴをのぼっていくと、なにやらハリネズミさんの向こう側に、…人?
「おめぇがいねぇと針が足りねぇだろうが!!」
威勢良く口にしたその人は、…小さかった。
普通なら小さいはずのまち針をポケットにさして、まるで剣のようにしつつ、型紙のようなものの前に仁王立ちしている。
思わずぽかんとしてしまった私をよそに、軽い調子ですみません親方ぁ!といいつつ体を震わせて、しゃきんと針をたたせるハリネズミさんから、何本か針を抜いて型紙と布を合わせ、さしていく。(あ、なるほど、天職みたい。)
親方とよばれたその人、絆創膏で全身覆われていて、顔までよくわからない。
うう、また変な人だ。絆創膏男?
よいしょ、と、ハシゴから完全に体を出したところで親方さんと、目が合った。
「…誰でい、嬢ちゃん。」
「あぁあそうだ!!あ、すいません親方ぁ!!」
「いっ、てぇぇえあぁお前はいつもいつも…!!」
「すいません、すいません親方!でっでもでも、それどころじゃないんですよぅ、お客さまなんです!!」
「!」
ぴょんと跳ね上がったハリネズミさんの針が、ぶすりと親方さんの手に刺さった。
ふぅふぅと手に息を吹きかけながら怒る親方さんだったけれど、ハリネズミさんの一言に、ぴたりと怒声をしずめて、にかっと笑った。
「…いらっしゃいお嬢ちゃん!何にいたしやしょ!」
「あ、わた、私、服を…」
「服ね!どんなのがいいかい、オーダーメイドで最高の服をお作りしますよ!」
「あぁっ違うんですよぅ、服ならもうあるんですぅ!」
「なにいってやがる、このお嬢ちゃんには」
「アリスなんですよぅっ!!」
一瞬、時がとまったかのような錯覚を覚えた。
親方さんは、ショックをうけたような表情で固まっている。
「あ、あの、」
「あ…、アリス…っ」
「え?」
「アリス、」
「いや違、」
「お帰り俺たちのアリスぅ―っ!!」
「ひぇあっ!」
あ。
わなわなと肩をふるわせながら、そして今度はものすごい勢いで、アリスとよびながら、親方さんは突進してきた。
そして、私は、見事にそれを、
「親方ぁぁぁあっ!!!」
よけた。
「あぁっご、ごめんなさいつい…っ」
「いっ、いいってことよ…っ」
「(いい人!)」
私がよけたせいで机から床へとダイブしたにもかかわらず、ふらふらしつつ目元で笑いながらハシゴをよじのぼってくる姿に、涙がでそうになる。
「っそれより、お帰り、アリス!いやぁアリスにあえるなんてなぁ!」
「えっ?あぁ、いや、」
「親方ぁ、アリスに服を出してあげてくださいよぅっ!」
「おぉっそうだな、そうだそうだ。アリスはちょっと待っててくんな!ハリー、手伝え!」
「はぁい!」
「あっあの…、」
アリスを否定する間もなく、にこにこと笑いながら机から降りていく親方さんとハリネズミさんを見送った。
隣の倉庫にあるからよっ!
