望郷



 今から、11年ほど前――。
 ポポル――。
 深い森に囲まれ、古の街が沈む場所。
 新緑が映える深き森の一隅を占める遺跡群の片隅で、幼き少女は発見された。
 奇妙な箱に入れられて。
 実際それは、奇妙奇天烈だった。楕円を象った箱の表面にはこの時代において珍しい硝子が嵌められており、透明なそれの表面には霜が付いていた。それも、中が見通せないほどに。
 トレジャーハンターを自称するその男は、少年と言ってもいい容姿を持っていた。彼自身気にして止まない丈の無さと、多少わんぱくさが残る顔を持ち合わせていた。その風貌から察するに、年齢は16歳だと推察できる。くりくりと良く動く鳶色の大きな瞳孔で、周囲の壁や天井を好奇心一杯で視線を這わせる。短く刈った栗色の髪の毛が、数少ない光源の光を受け天井にその影を躍らせる。
 初めての遺跡。トレジャーハンターとしての、初めての仕事。実際彼は、多少上気していた。夢にまで見た遺跡の中の探索行に、興奮すら覚えていた。父親と約束した事が頭をちらつく。
――前人未到の遺跡を探索し、宝を持って帰ること。それが、お前を一人前と認める条件だ。
 具体的な何かを指定された訳ではない。己が宝と認める物ならば良いのだ。

「へへっ! 楽勝だぜィ」

 少年っぽいあどけない笑みを満面に浮かべ、軽口を叩く。
 今目の前にあるものは、楕円を象った箱―不可思議な装置―だった。少年が、宝箱と目する物体だ。思わず鼻歌も混じるというものだ。
 そっと、その箱に触れてみる。
 チャリッ。
 未だ幼さの残るその指に、何か―金属性のプレートが触れる。

「……? 何だ?」

 覗き込んだその金属板には、何か文字のようなものが彫り込まれていた。

「……? 古代文字? ……へへっ、こんな事も有ろうかと、勉強しておいて正解だったぜっ! 今じゃ、古代文字は俺の得意分野さっ。…………………え〜と、なになに〜?C・L・O・S・E………? クロース? 密着している? なんのこっちゃ」

 その時、プレートに彫られていた文字を読み違えた事に、彼はずっと気付く事は無かった。当然この文字C・L・O・S・E―クローズ―の本当の意味に思い至る事は無かったという。

「ふんふん〜♪ あれ? この箱、どうやって運べば良いんだろう?」

 少年の指が箱の他の部分をなぞって行く。程なく何やら難い突起物にぶつかり、力を入れると同時に箱の表面を覆っている硝子の部分が上に持ち上げられていった。真っ白い冷気が足元を覆って行き、硝子に張った霜が溶け始める。中から愛くるしい幼女が顔を覗かせる。といっても、彼女は未だ眠ったままだったが。一目見て、色素が薄い子だと解る。銀色の長髪を横たえた体の下敷きにし、透き通るような白磁の肌との境目が良く見えない。瞳の色は、眼が閉じたままなので見ることは出来ないが、おそらくこれも薄い色なのだろうと想像をめぐらす事ぐらいは出来る。見たところ、3歳前後と言ったところか。

「うわぁ! なんっじゃこりゃぁ!!」

 なんっじゃこりゃー、なんっじゃこりゃー、わーん、わーん、わーん。
 少年の驚愕の叫び声が、周囲の壁という壁、天井という天井に反響してドルビー効果を生み出す。
 驚くのは無理も無い。箱の中に少女が入っていたなどとは、露ほども考えなかったからだ。ましてや、宝だとばかり思っていた物が人間の、それも女の子だったとは…。驚いて、三十センチばかり飛び上がってもおかしくは無い。
 その大きな声に驚いた少女は、愛くるしい瞳をゆっくりと開き、少年の方にその寝呆け眼を向ける。

「あふっ?」

 頭の中身は、未だに眠ったままのようだが。
 驚いて1歩も動けない少年が次に発した言葉は、

「あっ、きっ、君だれ? 俺、ギゼーって言うんだけど」

 だった。体は驚いていても、頭は正常に働いているらしい。まずは自己紹介、と言ったところか。ところが、少女の反応は無愛想極まりないものだった。

「…………?」

 もともと3歳なのだから言葉などあまり知り得ないものだが、それにしたって自分の名前くらいは言えるはずだ。だが、答えなかった。彼女は。
 ところが少年は、その沈黙を勝手に解釈し、勝手に想像をめぐらし、先程見つけた銘板の文字と少女の名前とを結び付けて考えようとした。
 
