ニール・ディランディ。それがあいつの名前らしい。
心の中で何度も反芻する。まさか名前が聞けるなんて。
そして俺は、駅から行きつけのカフェに行くまでの道で、自分の行動を鑑みていた。
なんでこんなことをしてしまったんだ、まったく!自分でもこんなことするつもりはなかったのに!
いくら俺がこいつに好意を抱いていたとしても、こいつにはそんなもの迷惑以外の何物でもない。なのに。
こいつもお人好しな性格なんだろう。ほぼ初対面の奴に誘われてひょいひょいと付いて行くなんて。
自然と出たため息を抑える余裕もない、さっきから心臓が煩いくらいに大きく鼓動を刻んでいる。
そんな気持ちを抑えるため、なんとなくだけど俺はニールと初めて会ったときのことを思い出していた。






ニールと初めて会ったのは残業で帰るのが遅くなってしまった日だった。疲れきった体で電車に揺られていると、1人の学生が乗ってきた。
この時間に乗るということは部活でもあったんだろうな、となんとなく考える。それにしてもこいつ、背高いな。あんまり俺と変わらないんじゃねえの?最近の学生はこんなに発育がいいのか。
それに男の俺から見ても容姿が整っているのは一目瞭然だった。さぞモテることだろう。羨ましい限りだ。
するとなぜかそいつが俺の隣に座ってきた。他にも席は空いているのに。
少し驚いたけど、そいつは別にどこでもよかったんだろう。疲れているのかすぐにうとうとし始めた。
ずっと気にしているのもあれかと思い、持っていた携帯に目を落とす。特にすることもないので適当にいじってるだけだけど。
するとガタンと電車が大きく揺れた。その瞬間、肩に何か重みが加わった。
なんだと思って見ると、さっきの寝ていた学生が揺れたせいか肩に寄りかかられていた。
こっちも疲れているし頭は重いし、とりあえず起こそうと思ったのだけど、そいつがあんまりにも気持ちよさそうに眠っているからそれが躊躇われた。
しょうがなくそのままにしておく。周りの乗客からは哀れそうな目で見られた。まあ、これは俺だってそうなるだろう。
ちらとそいつを見る。端正な顔立ちに白い肌、ふわふわと柔らかい栗色の髪。自分とは大違いだ。切れ長の目は怖がられるだけだし、肌も浅黒い。髪なんて頑固な癖っ毛だ。素直に羨ましい、と思った。
ふと鞄を見ると、鞄に取り付けられるタイプの定期入れがぶら下がっていた。どうやら次の駅で降りなければいけないらしい。流石に起こした方がいいだろう。
そう思い軽く肩を叩くが、起きない。ぐっすりと眠っている。

「おい、起きろ」

そう言って強めに肩を叩くと、ようやっとそいつが目を覚ました。そういえばこの距離はちょっと近すぎるか?でもこいつの顔を見ようと思ったら自然とこれくらいの距離になってしまう。

「うわ!」

やはりというかなんというか。そいつは驚いて飛び起きた。予想はできていても近くで大声を出されるとやっぱり驚いてしまう。少し仰け反ってしまった。
しばらく沈黙が続いたけど、これではいけないと思いなおし声を掛けた。

「いや、次の駅で降りるんだろ?このまま寝てちゃまずいと思ったんだが…驚かせて悪かったな」

そう言うと、そいつはまた驚いたように電光掲示板を見た。こっちに向き直ると「な、なんで…」と少し怯えながら聞いてきた。
もしかしてストーカーか何かかと思われてるのか?まあ初対面の奴が降りる駅を知ってたら驚くだろうけど、親切心からしたのにそれはあんまりだ。
だが、まあ話せばわかってもらえるだろうと平常心を努めて答えた。
すると、まあ当たり前だがちゃんと理解してもらえて、礼も言われた。頭も下げられたもんだから少し驚いたけど。

「あー、いいって」

とりあえず向こうが気にしてしまうのは面倒だと思い少しぶっきらぼうに言葉を返した。まあ通じずに礼をさせてくれと言われたけどな。それも適当に断った。

「それよりもう駅だぜ。降りなくていいのか?」
「え?あっ、わっ、ほ、本当にありがとうございました!」

そう言うと、そいつは慌てて降りていった。そういえば肩のことは言わなかったけど言っておいた方がいいかもしれない。女性にしたりしたら流石に迷惑だろう。

「まあ、もう肩を枕にされるのはこりごりだけどな」

するとそいつは思い切り振り返った。謝ろうとしたのだろうが、タイミングよくドアが閉まり声が聞こえなくなる。
俺にとってはよくても、向こうにとっては後味が悪いだろうと思い軽く笑って手を上げた。別にいい、という感情を込めて。
それがわかったのかわかってないのかはわからない。そいつはそのまま呆然と立っていた。