とかなんとか聞こえて行く末を見守ると、ドアつながりになっている隣の部屋、被服準備室へと入っていくのが見えた。
(…ふぅ。)
なんだかよくわからないけれど、服がもらえるなら嬉しい。このひらひらスカーフ一枚じゃ、走るのだってままならない。
(よく考えればこのスカーフ一枚でよくここまで頑張ったわ、私。)
人間、やる気になれば順応できるものなのだと思った。
こんなちっちゃくなっちゃうのも、スカーフ一枚なのも。
アリスって呼ばれることは全然慣れないけれど、ちょっとずつ否定しにくくなってきているのは事実だ。
だって、みんなやたらと優しい声で私をアリスって呼ぶから。
ふと、灰色の猫さんの声を思い出した。
(あの人の呼び方は、なんとなく、ちょっと違う気がする。)
あったかい呼び方だった。
くすぐったくなってしまうような、
(アリス、)
「…はっ。…ぅううぁぁ、違う!私アリスじゃないから…っ!」
危ない。今ちょっと本気で自分がアリスだっていう錯覚に陥った。
違う違う、私外村葵だもん。
ぜんぜんアリスじゃないもん。
「にしても、…遅いなぁ。」
なかなか帰ってこない親方さんとハリネズミさん。
ここで待ってろって言われたけれど、さすがにこう遅いんじゃあ、気になってしまう。
ちょっとため息をついてから、ぱっと立ち上がって、慎重にハシゴをおりていく。
私自身が小さいためか、床につくと、見上げるものすべてが巨大に見えてしまう。
なかなかこんなのはできない体験だ。ここぞとばかりに楽しんでおくのもいいかもしれない。
(うわぁ私、ポジティブすぎるよ…。)
そろりと被服準備室の扉の近くにいくと、そこからでもはっきりと、背中を丸めて頭を合わせ、なにやらこそこそと相談をするような姿の親方さんとハリネズミさんが見えた。
会話の節々に「女王」やら「噂」やら聞こえてくる。
「あのぅ。」
「っうわぁあ!!」
「わっ!」
声をかけると、親方さんが叫びながらびくりと飛び上がった。
思わずこっちも驚いてしまうような驚き方だったから、ちょっと心臓がどきどきいってる。
「どっどどどうしたアリス!」
「や、あの…そっちこそ、どうかした?」
「いやぁなんも!?なんもねぇぜ!?」
「ほんと?なにかお手伝いできることとか、」
「いやいやいやアリス!アリスは外で待っててくんな!すぐに用意するから、な!!」
激しく動揺した様子の親方に肩をつかまれ、被服準備室から被服室に戻された。
中からハリネズミさんの情けない声が聞こえて、親方さんは不審な挙動のまま戻っていった。
(なんだろう、ほんと。)
しばらく待つと、2人は大きな白い箱を頭の上に乗せて運び出してきた。
お待たせしましたぁという朗らかな声に白い箱を見ると、それは、
「…絶対大きいわ。」
今の私のサイズから見て、敷き布団2枚分はある。
ハリネズミさん…ハリーが親方さんに言われてうやうやしく白い箱をあけると、そこには、赤い服が入っていた。
赤といってもレッドではない。いうなれば深緋赤のエプロンドレスだ。
用途は不明だが白い布も入っていて、黒い靴も入っていた。
それは総評して、とてもかわいらしい。
ただ、大きい。
親方さんの隣に立ってまじまじとドレスを見下ろした。
大きさからいうと、元の私サイズからみた子供服みたいだ。
まるで、本当に、小さな子供のために作られたドレスのサイズ。
正直、いくら小さいといってもちゃんと7等身はあるハズの私にしてみれば、明らかに寸足らずだし、それ以前に全体的にでっかいし。
「私、たぶん着れないわ。大きいんだもの。」
「…、」
「…親方さん?」
「ぬぁっ!あ、いやぁ、大きくない、大きくない!大丈夫だ!」
ひくひくと鼻を動かしながら、またもや挙動不審に私を凝視する親方さん。
(ハリーも似たようなことしてたわね。)
「アリスぅ!こちらが試着室ですよぅ!どうぞっ!」
「あっ、…うん、ありがとう。」
ちらりと親方さんを見やってから、ハリーがさっきからずるずると運んでいた箱に近寄った。
被服室の一角につくられていた試着室。
やっぱりドレスは絶対に大きいけれど、ためしに一回くらいは着てみて、それでやっぱり無理だってことをわかってもらうしかなさそうだから。
白い箱と一緒に試着室に入れば、ヒトサイズの試着室のカーテンをえっちらおっちらハリーが引いてくれた。
にこっと笑いかけてから、最後までしめおわるとハリーはとてとてと行ってしまう。
(んん。それにしてもやっぱり絶対大きい。)
ずるっと箱からドレスを引き出して、もう一度まじまじと見てみる。
クリムゾンレッドのワンピース。
3、4歳の子が着るくらいの大きさに、違和感を覚えた。
(あれ、なんか着たこと…あったような、なかったような、)
はじめてこんな不思議体験をしたってのに、そこに置いてあった服を着たことがあるかないかなんてのは愚問だったような気がしたけれど、それでもなんとなく、違和感は消えない。
(昔似たようなの着たことあったんだっけ?)