「……? あっ、そうだ! さっきその箱見たとき、クロースって銘打っていたけど、それって君の名前かなぁ? なぁ〜んちゃって」
「……………」
「何とか言ってよ……不安になるじゃん……」


 かくして、卵の殻は割られ、雛鳥が世に放たれたのだった―。


   
+*◆◇*+



 少女がこの世界に解き放たれてから、11年後―。

 クロースは11年の歳月を経て、美しくも儚げな14歳の少女に育っていた。
 銀色に輝く髪は波打ち、腰部を覆い隠すように伸びている。肌は色白で、相変わらず肌と髪の毛の境界線が良く見えない。伏目がちの瞳は青灰色で、虚ろだ。その表情や、瞳を覗き込んでみても彼女の感情や思考は読み取れないように見える。そればかりか、直ぐにでも消えて無くなりそうな淡い印象を受ける。
 クロースはここ、ガロウズ村にて深窓の令嬢の如く育てられた。ギゼーの父親であるチグリと母親のユーフラは、彼女に惜しみなく愛情を注いでいた。
 自分の息子の分まで。

 ガロウズ村は人口密度がそれほど濃くない、小さな村だ。この世界の何所のどんな村と比較しても、此処、ガロウズ村が一番小さな村だろうと推測できるほどの規模でしかない。
 成る程、旅人や冒険者は良く訪れる。時期によっては人口が爆発的に伸びたりもする。しかし、それは一過性のものでしかない。その、伸びた人口密度に安定性は得られないのだ。ガロウズ村はあくまでも、観光地としての価値しかないからだ。
 その観光地としての責務を全うしているガロウズ村に、一組の男女が唐突に訪れた。
 男の方はダンディズムを追究したような初老の男で、全身を黒の長いローブで身を包んでいる。フードは背に下ろし、顔をさらけ出してはいるが。その小柄な体を杖に預けているが、油断の無い身のこなしから察するに、かなりの手練れだと推測できる。服装から、魔法使いである事は明白だが…。
 女の方は初老の男よりも若く、やはり連れ合いと同じく桜色のローブを身に纏っている。血色の良い肌に、緑掛かった黒の長髪を颯爽と風に靡かせ、艶やかな紅を引いた唇を笑みの形に歪めている。
 妖艶な美しさ。
 一言で言い表すならば、そんな言葉が良く似合う女性であった。
 クロースの美しさとは対照的なその女性は、二十代も半ばを過ぎた辺りの年恰好である。

「……良い村だな。暫くここで宿を取るか。なあ、オプナよ」

 最初に口火を切ったのは、初老の男だった。
 対するオプナと呼ばれた女性は、首肯で返した後に改めて言葉で肯定する。

「……ええ。そうですね。ここより先に道は無いし……良い村です」

 そう言ったオプナの視線の先には、クロースの姿があった。
 初老の男も、その視線の先は同じだ。

「……気になるか? あの娘が」
「……ええ。彼女には他に無い、何か強い力を感じます」
「…………色素の薄い娘、か……」

 思案げに呟く、初老の男。

「……師匠?」

 ふと何かに気付いたオプナは、師匠と呼んだ相方を見やる。その顔には、言い様の無い黒い笑みが浮かんでいた……。

 ガロウズ村に宿は一つしかない。
 だから、どんなに大金を持っていようと、路銀に乏しく出来る限り安い宿を取ろうと探そうと、旅人である以上は“英雄の軌跡”亭に宿を取るしかない。
 そして、一階の酒場は村人達の格好の溜まり場になっているので、狭い村の事、旅人がくれば神速を持って噂が広まるのである。
 二人が宿を取ったその日も、例に倣って噂は広まって行った。「魔法使いの二人組が、この村に来た」と。


   
+*◆◇*+



 歌に導かれるとは、こういう事だろうか?
 翌朝、自分の師であり上司でもある、クロゼンよりも早く目覚めたオプナは「こんな、珍しい事もあるものね」と含むような笑みを満面に湛え、せっかくだからと早朝の澄んだ空気を胸一杯に収めようと散歩に出る事にした。
 その散歩の途中で、澄んだ空気の中でも霞む事無くたゆたっている美声を耳にしたのだ。
 そして、其のまま真っ直ぐ歌に導かれるようにして足を向けた先が、ガロウズ村でたった一つしかない噴水広場だった。広場といっても然程大きくない村のこと、猫の額ほどしかない井戸端のような広場だった。
 少女は、其処にいた。
 少女は、その噴水の縁に腰掛けて歌を歌っていた。
 朝靄の中、凛と響くその美声を震わせて。

