虚無の私は、あなただけを(切)
お題サイトDOGOD69様より
相模のうつけ様は部下思い
相模の獅子は女房思い
「氏康様、今日は蘭をお持ちしましたよ」
我が主、氏康様が亡くなられてもう数年が経過した。
氏康様のご子息たちは、氏康様のご心配とは裏原に北条家を守り続けている。
そんなご子息達の活躍を、奥方様は頼もしく、ほほえましく見守っていらっしゃるはずである。
「氏照がね、先日の戦で大活躍したそうですよ」
生前、氏康様は奥方様をたいそう愛していらっしゃいました。
相模の獅子といわれるほど恐れられた主ですが、奥方様に向けられた愛情はとても優しくおだやかなものでした。
その愛情を向けられていた奥方様もとても優しいお方で、白百合のように美しいお方です。
氏康様が奥方様に送った数々の着物はどれも奥方様の美しさを際立たせるものばかりでした。
色鮮やかなお召し物だって、彼女が着れば、とても上品で美しかったのです。
そんな美しい着物を着た奥方様は、笑うと花が咲いたように美しい・・・そんなお方。
「氏康様、」
ですが、あの日から奥方様は色鮮やかな着物をお召しになららくなりました。
それどころか、あの花のような笑みも浮かべることがなくなってしまいました。
「・・・っ、う」
毎日、毎日奥方様は氏康様のお墓に向かいました。
城の中ではどんな罵りを受けようとも、どんな視線を向けられようとも、毅然な態度でいらっしゃった奥方様。
奥方様はわかっていらっしゃるのでしょう。
自分がどのような立場で、どのように見られているのかを。
「私、間違っていました、か」
それでも、氏康様とのお約束を守るために。
ご子息達の活躍を氏康様にかわって見守り続けるために。
奥方様は・・・小田原で生き続けるのでしょう。
「・・・氏康様、お慕いしております。私は、氏康様だけを、ずっと、ずっと」
たった一人で耐え続け、氏康様の御前でだけひっそりと涙をこぼすのだろう。
なんて強く、弱い人。
「ごめんなさい、来る度来る度泣いてしまって。貴方に言わせてみれば小せえんだよってことなんでしょうけれど」
すると、ふわりと暖かい春風が駆けぬけた。
奥方様の瞳にたまった涙も吹き去ってくれる暖かい春風。
風に揺れる髪の間から見えた横顔は、あのときのような優しい笑みを浮かべていた。
「氏康様、私はまだまだ生きますよ」
だから、もう少し待ってくださいね。
そう告げて墓から去る奥方様の背から、ど阿呆と聞こえた気がした。
end
(ど阿呆が、俺ぁ、生きろと言ったが)
(泣くなとは言ってねえだろう)
[ 42/71 ]
[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]