ダメもとで着てみるかと、ワンピースをばさりと出し切ってから私は信じられないものをみた。
(下着!?)
ワンピースの下にちょこんと存在する、下着。
しかもなぜか、けっこう素敵なデザインの、下着。
3、4歳の子が付けるはずもないブラジャーまでついた、ワンセット。しかもまたちょっと大きい。
明らかにこの組み合わせはミステイク。まるで最初から私が素っ裸になることを想定していたみたいだ。ちょっとこわいぞっ。
(もしくは親方さんやらハリーが気を使ってくれたのか。それならそっちのほうが全然イイなぁ。気持ち的に。)
「…一回着てみようかな。」
まずはワンピースから、ほんとに試着の試着だ。
かぶってから首をすぽんっと抜く。
ぱさり。
音を立てて、ワンピースは地面についた。
(やっぱりねぇ。)
ダメもとで腕も通してみる。
しゅっ
「ひっ!?」
…。落ち着いて考えてみよう。
ばくばくと、めちゃくちゃに鳴り響く胸元をおさえて、はぁぁぁと深くため息をついた。
まぁまてまて、まてまて。
考えても、きっとこの不思議に対する答えなんか私の頭の中にはない。
世の中、びっくりすることだっていっぱいあって、とびきり不思議なことだっていっぱいあったんだ。
私が知らなかっただけ。ね。そうだよね。
「…一本ぐらい…」
「!」
また聞こえた。
多いなぁひそひそ話。こういうのって聞こえちゃうもんだよね。
仕事の話でもしてるのかなぁ。
気になっちゃったとき、つい聞き耳をたててしまうのが人間のサガだと思う。
「猫」とか「におい」とか聞こえた気がして、なんとなく背中がさわさわした。
(…?)
「アリスぅ!」
「はぃい!!」
「どうですかぁ?」
「あ、…や、ちょっと待って!」
盗み聞きしていた後ろめたさに、とっさに返す声が裏返る。
中途半端に着ていた服をばっさばっさと脱ぎ散らかして、わなわなと、下着に手をのばした。
(…まさか…これ、も…っ)
どきどきしながらつけてみると、案の定、しゅるっとフィット。
「…ちょっと、…便利だわ…。」
逆にこれはとんでもなくありがたい。
この先大きい私に戻れたとして、いや戻れなかったらすっごく困るけれど、そのときにもばっちり対応してくれる優れもの、と、いうことだ。
ありがたく全てのアイテムを身につけて、靴に足を通して、こつりと一歩踏み出してみる。
鏡にうつった姿は、緋色のエプロンドレスを身につけた、私。
(…ちょっと、服がかわいすぎて、恥ずかしいかも。)
申し分ないくらいにかわいすぎるそれに文句をつけられるわけもなく、ありがたい、ありがたい。とか念じてため息をついた。
「アリスぅ、大丈夫ですかぁ?」
「あ、う、」
うん、口をんの形に閉じかけたところで、素早くカーテンがひかれた。
しゃっと音を立てて、その先には目をきらきらさせるハリー。
「お似合いですぅ!」
「あぁ―、やっぱアリスはこうじゃねぇとなぁ。」
「…変じゃないかな。」
「ちっとも!そのカッコじゃねぇと逆に落ち着かねーしな!」
「?」
ハリーが近寄ってきて、きゅっと結びなおしてくれたリボンタイ。
そっと触りながら問うと、妙にうっとりした声で親方さんは絶賛してくれた。
まるで、前にも一度、見たことがあったみたいな口ぶりで。
(…変なの。)
でも、お世話でもそう誉めてもらえると嬉しいものだ。
ちょっと照れてうつむくと、すてきなエプロンドレス。
生地も仕立てもしっかりした、イイお洋服だ。普通に買ったとしたら、きっと結構なお値段になりそう。
…普通のお洋服が縮んだりしないあたり、そこらへんはあいまいだけど。
さっきハリーはいらないと言っていたけれど、やっぱりそういうわけにもいかない。
「…ねぇ、あのね…お代、とかは…」
「あぁ―、…それなんだがな、」
妙に口ごもる絆創膏親方。
目しかみえない顔をうつむかせて、頭に手をやる。
(言いづらいくらいの、値段ってことかなぁ。)
「いやぁっいいんですよぉお代なんてぇ!」
「えっ」
「お代はね、いいんですけどぉ。そのかわり、一本もらえたらなって。」
小さな手をすりすりして、ちょっと笑いながらハリーは私に近づいた。
押し退けられた親方さんがみえないくらいにまで近づいたところで、鼻がひくひくと動いているのに気が付く。
(…?)
