02

右も左も分からないまま××の海に浸かる。
すぐ側を何色ものラインが走り抜けて、それに触ると頭がパンクするんじゃないかってぐらい何かが流れ込んでくる。溺れて息すら出来ないワタシを叩き起すのは首の裏から注入される液体だ。それを入れられるとキャパオーバーした脳が空っぽにリセットされる。何も考えられない。
ガンガン響く外の音が酷く耳障りで吐きそうだ。

「おい、No.4869」
「………」
「もう一度だ」

何時もの音が耳に入る。
そして次に訪れるのは、決まって痛みだ。


−−−


「蒼井さん」

膜を張った向こうで声が響く。
ぼんやりと反響する音に辺りを見回した。周りの席についた人間がコチラを見て、怪訝そうに顔を顰める。

「蒼井さん、大丈夫ですか?」
「………あ、あぁ。ワタシか」

2度目に声を掛けられてようやく思い出す。
ワタシの名前は番号なんかでは無いことを。かと言って、馴染みのあるこの個体の名前かと言われると曖昧ではあるが。

「寝不足ですか?」
「………先生の触手が面白くて」
「好奇心旺盛なのは結構ですが、寝不足で居眠りは関心出来ませんねぇ」
「そう、ですね」

こういう時になんて言えばいいのかが分からない。
他の人間達が人間としての何かを教わっている間のワタシは、ずっと繋がれていたから。言葉を覚えたのだって××の海に潜る時に、××達に教えられた。唯一、ワタシと世界を繋ぐソコだけがワタシの何かを作り出したに違いない。

「今日はちゃんと寝ましょう」
「………分かりました」

黄色い頭に緑の二重丸を浮かべて教壇に戻っていく担任を見送る。
人外に人間の世界の理などを人外が教える。
なんだかとても不思議な気分だ。


−−−


頬を××パルスが走る。
パリッと発せられた音が内側で響いた。
今日はきっと雨が降る。

「痛っ」
「どうかした、茅野?」
「静電気がバチッて!」

すぐ後ろで交わされた言葉に振り向く。
真後ろには茅野という女子生徒と潮田という男子生徒の2人。茅野の方が片手を不思議そうに見ていた。

「蒼井さん、痛くなかった?」
「べつに」

どうやら、茅野のよると私の肩を触れようとして静電気に襲われたらしい。
きっとさっき頬に走ったアレが原因だ。ワタシの皮膚を走り回るアレは人には悪影響だということは、本校者に居る時に学んだ。ワタシには何でもない小さな小さな雷は、人間には痛いのだという。

「何か用?」
「えっ!?」
「用があったから触ろうとした。違う?」
「違くない」

すぐ側でつらつらと駅前の甘味処が美味いのだと並べる茅野に頷く数名の女子生徒。
名前はあまり知らない。甘味処のことを説明される意味が分からずに視線を巡らす。茅野の横で苦く笑う潮田と目が合った。

「茅野達は蒼井さんを寄り道に誘っているんだよ」
「より、みち」
「女子で駅前のパフェ食べに行かない?」

他に比べて体積の大きい女子生徒が肩に手を置く。
茅野の呼び方からして原というらしい。ふっくらとした手のひらが肩に乗っているのを見てから、手の主を見上げる。柔らかく笑った顔だ。

「何故?」
「何でって………仲良くなりたいからだよ」
「必要ない」

原の手を振り払って立ち上がる。
一瞬でも“寄り道”に興味を抱いたのは良くなかった。脳の片隅に残る“興味(エラー)”をキルする為に息を吐く。
本校者に居た時もそうだが、どうにもこの空気には慣れない。平和な世界で生きてきた人間と、ワタシとが分かり合えるはずはない。共有出来るものなんてない。それでも、少しだけ味わってみたいと思うのは怠惰だ。ワタシの居場所を忘れてはいけない。

人間に“人外(ワタシ)”の事などわかるはずもないのだから。



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