生誕〜The Wing of the Time〜


一、襲撃

 その一族は左程大規模ではない部族だった。
 部族を維持していくのに事足りる人数しかいなかった。
 そして、その部族には特殊な力が宿っていた。
 その力とは、治癒の力である。
 ありとあらゆる傷、毒素を治癒する力がその部族には宿っていた。なぜ、その部族にそんな力が宿ったのかは未だに解明されていない。一説によると、神々の血を引いているのだという事だが、真実は定かではない。
 何れにせよ、ヒーラーという職業は彼等の為にあるようなものである。
 その部族の存在が、周辺の町の人々には大変重宝していた。
 傷を癒してくれる。
 病を治してくれる。
 毒を治癒してくれる。
 故に、周囲の町の人間からは畏怖の念の入り交じった敬愛を受けていた。
 ある日、その小数部族に凶報が舞い込んだ。
 女だてらに部族の長を務めていた、聖女カルツォーネの死去である。
 彼女がこの世から去ると同時に、生誕した女児が一人いた。
 後にキスティス・カルツと命名される女児である。家族、並びに周囲の人々は驚喜し、この子こそ、聖女の生まれ代わりではないかと口々に噂し合った。
 キスティスとは、その部族の言葉で「聖なる吾子」という意味である。
 キムサンとキムジンの間に生まれた愛くるしい赤子は、女の子だった。珠のように白く艶やかで、聖女カルツォーネの面影を写し取ったような子であった。
 産れたばかりで、未だ力の片鱗を見せてはいないものの、その力量をそこはかとなく推し測る事は出来る。とてつもない力量を持った子供である事は、明白であった。
 元々英雄キムジンとキムサンとの間に出来た子である、という事から周囲の期待は大きなものであったが、予想を上回る力量の大きさに皆驚きを隠せないでいた。
――聖女の生まれ変わりなのではないか……?
 そう、実しやかに囁かれ出すのに時間はかからなかった。
 母親であるキムサンは、キスティスを産み落とす前日に聖女カルツォーネの生霊に出会っていた。俗に言うドッペルゲンガーと言うやつで、キムサンが臥せっている天幕におもむろに入るなり、こうのたまった。
『明日生誕するであろう貴方の子は、悲劇的な運命を背負っている子。……可哀想に……。何時かこの村を追われる事になるであろう……。その子が悲劇に打ち負けないように、私が盾となり、守ってあげよう……。影となり、光となって……』
 キムサンに言葉はなかった。キムサンの咽喉から漏れでたのは、声にならない声だけであった。
 後に残ったのは、内なる疑問。事情が解らぬ為の、動揺であった。キムサンに、未来を見通す力が無かったからである。
 この事をキムサンは、キムジンには話さなかった。
 考えに考えた結果、結局自身の胸に秘めたのである。
 今まで夫に対して秘め事をする事が無かった為、良心の呵責に苛まされたが、いらぬ心配もさせたくなかった。
 かくして、聖女カルツォーネの生霊が来訪した翌日、運命の子が誕生した。
 カルツォーネの死去と同時に誕生したその子は、キスティス・カルツと名付けられた。
 珠の様に白く透き通った肌と、光の加減で青灰色にも見える銀色の髪を持った、見目麗しい女の子だった。
 カルツォーネの守護が関係しているのかどうか定かではないが、キスティスは部族の歴代を見渡しても未だかつて無い程の力量の持ち主としてこの世に産れて来た。
 此れから始まる悲劇を暗示しているかのごとく、彼女の青灰色の瞳は暗く、そして重かった……。
 キスティス・カルツと名付けられた少女は、美しく育っていった。
 美しく、そしてとても勝ち気な少女だった。
 特に意識する事も無く治癒の力を高める事が出来、「あたしに不可能は無いわ!」が口癖で本当にその通りになったりする天才肌の少女だった。
 少女は誰よりも強い力の持ち主で、誰からも頼られる性分だった。
 幼き頃からずっと、その力を披露する事を周囲の人々から求められてきた。だが、母親はそれを善しとしなかった。むしろ力を抑える様にと、諭すばかりだった。
「むやみやたらと癒しの力を使ってはいけません。その力は、己の為に在るのではなく、他人の為に在るもの。使うべき時に使えば、それで良いのです」
