あなたを見ているだけで、


寒い。ああ寒い。まだこない電車を待ちながらひとりごちる。
そもそもこんな早い電車に乗らなくても、もう1本、いや2本後でも学校には間に合う。なのにこうやって部活もないのにわざわざ朝練組並みの時間の電車に乗るのはわけがある。
ようやく到着した電車に乗り、もう座るところがない車両の定位置に立つ。ドアが閉まり、ゆっくりと速度を上げていく。
片手でつり革に掴まり、もう片手で音楽プレーヤーをいじるふりをしながら前に座る人物を覗き見る。
その人は、イヤホンで周りの音をシャットダウンし俺にはよくわからない内容の雑誌を開いていたのだが眠たいのか夢現のようだった。
緑がかった後ろが癖毛気味な黒髪、黒いありきたりなスーツをそつなく着こなし、左目を隠すように長く垂らされた前髪から覗く金色の右目。
名前も知らないその人が、俺がこの時間に電車に乗るわけだった。






初めてその人に会ったのは、部活で遅くなった帰りの電車内だった。
今までにないくらい遅くなってしまい、辺りも真っ暗になってしまったときで、電車内も帰りのピークを過ぎたのか人もまばらだった。
流石に俺も疲れていて、席に座りながらうとうととしていたのだが、いつのまにか完全に意識は夢の中にいってしまっていた。簡潔に言うと、電車内で寝てしまった。
どれだけの間そうしていたのかわからないけど、いきなり肩を叩かれ、「おい、起きろ」と声が掛けられた。
目が覚め、ゆっくりと目を開くと目の前に知らない男の顔があった。しかもドアップ。

「うわ!」

流石に驚いて飛び起きた。するとその人も驚いたのか目をまん丸く開いて少し仰け反っていた。しばらく気まずい時間が過ぎたけど、すぐにその人から声がかかる。

「いや、次の駅で降りるんだろ?このまま寝てちゃまずいと思ったんだが…驚かせて悪かったな」

え?と思ったが、電光掲示板を見ると確かに俺の降りる駅が示されていた。

「な、なんで…」

なんでわかったんだろう。誰もがそう思うだろう。だって、初対面なんだから。

「ん?ああ。それ」
「え?」

指差された方を見ると、俺の定期が見えていた。なくさないように鞄に取り付けてあったからだ。

「あ、ああ。なるほど。ありがとうございます」
「あー、いいって」

年上だろうその人に頭を下げて礼を言うと、面倒そうに手を振られた。あまりそういうことを気にしないんだろうか?どっちにしても助かったんだから礼を言うのは当たり前だ。

「あの、お礼を」
「え?いいってそんなの。それよりもう駅だぜ。降りなくていいのか?」

いつの間にか電車は止まっており、今まさにドアが開いたところだった。

「え?あっ、わっ、ほ、本当にありがとうございました!」

そう言ってもう1度頭を下げ、電車から降りると、

「まあ、もう肩を枕にされるのはこりごりだけどな」

と苦笑いしているのが見えた。え、嘘だろ!
謝ろうとしたのだがその瞬間ドアが閉まり、もう声は届かない。呆然と見ている俺に、その人は軽く笑って手を上げた。…気にするな、ということだろうか。
あのタイミングで言ったということは謝罪などは求めてないのだろう。だけど。
でも、なんてことを。いくら疲れていたからって他人の肩を枕にするなんて。
後悔と同時に、よくわからない感情が芽生え始める。
それが恋だと気付くまで、そう時間は掛からなかった。






それからというものの、朝の電車を早くしてみたら数日後に見事に見つけられ、でも声をかける勇気が持てないままずるずると今に到っている。
だから、いつも定位置に座っているその人の前に立つようになった。どうしてもその人の姿を見たいから。たった数十分だけど。
そして最初に戻る。
何かを話すわけでもなく、ただ眺めるだけ。いつものことだ。
最初は今日こそは声を掛けよう、今日こそは、と奮起していたものだが、俺は自分で思っていたより勇気がないらしい。そして、声を掛けるのを諦めた。見ているだけで十分、そう思うことにした。
だから今日も眺めるだけ。それにもうすぐ駅だ。…そういえば、俺とこの人は降りる駅は一緒だ。なら、もしかして起こした方がいいんだろうか?
でも、迷惑かもしれないけど、会社に遅刻する方が駄目だよな…でも、今まで声を掛けることもできなかったのに、できるだろうか。
そう迷っている間にも電車は駅に近づいていく。もしかしたら、他の人が起こしてくれるかもしれないと思ったけど、普通他人の降りる駅なんてわからないだろう。
電車がゆっくりになり、停止する準備を始める。もう時間がない。俺は、今まで出せなかった勇気を出すことにした。音楽プレーヤーの電源を切り、イヤホンもまとめて鞄に仕舞う。
肩を軽く叩くけど、すっかりと寝入ってしまったその人が起きる気配はない。「あのっ」と声を掛けながら軽く揺すると、ようやくゆっくりと目を開けた。
まるであのときみたいだ。立場は逆だけど。と少し笑ってしまった。周りに不審そうに見られて慌てて顔を引き締める。

「ん…?」
「あの、もう駅着きますよ」

まだぼんやりとしているその人にそう声を掛けると、ようやく完全に目を覚ましたのか、慌ててイヤホンをとり降りる準備をし出した。
丁度駅に着いたので、その人に着いていく形で俺も駅を降りた。

「悪い、助かった」
「い、いえ、いいですよ」

そう返すと、その人は勢いよくこっちを振り返った。前のような驚きに満ち満ちた表情に、俺も驚いてしまった。

「お前あのときの…」
「え、あ、覚えていたんですか」

大声でそう言われたからついどもってしまった。くそ、だせえ。

「いや、そりゃあ覚えてるだろ」

そう言って笑うから、不覚にもどきっとしてしまった。

「あ、あの時は本当にすみませんでした…」
「いいって言ってんだろ。まあ、少し驚いたけど」

ですよね。いきなり肩に寄りかかられたらそりゃあ驚きますよね。しかも男に。
そういえば、ここで話していて会社は大丈夫なんだろうか。

「あの、会社って大丈夫ですか?」
「え?…ああ、遅刻か?大丈夫だって。朝飯食うために早めの電車に乗ってるから」

なるほど。それにしても朝食が外食だなんて。なんて金持ちなんだ。

「あんたこそ大丈夫なのか?学校」
「へ?ああ、大丈夫ですよ。早めの電車なので十分間に合いますから」
「え?なんで早めに乗ってるんだ?」

ぐ、と詰まる。あなたに会うために早めの電車に乗ってました、なんて言えない。

「えー、まあ、気分転換というか」
「へえ。まあいいけど。時間あるならちょっといいか?」
「…え?」
「お礼になんか奢ってやるよ」

……はい?え?ちょっとこれは、どういう展開?
黙り続ける俺に、その人は少し不安そうに「駄目か?」と聞いてきた。だ、駄目なわけないじゃないですか!

「いいいいえ!大丈夫です!行きます!」

思い切り顔を振って否定すると、その人はほっと安心したような顔をして「そうか」と言った。
その顔が、年上に使う言葉ではないだろうけど、すごく可愛くてつい見とれてしまった。

「じゃあ行くか」
「はい。…あ、あの、名前教えてもらっていいですか?」

ずっと聞きたかったことをやっと聞けた。その人は振り返り、そういえば言ってなかったか、という顔をして答えてくれた。

「ハレルヤだ。ハレルヤ・ハプティズム」

ハレルヤ。口の中で反芻する。






さて、これからどうなるだろうか?











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