――美しい。

 歌に感動したのか、それともその光景自体に感動を覚えたのか、何れにせよ誰もが抱く有り触れた感想をオプナは抱いた。

――――愛は温もり
――――白き温もり
――――真っ白き穢れを知らぬもの
――――愛は無垢なるもの
――――無垢で真っ白き
――――穢れを知らぬもの
――――真っ白き羽毛
――――天使の翼
――――その穢れ無き白き愛に包まれて
――――私は眠る
――――穢れ無き愛のカタチを胸に抱き
――――私は眠る
――――愛の温もりに包まれて
――――私は眠る
――――永遠[とわ]に

 美しい旋律と共に流れてくるその歌は、美しく儚い思いに満ちていた。子守唄か、恋歌か。その歌詞の意味は深い。14歳の少女の可憐な唇から零れるには、余りにも不釣合いに思えた。未だに、愛を知らない年齢故に…。
 オプナがその歌に聞き入り、感慨深げに思考を巡らせている内に何時の間にやら歌は終わっていて、少女がオプナの方へ微笑とも訝しげとも何ともつかない表情を向けていた。
 オプナは、自分が暫しの間呆けていた事実に気付き、赤面しつつも少女に笑いかける。そして、初対面ながらも声を掛けてみる。

「おはよう。あの……貴女は……? あ、私、私の名前は、オプナ。昨日この村にやって来た、旅人よ。あなたのお名前は?」

 突然質問を浴びせ掛けられた少女は、暫くその質問の先にある意図を測りかねて呆けたような視線をオプナに向けていた。そして、数回瞬きをした後に、意を決したかの如く徐に口を開いた。

「……………クロース……」
「………えっ……?」

 オプナは、自分の耳を疑うように質問を重ねた。余りにも消入りそうな答えだったからだ。だが、その唇は確かさを持って綴っていた。「クロース」と。それが少女自身の名前である事は、疑う余地も無い。

「クロースって、確かに今、そう言ったわよね? クロース……それがあなたの名前なのね」
「……………………」
(……何か言ってよ。不安になるじゃない…)

 クロースと出会ったかつてのギゼーと同じ思いを抱き、妙な同調[シンクロ]を体現しつつその場に出来た沈黙と言う雰囲気を守るオプナであった。
 小鳥が囀り、朝の到来を高らかに告げながら東の空へと飛び去って行く。
 それを目で追いながら、オプナは唐突に口を開いた。

「歌、歌ってたわね。さっき。何の歌、歌っていたの?」

 その場の雰囲気に堪らなくなったオプナが自己紹介の次に口を吐いて出した言葉は、何の変哲も無い唯の疑問だった。
 先ほど聴き入っていた、歌に関する疑問。
 誰もが抱く、何の変哲も無い疑問。
 その疑問に対してクロースが応えた言葉は、酷く簡潔なものだった。

「…………子守唄…………」
「子守……唄……? ……それは、……何処で覚えたものなの? 子守唄にしては、何か、こう、異質なものを感じるけど……」

 子守唄と言う意外な言葉に驚かされたオプナは、数回どもりながらも二つ目の質問を重ねる。だが、途中から失礼な言葉を言っているのではないかと思い、語尾が曖昧になる。

「…………夜、眠る時…………ずっと昔に、聞いた…………」
「…………ずっと、昔…………そう」

 いまいち納得出来ていない自分を無理やり納得させるために、一度首肯する。それでも納得し切れていない自分に、オプナは気付いていた。だが、どうすることも出来ない。これ以上、見ず知らずの自分が質問を重ねるわけにはいかない。そういう行為をすることによって、クロースに不信感を抱かせることになるのではないかと危惧したからだ。
 会話が途切れ、その場の雰囲気が重くなったのを払拭するかの如くオプナは密かに溜息を吐いた。
 雲は空を駆け、小鳥は囀りながら遠ざかって行く。
 静かな時が流れた。