 聖女カルツォーネの予言が気掛かりなキムサンは、口癖のようにその言葉を自分の娘に言い聞かせた。
 癒しの力は、使い方によって破壊の力をも生み出す。それゆえ、『癒しの力を逆さまに使ってはいけない』というのがこの村の古くからの教えであった。
 キムサンはそれを恐れていたのかもしれない。
 癒しの力のより強い者が逆さまに使うと、より大きな破壊の力を生み出す。その力は未知数である。だからこそ、言い聞かせなければならなかった。
 悲劇を未然に防ぐ為に……。
 悲劇はいつも、突然訪れる。
 何の前触れも無く、物騒な男達が集落にやってきた。
 何かを探している素振りを見せている男達を、 村の者は皆一様に客としてやって来た者だとばかり思い、見守るばかりだった。
 実際この村にとって、外から来る客人は珍しくはなかった。依頼を受け村人が出張に行く事もあれば、外の世界から直接この村に依頼を持ち運んでくる客人もいる。この惑星アリータに生活圏を持っている者達にとって、この村の住人達は医者のようなものだった。
 今まで、依頼され、治癒する事によって生活の糧を得てきたこの村にとって、外部の人間が村に来る事は依頼人が来る事と同義だった。だから今度の客人も、依頼人として受け止めていたのだ。
 だが、彼等は依頼人ではなかった。
 あくまでも探し物をしていたに過ぎなかった。
 そして……見つけた。
 その時、彼等がこの村にやって来た本当の理由が、誰の目から見ても明らかになった。
 彼等が探していたのは、“キスティス・カルツ”だった。
 彼等の正体は、何処かの国の隠密だった。恐らく、何処かの国の国王か、大臣の差し金だろう。
 その隠密の魔手がキスティスに伸びようとした刹那、キムサンが立ちはだかった。
 キムサンは隠密の手首に手を伸ばし、触れ合った瞬間に力を使った。
 逆さまに。
 その隠密は低く、小さく呻くとその場にしゃがみこんでしまった。見ると、手首がはちきれんばかりに腫れ上がっていた。それは正しく肉塊と呼ぶに相応しい。
 彼の表情が醜く歪んでいる。そして、何か言葉を発しようと口を開きかけた途端、一際大きな激痛が彼の隠密を襲った。
 小さな破裂音が辺りに響くと同時に、手首が弾け飛んだ。
 まともにキムサンの攻撃を受けた隠密は、右腕から血を滴らせながら後方に下がる。後から来た仲間に注意を促しながら。
「気を付けろ! 得体の知れない力を使うぞ」
 キムサンは、自分の娘に小さく教示する。
「先程の出来事、これから起る事、しっかり見ておきなさい。力を逆さまに使うという事がどういう事か、その眼に刻んでおきなさい」
 力を逆さまに使う――この部族特有の治癒の力を逆さまに使う、と言うことは禁忌とされていた。
 治癒能力は元々、己の内にある神聖なる気の力を患部に当てることにより、人間が本来持っている新陳代謝を促進させ、傷口を塞ぐものである。それを逆さまに使うと言うことは、体組織を内側から破壊すると言うことだ。この技を受けた者は、生物である以上は死は免れない。
 キスティスは無言で小さく一つうなずくしかなかった。
 いつも見ている母の背中が、なぜか大きく見えた。
 キムサンは声を張り上げて、方々に訴えかけた。
「お願い! 誰か手を貸して!! 私一人じゃ、この子を護り切れない」
 キムサンの必死の呼び掛けに応じるように、今まで様子を見守っていた村人達がキスティスの前に集い壁を作った。
「私たちのキスティスちゃんに指一本だって、触れさせてなるものか」
 誰かが叫んだ。
「ありがとう、皆……」
 キムサンは瞳が潤むのを覚えた。
 多勢に無勢だったのが、キムサンが方々に声を掛けた時を境に形勢が逆転した。
 人々が群れ集ったおかげで、キムサンの側が数の上で圧倒的に有利になった。
 隠密達は押される一方だった。
 あちこちで破裂音が響き、隠密達は怯み、逃走する者達が続出した。
 彼等にとって、得体の知れない力だった。
 見えない何かによって身体が引き千切られていく。それは、かつて味わった事の無い恐怖だった。
 幾千、幾万の戦場を潜り抜けてきた兵ですらも戦慄を覚える力だった。