そのときは特に気にしていなかったのだが、数日後、いつものように少し早めの時間の電車に乗っていると、駅でそいつが乗ってきた。
驚いたけど、そいつと少し目が合ったときに自然と離されたから、ああ、もうこいつは覚えていないんだろうなと思い、俺もそのまま何も言わなかった。
第一声を掛けてどうするんだ。特に話すこともないのに。そう思うと声を掛けることも躊躇われて、こっちも知らない振りをした。
だけどそいつは知ってか知らずか毎日俺の前に立つ。でも声は掛けられない。目も合わされない。でも、毎日同じ電車に乗り、毎日俺の前に立つ。
その内どんどんそいつのことが気になって、仕事中も思い出してしまうほどになった。
同僚のリヒティにそれを話すと、そいつは女だと思い込んだんだろう「それって恋っすよ!ハレルヤも向こうも!両思いってやつっすよ!」と言われた。

「んなわけねえだろ、馬鹿」

とりあえずそこはそう答えておいた。残念だったなリヒティ。相手はれっきとした男だ。恋なんて、ありえねえ。
向こうはな。
俺はというと、リヒティの言葉で自覚してしまった。俺は、あいつが好きなんだ。名前も知らない、あいつが。
それからはより意識してしまった。朝の数十分だけの時間が貴重なものに思えた。帰りに会えないのが、どうしようもなくもどかしかった。






そう思っていたときの、これだ。正直なんで誘ったのかもよくわからない。とりあえずいっぱいいっぱいであんまり覚えてない、というのが本音だ。
というか今もいっぱいいっぱいだ。なんせ横にそいつがいるんだから。
そんなことを考えているうちにいつものカフェに着いていた。ニールに声をかける。

「ここだ。入るぞ」
「おお、なんかお洒落だな!常連なのか?」

タメ口なのは、俺がそうしろと言ったからだ。敬語で話されるのは正直むずがゆい。
そこはニールが言ったとおりの小洒落た小さな店だ。客は少ないが、基本的に常連のみの落ち着いた雰囲気が好きで、足しげく通っている。
ドアを開けると、来店を知らせるためのベルが鳴った。すぐに店員が顔を出す。

「いらっしゃいませー。あ、ハレルヤじゃない。おはよ。…あら、そっちの子は?」
「よう。…まあ、連れだ」
「あら珍しい。今までずっと1人だったのに」

その興味津々の視線を無視していつものテーブルに座る。ニールも大人しく着いてきた。

「で、ご注文は?」
「俺はハニーマスタードとチキンのドッグとホットコーヒー。ニールは?」

そう尋ねるとニールは慌ててメニューを開いた。そんなに急がなくてもいいのに。

「えっと、じゃあカプチーノで」
「それだけでいいのか?」
「朝飯食ったからさ」

ああ、そっか。そりゃそうだよな。
店員は「じゃあ、少し待っててね」とだけ言ってキッチンへ引っ込んでいった。

「なあ、ハレルヤ。店員ってさっきの人だけ?」
「ん、いや店長もいるぜ。店長はイアン。さっきのはスメラギ」
「へえ…」

そこで会話が途切れる。俺も特に話題を見つけられない。というか普通に話そうとするだけで精一杯だ。

「ハレルヤってさ、毎日ここ来てるのか?」

突然そんなことを聞かれるもんだから少しびっくりしてしまった。

「あ、ああ」
「へえ…」

また沈黙。え、なんなんだよ。なんだったんだよさっきの質問は。
すると、思いがけない言葉がニールの口から飛び出した。

「俺も通おうかな、ここ」
「へ?」

今の俺の顔はさぞ間抜けなことだろう。その表情にニールも焦ったのか「いや駄目なら駄目でいいんだけど」と取り繕ってきた。

「え、いや、駄目じゃない!」

なんかもうどうしていいのかわからなくて、とりあえず否定したら自分でも恥ずかしいくらい慌ててしまった。
するとニールがいきなり笑い出して、また恥ずかしくなった。顔に熱が集まる。

「よかった。嫌われてるのかと思った」

そんなこと思われたのか…。

「でもハレルヤってこう、いかにも大人!って感じかと思ったけど、案外そうでもないんだな」
「そ、そうか…?」

実際大人に見られたくてそういう風な言葉遣いをしてたからな。そう見られていたのは嬉しいけど、今ので全部パアだちくしょう。

「お待たせしました。仲がいいわね。貴方、高校生みたいだけどハレルヤのお友達?」
「へっ?えっと…」

いきなり話をふられたニールは目に見えて戸惑っていた。そりゃそうだろう。友達というわけでもない。話をしたのも今日で2回目というなんとも微妙な関係。
俺も助け舟を出せるわけもなくただただ黙っていた。ニールもどうしようかという感じで困っているだけだ。

「…ふふ、まあ、いいわ。これからもハレルヤと仲良くしてあげてね」
「えっ、あ、はい!」
「スメラギにそんなこと言われる筋合いはねえよ」

元気よく返事をしたニールを無視してスメラギを軽く睨む。スメラギもそれに意を介した様子はなく、

「だって心配なのよ。ハレルヤってば友達も彼女も連れてきたことないし」
「心配おかけしてすみませんねえ。生憎彼女はいねえから連れて来れねえよ」

さっさと行け、というとスメラギは笑顔で厨房へ戻っていった。くそ、変なこと言いやがって。

「なあ、ハレルヤ」

なんだ、と言おうとニールを見ると、あんまりにも真剣な顔に声が詰まってしまった。

「な、なんだよ」
「ハレルヤって彼女いないのか?」

は?なんだ、それかよ。なんでそんなことで真剣になるんだ?