 会話が途切れてからどのくらい過ぎただろうか。ほんの数秒間だったかもしれない。いや、数時間経ってしまったかも。今この時、自分に時間の感覚が無くなっている事に少しの驚きを抱きつつ、オプナは再び口を開いた。今度は、沈黙に耐えられなくなったからではない。必要に駆られたからだ。今、この少女について、出来る限り情報を得たいと思った。不思議な感じのするこの少女に、オプナは必要以上に興味をそそられていた。

「ねぇ、こんな時間に一人で散歩だなんて、寂しくない? 貴女ぐらいの年齢だったら、友達と遊びたい盛りだろうに。こんな所で、一人で歌を歌っているだなんて……寂しくならないの?」

 その様な、微妙に立ち入った質問に対して、クロースは虚ろに答えた。

「………………メイレイだから………」
「…………は? 命令? 誰の……?」
「………ユーフラの……。ユーフラが、外へ出てはいけないよって言うから」
「……でも、早朝なら出ても良いって? 人目に付かないから?」

 首肯で返す、クロース。
 それを見たオプナは、まるで信じられない物を見た、とでも言うかのように肩を竦めておどけて見せた。
 早朝の、たった二人だけの会話。二人だけの、秘密。その秘密を分ち合うかのごとく、再び沈黙が場を支配する。
 朝焼けが中天を焦がし、村人達がそろそろ朝食の準備に取り掛かろうと起きだして来る刻限まで。


   
+*◆◇*+



 魔術師風の二人組みの旅人がありもしない黒い噂話を背に受けながら宿を取った、その翌日。
 猫の額ほどしかない小さな村の事、二人に関する噂話は時を待たずにギゼーの父親であるチグリの耳に入った。

「魔術師風の二人組みの旅人……か。魔術学院の調査員か何かか? ……何しに来た……?」

 元トレジャーハンターであるチグリは、何度か魔術学院の調査団とやりあったりしていた。その経験からか、如何しても「魔術師風の」と聞くと学術調査団に思い至ってしまう。そして、過去の苦い思い出が蘇ってくるに従って、苦悩を顔に刻んでしまうのだ。

(何しに来た……? 何の目的で……まさか…!?)

 数刻思考を巡らせた後、ある事実に思い至る。

(クロース……)

 チグリは、11年間彼女と共に過ごして来た中で幾つかの体験を通して、彼女自身が<普通ではない女の子であることを理解していた。そして、息子が言っていた、「遺跡で拾った」という事実。その俄かには信じ難い事実ですらも、信じるに値する物だと思うようになっていたチグリであった。

(……まさか……だとしたら、あいつら……。クロースを……)

 何かの研究材料として特殊な人間を欲する。知識の探求者としての色を濃くもつ魔術師達ならば、それもあり得るだろう。世界中に点在する歴史的遺産を研究していると言えども、所詮は自己の知識欲を満足させたいだけの唯の独り善がりな連中ばかりだ。トレジャーハンターとて、同じ穴の狢[むじな]と言えなくも無いが、人間は自己の所業に関しては棚に上げてしまう性分なのだ。チグリとて例外ではない。ましてや、かつて敵対していた相手なのだから。
 その、敵対していたと言う事実が無かったとしても、決して自分の子供を研究材料として持っていかれるわけには行かないと思うのが親心と言うものである。その、親心が芽生えるだけの時間は共に過ごして来た。

(……ふんっ! 余所者が……!)

 結果、例の噂話を聞いた限りでの心象は、余り良くないものへと転化される。
 その一瞬後には、クロースを絶対に彼等には渡さないぞという、強い信念がチグリの中に生じていた。


   
+*◆◇*+



 魔術士風の二人の旅人―オプナとクロゼン―がチグリの家を訪れたのは、今日一日の仕事を始めようと支度していた、その矢先だった。
 彼等が来た事は後ろを向いていても気配を察知して解ったが、敢えて振り向き愛想を振り撒くような事はしなかった。出会う前から嫌悪感を抱いている相手に対し、愛想を振り撒く者が果たして居るだろうか。チグリも、その例外には当て嵌まらない人間だったというだけの事である。

「……何か?」

 チグリは嫌悪感も露に、ぶっきらぼうで非常に愛想の悪い応対を態とした。

「この村の人間は、こうも愛想が悪いものなのかな?」

 対する老魔術師――名をクロゼンという――は、皮肉たっぷりに切り返した。

「……別に、愛想良く受け答えするほどの質問を浴びせられてないだけさ」

 ぶっきらぼうに、態度と矛盾した答えを返すチグリ。
 どうしてもクロースを研究材料に持っていかれまいとするチグリと、如何にしてクロースを研究材料として連れて帰ろうかと思案しているクロゼンとの間で、目が合ったその瞬間火花が散った。