 彼等は暗部として暗躍して来た殺し屋だが、生身の人間である事には違いが無い。その場から逃げ出したとして、誰が責められるだろう。
 逃げ出した者達の逃げ場を塞ぐのは、地の利を得たキムサン達にとって容易な事だった。
 この集落は、キムサン達が生まれ育った集落だ。子供の頃から駆け回っていて、何が何処にどういう風に置いて有るのか知り尽くしていた。だから、道端に転がっている石ころでさえも、有効に利用する事が出来た。
 キムサン達は逃げ惑う隠密達の一歩前に先回りし、ブービートラップを仕掛けた。
 狩りをする時に用いる手法と、同じである。
 キムサン達大人の者は皆、生きて行く為に狩りをし、自給自足をしていた。生きて行く為に手に入れた手法が、意外な所で役に立った。
 地の利を得ていない上に混乱をきたしていた隠密達は、キムサン達の仕掛けた罠に面白い様に掛かって行った。凶悪な罠に掛かり命を落とすもの、命からがら逃げ出すものと様々だが、共通点が一つだけあった。皆一様に混乱の極みに達している、という事だ。
――なぜ自分達よりも戦う能力に於いて劣っているもの達に、自分達が殺られなければならないのか。
 実際自分達が地の利を得ていないのは自明の理だし、隠密達もその辺を考慮に入れて行動してきた筈だ。しかし、彼等にとって解らない事は、村人達がこぞって彼等の任務を阻止するように動いてきた事だ。
 “少女”を手に入れ、無事に帰還する。
 それは単純な任務の筈だった。必ず成功する筈だったのだ。それが、今、失敗に終わろうとしている。凄腕の自分達が殲滅されようとしている。隠密達にとってそれは、信じ難い事だった。
(“少女”に何があるんだ!?)
 隠密達のリーダー格の男がその考えに至った時、不意に思考が途切れた。
 待ち伏せ。
 リーダー格の男が、其の者に視線を移した時を境に戦闘は開始された。
 リーダー格の男は、懐に忍ばせていた短刀に手を伸ばす。そして一瞬の躊躇いも無く、懐に飛び込んできた若者に切り付ける。あっ! と声を上げると、その若者はあとずさる。
 右腕には浅いが、確かに短刀で切りつけられた傷痕があった。見る間に紫色に腫れていく傷痕を見て、若者はうめいた。
(うかつだった……。短刀に毒が塗られていたのか……)
 その若者の傷口を一目見るなり、隠密の男は勝利を確信した凄絶な笑みを見せた。
 自分の、半ばやけっぱちに放った一撃が敵に傷を負わせた。それだけならばまだしも、相手は毒を被っているのだ。例え地形に盲目であったとしても、戦況は有利に働くだろう。隠密は瞬時にそう悟り、行動に移した。
 即ち、敵を仕留めに向かったのだ。
(……勝てる!!)
 かくして、再度一対一の戦闘が開始された。
 リーダー格の隠密にしてみれば、この場から逃げ延びるための、命を賭けた戦いであった。
 隠密の男は、一息に間合いを詰めた。短刀のとどく距離、自分が最も得意とする接近戦にもつれ込ませる為だ。
 若者もまた、その短い間合いを利用するつもりだった。元々彼等の一族に伝わる“力”は接触しなければ発動しないものだったからだ。
 若者は、隠密の動きに合わせて自らも動いた。双方ともに目で相手の動きを追跡する。
 互いの戦闘力は拮抗していたが、ここへ来て若者の受けた傷とそこから侵入した毒素が牙を剥いた。
 一瞬だが、若者の動きが鈍くなった。
 隠密の男は戦闘のプロフェッショナル、僅かな隙でも見逃すことは無い。
 体勢を崩した若者の腹部にナイフを突き立て、勢いよく裂いた。血液が霧吹き、辺り一面を赤く染め上げる。
 若者の意識は暗転した。
 戦いは一瞬で決着を見た。
 隠密の男の予想通り、若者の死をもって戦いは終結したのだ。隠密の男はこれ以上この場に留まる事は意味が無いばかりか、命すらも落としかねない、とばかりに足早に立ち去っていった。村の外へと。後に残されたのは若者の死体と、彼から流れ出た血液で生まれた、血の海だけだった。
 かくて一方的な戦いの結果、生きてその村を脱出できた隠密は唯一人だけだった。
 だが、そのたった一人の男が、その村に不幸を招き寄せることとなるのだった。

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