「ああ、生まれてこの方彼女なんてできたことねえよ」
「そうなんだ」

ニールはなぜかほっとしたような表情をした。

「じゃあ好きな人は?」
「え、」
「好きな人、いるのか?」

お前が好きだなんて言えるはずもない。でもいないと言ったら嘘になる。

「い、いるけど…」
「マジ?俺もいるよ」

そうなのか。というかまず彼女いないんだこいつ。ちょっと意外だった。
それにしても告白する前に失恋かよ、俺。女々しいかもしれないけど、やっぱり少しショックだ。

「ハレルヤ」
「ん?なんだ」
「だからハレルヤだって」

は?どういうことだ?というか、何が?
何もわかっていない俺に気付いたのか、ニールが苦笑する。

「俺の好きな人。ハレルヤなんだけど」
「へ、」

それをはっきりと理解するまで随分と時間がかかった。ニールが、俺を、好き?

「や、気持ち悪いのはわかるから、返事はいらない。ただ、こうやってチャンスをもらえたから、言いたくなって」
「ちょ、ちょっと待て」
「変なこと言って悪かった。コーヒーはやっぱり俺が払うから。じゃあ」
「待てって!」

突然大声を出した俺に驚いたのか、ニールの動きが止まった。
正直まだ勇気は出ないけど、でも、ニールも言ってくれたんだ。俺も、答えないといけない。

「いきなり言われて、正直、びっくりした」
「…うん、ごめん」

ニールが悲しそうに微笑む。このままだと間違われる。だから間を空けずに続けた。

「でも!でも、すごく、すごく嬉しかった。これも、本音だ」
「…え?」
「だ、だから。あ、ありがとう。俺も、ニールのこと…あの、す、好きだ」

最後の方はすごく小さくなってしまったけど、多分、届いたはずだ。そうあってほしい。
俯いているからニールがどんな顔をしているか見えない。告白してきたのは向こうだけど、それでも見るのが怖い。もし、冗談だったりしたら。
がた、と椅子を引く音が聞こえた。それでニールが立ち上がったのがわかった。
やっぱり冗談だったのか。本気で答えた俺が気持ち悪くて、帰ってしまうのか。予想はしていたとしても、少し泣きそうだ。
すると、急に暗くなった。見上げると、すごく近くにニールが立っていて、それで影ができたのか、と頭のどこかで冷静に考えていた。
頭のどこか、そのどこかが冷静だっただけで、他の大部分はパニックを起こしていた。なぜか、というと、

「ハレルヤ…っ!」

ニールが急に抱きついてきたからだった。

「え、おい、ニール」
「ごめん、俺、すごく嬉しい」

座っている俺と立っているニールとでは、たとえニールがしゃがんでいても身長差ができる。俺は、普通より上の方にあるニールの顔を見上げた。結局、抱きしめられているから見れなかったけど。

「だって、話すのも2回目だし、俺が勝手に電車の時間合わせて見てただけだし。こうなるなんて、夢にも思わなかった」

そうだったのか。偶然だと思ってたあれは、ニールが俺に時間を合わせていたからで。だからこんなに早くに。

「お、れだって、こんな、こんなの、夢みたいだ」

うまく言葉が出てこない。心臓の音だけがやけに煩い。

「えっと、お2人さん。いいところ悪いんだがここがどこだかわかってるか?」

いきなりのイアンの声に俺もニールもびっくりして磁石のように離れた。2人とも顔が真っ赤だ。
忘れてた。というか他の奴の存在を忘れてた。
すると厨房からスメラギが出てきて「ハレルヤよかったわね!お幸せに〜」と言ってまた引っ込んでいった。
なんでこんなことに…というかこいつはなんでこんなとこで告白しやがったんだ!
そのニールはもう立ち直っていて自分の携帯と俺の携帯をそれぞれいじっていた。そして俺の携帯を返しながら、

「俺の番号とアドレス登録しといたから!」

と笑顔でのたまった。こいつ1回シめてやろうか。そう思ってもできないのは惚れた弱みだろう。
携帯に表示された新しい番号とアドレス、そして「ニール・ディランディ」の文字に少し頬が緩んだ。
これから、賑やかになるな。そう心を躍らせながら。


end.









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