「あわわ……、あのぅ、私達、この村の観光名所を周りたいのですが……。案内していただけます?」

 慌てて二人の仲を取り持とうとする、オプナ。しかし、険悪になった二人の心象は、決して改善することなど出来ないのだという事も知っている。だがせめて、この場だけでも取り繕おうと考えて掛けた言葉が、それだった。

「………観光名所……か。…………それならば、ついて来い。良い所に連れて行ってやる……」

 オプナのその場を取り繕う台詞に、暫しの間黙考したチグリはぶっきら棒だが僅かに和めた声音でそう言った。地元の人しか知らない、取って置きの観光名所に連れて行ってやる。言葉の裏には、確かにそう刻まれていた。

 奇妙な一行が、森の中を分け入っていく。
 籠を背負いながら慣れた道を“仕事場”へと無言のまま急く歩くチグリと、黙々と付き従う観光客[まじゅつし]二人。傍から見れば、奇妙といえば奇妙といえる。だが、三人はそのような事はお構い無しに歩くのに精を出していた。
 実際、観光地であるガロウズ村では地元の民が観光客を案内して回ると言うのは、極々有り触れた風景だった。其れだけを糧に生きている者は居ないが、其れで得たチップを副収入として当てにしている村人は多いぐらいだ。しかし、誰もが無言のまま案内するということはしていなかった。皆、何がしかの言葉を吐いて、説明口調で観光名所を巡るのだ。
 だが、この時のこの三人は違っていた。今までの例に無い一行であった。観光客に対し、説明も雑談も何も無しに唯歩くだけの案内人と、其れをよしとする観光客、珍しい所か有り得ない話だ。

 小一時間も経った頃、黙々と歩き続ける三人の目前に今まで目に映っていた森の中とは異質な光景が拓けた。オプナは息を呑み、クロゼンは凝視していた。二人の目の前で、森が燃えていた。
 オプナは目を凝らして、その紅蓮を観察する様に凝視した。
 森が燃えている? いや、そんな筈はない。もし本当に燃えているならば、煙が立つ筈だ。だが灰色の気体は、ちらともその姿を見せていない。煙を立たせずに物が燃える筈はない。魔法で燃やさない限り……。
 そう、思惟を巡らしつつも観察の目を忙しなく動かし続ける。すると、真相がハッキリと見えてきた。
 森が燃えていると思っていたものは、花だった。
 原色に近い紅の花が、ここら辺一帯の森を埋め尽くしていたのだった。勿論、その花は全て原生種である。栽培されたものでない事は、手に取るように解る。

「………“アラウネ”の花だ」

 徐にチグリが言葉を紡ぐ。二人に背を向けたまま、ぶっきら棒で親切心の欠片も無い言葉を吐くと、早速作業に取りかかる。アラウネの花を摘み取って、背に預けた籠に放り込んで行く作業だ。単純だが、馴れたものでないと辛い作業である。花弁の外側は、極小の刺が並んで待ち構えているからだ。
 不意に掛けられた言葉に驚きの念を抱きつつ、オプナは感嘆の言葉を重ねる。

「アラウネの花? ……これが? ……話には聞いていたけど……凄い……」

 語尾を濁すオプナ。濁った先にある言葉は、容易に想像がつく。「美しい」という言葉だ。語彙が少ないと思われるのが嫌で類語を右脳の奥底から引っ張り出そうとするオプナ。「美麗」だの、「華美」だのと言う単語が浮かび上がるが、どれも「美しい」の延長線上にある言葉で、「美しい」という簡素な言葉以上の効果は期待出来そうにも無かった。時には、簡潔な言葉だけで全てを語れる場合もあるのだ。
 クロゼンは先程から、沈黙を守っている。一体何を考えているのか、得体の知れない男だ。オプナは、時々自分の師をそんな風な目で見る事がある。今も不思議そうな面持ちで、師クロゼンの思考を憶測するだけであった。

 小一時間も経たない内に、三人が居る辺り一帯のめぼしいアラウネの花は全て摘み取られた。
 実はチグリは、ガロウズ村でも一、二を争う程のアラウネ摘みの名人なのだ。
 二人の魔術師は、小一時間の間その名人芸を唯唯、見惚れるだけだった――。


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