「一本って…私、なにも持ってないわよ?スカーフしか手持ちがなかったくらいだし…」
「やだなぁ、もってるじゃないですかぁ!」
きらりと、ハリーの目元が光った気がした。
バタバタと手を動かしてはしゃぐ姿を見つつ、なんとなくぞわりとする。
「も、持ってるものなら、いいけど、一本って何?何かもってたかしら…」
「腕。」
「……は…?」
「腕が一本、ほしいんですぅ。」
「…!?」
腕?腕って言ったかしら。いまにこにこ笑いながら私の右腕をつかむハリーは、さっき腕って言ったかしら。
(…腕…!?)
「2本もあるんだしぃ、1本くらいいいですよぇ、ね?」
「やっ、ちょっと、腕なんかどうするの…!」
「やだなぁ、食べるに決まってるじゃないですかぁ!」
「た、食べ…!?」
がしりと、力強く私の右腕をつかみ直すハリー。
その後ろに、らんらんと目を輝かせながらよだれをたらす、親方さんの姿が見えた。
「…!おっおいしくないもん私の腕なんか!!」
「おいしいですよぅアリス!」
「アリスの肉はなぁ、甘くてとろける…この世にひとつの極上の肉なんだ…」
たらたらよだれをたらす親方さんに、本気を感じた。
「それにアリスはすっごくイイ匂いがするんですよぅ!」
「や、…やだ!!」
すんすん鼻を動かして匂いをかいでいるらしいハリーの手を振り払い、逃げようと足を動かすが、きらりと目を光らせる親方さんに引き倒された。
あごを打ち付けて、涙が出る。
でも今は絶対、泣いてられるような状況じゃない。
肩口に鋏があてがわれたところで、私は大声を出した。
「やだ―!!誰か、助けて―!!」
「ぎゃっ!!」
(…?)
痛みが、ない。
小さな叫び声が聞こえて、私はそろりと目を開いた。
そこには、なぜだか頭にマチ針をさした、親方さん。
マチ針の飾りがお花なだけに、黄色いお花が咲いちゃったように見えた。
「何してるんだ。」
言うなり、今度はピンクのお花が頭に咲いた。
きゃっという短い悲鳴とともに、親方さんはあいまいに笑う。
「おっおおっ、ね、猫じゃねぇか!」
猫じゃねぇか。
言われるままに見上げると、かがみこんで私たちを見下ろす、チェシャ、猫。
「あんまりアリスを苛めてるとねぇ。」
「わぁあすまねぇ!すまなかった!ほらいくぞハリー!」
「や―ん、嫌ですよぅ親方ぁ!」
僕はアリス食べたいですよぅ、とか、はたから聞いたらぞっとするような言葉を発するハリーをずるずると引きずって、親方さんは机のほうへ走っていった。
腕、ある。
「…アリス。」
相変わらず優しく声をかけてくる猫。
呆然とその姿をみて、私は涙をこぼした。
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