32



もう手遅れか……。
そう思った直後、私に触れていた手が何かに弾かれた。

あまりに一瞬の出来事で、咄嗟には何が起こったのかわからなかった。

「名前!!」
私の名前を叫ぶ声と同時に、強い力で抱き寄せられる。

「クラピカ……!?」
「大丈夫か」
私を見下ろしているのはクラピカだ。
どうしてここに……。考える間もなくリュフワがユラリと立ち上がる。

奴はカッと目を見開いてクラピカを凝視する。
「邪魔をするな……」
リュフワがそうつぶやいた瞬間に、右腕に違和感を覚えた。
「っ……!」
右腕が動かない。
正確には肩の紋様のあたりが全く動かない。
指先が辛うじて動かせる程度だ。

「名前……? どうしたんだ?」
トーンを落としたクラピカの声が上から降ってくる。
見上げると、顔色の悪いクラピカが心配そうに私を見ていた。

ダメだな……クラピカの方がしんどいはずなのに……。

クラピカの問いに答えたのはリュフワだった。
「名前、その右腕から徐々に人形になっていく気分はどうだい?自分が人形になっていく様を体感できるなんて羨ましい限りだよ。なぜか他の子どもたちには不平だったんだけどね。キミなら喜んでくれるかな」

「名前……まさか……」
クラピカが目を見開いて私の右腕を取る。
私の腕はクラピカの手の中でダラリと垂れるだけだ。

「動かない……」

「名前……!」
「ボクの邪魔をするな! 汚らわしい手で名前に触るな! ボクの、作品を穢すな!」
「穢れているのは貴様の方だろう! 下衆が!」

床に蹲った状態で顔だけを上げる。
クラピカは私を庇うようにリュフワの前に立ちはだかっていた。

リュフワは、私と戦っていた時とは考えられないほどの速さと力強さで攻撃を繰り出す。クラピカは鎖で素早くその攻撃を弾く。

クラピカは苦しそうにリュフワを睨みつけている。
まだ熱があるから……。


意識を……強く保て……!
私は床を這うようにリュフワの正確な位置を確認できる場所に移動した。リュフワからは目を離さずマリオネットを操作する。

私が動けなくても、この子がいる。

マリオネットの手に巻鍵を持たせる。

マリオネットは静かに静かにリュフワに忍び寄る。


2人は激しく攻撃し合っていて、クラピカも傷を負っている。リュフワのせいで、クラピカが……。
「っ………!」
クラピカが攻撃し、リュフワが体制を崩した瞬間を狙ってマリオネットで背後から奴に巻鍵を挿した。

「からくり人形(オートマタ)!」

リュフワはピタリと動きを止めた。

やった……。
マリオネットがジジジと音を鳴らして巻鍵を一回転させる。

「名前!」
次の瞬間、私はガクリと頭を垂れた。
「大丈夫……」
私を支えてくれたクラピカの手を左手でそっと握る。
こうしている間にも指先さえ動かなくなってしまった。
意識が朦朧としているけれど、力を振り絞る。


これで、最後だから。


「リュフワ、キルアとゴンを檻から出して」
私がそう言うとリュフワはすっとその場を去った。
私も肩を押さえて立ち上がると、クラピカが脇から支えてくれた。

からくり人形(オートマタ)は巻鍵を挿してネジを回すことで、対象者の意識を残したまま行動を操ることができる能力だ。一巻き(一回転)で1時間。つまり、今回リュフワを操れるのは1時間。

リュフワは大人しくキルアとゴンを檻から出した。

「名前大丈夫!?」
キルアとゴンが駆け寄ってくる。私は微かに笑みを浮かべた。
「大丈夫、ありがとう」
勝負がついたら、2人にもお礼をしないといけない。

すぐにリュフワに視線を戻す。
ずっと注がれている舐めるような視線が気持ち悪い。彼は私から目を逸らさない。
一つ大きく息を吐き呼吸を整える。

「剥製人形を、生きている人間に戻して……」
リュフワはあいも変わらず私をまっすぐに見据えている。

一瞬、リュフワの顔に笑みが浮かんだ気がした。

「そうした方がいいのだろうけれど…それはできない。ボクの作品たちは永遠にあのままだ。再び時を動かすなんてあの子たちへの冒涜だよ」

呆然とリュフワを見る。
操っているのにこの返答ということは、本当にもとに戻すことはできないのだ。

もう戻らない。
兄はもう、永遠に戻って来ない。

予想していたことだけれど、心が受け付けようとしない。

「お前は…私の、」

「大切な人を奪っていく」

氷のように冷たい自分の声が頭の中で響く。

いや、実際に声に出していたのかもしれない。

兄は剥製人形にされてしまった。動かない兄を、瞬きもせず冷めきった目で私を見る兄を、この目で見てしまった。もう、言葉を交わすことも、笑い合うことも、恩返しをすることも…。
奴はそれだけでは飽き足らず、クラピカまで苦しめた。私からすべてを奪おうとする、コイツを、



腕が動かない。

見上げるとクラピカが暗い目をして私の腕を掴んでいた。私の手にはナイフが握られていて、リュフワを刺そうと振りかぶっている状態で、固まっている。

今、私は目の前のコイツを殺そうとしたのか……。


腕の力を緩めるとクラピカも私の腕から手を離した。ナイフを抜き取ったときに擦ったのか、足に切り傷ができている。

「名前」
静寂に包まれた空間にクラピカの細い声が響く。
しかし、その先の言葉が出てこない。クラピカは苦しそうに眉を寄せて歯を食いしばっていた。

「クラピカ」
私がその名を口にすると、クラピカはゆっくりと口を開いた。
「私は旅団の一人を殺した。この手で、人を殺めた」
「……うん」
クラピカが旅団を倒した、つまり殺したということは知っていた。それを知ってとても胸が苦しくなった。自らそのことを告げる今のクラピカも、顔を歪めて苦しそうだ。その姿を見て、より一層胸が締め付けられる。
「私にこんなことを言う資格はないかもしれないが、名前に人を殺してほしくない。私のような思いをしてほしくはない」

それが、クラピカの本心なのだ。クラピカは旅団の一人を手にかけたことを引きずっている。後悔はしていなくても、その錘を一生背負って生きていくのだろう。

だってこんなに苦しそう……。


「…………」
私はクラピカの訴えに答えることなくリュフワに近づいた。
左手のナイフをレッグシースに戻す。

「私、そして他に生きている子どもに念をかけているならその子たちの念を解いて」
「ああ……」

リュフワはゆっくりと私に近づいてくる。
私の念で操っているとわかっていても、思わず逃げ出したくなるような視線だ。

彼は目を見開いたまま何かの言葉をブツブツと唱えた。
そして肩の紋様に手を添えた。
感覚がなくても、触れられたという事実だけで身体全体が強ばる。

クラピカが、まだ感覚のある左肩を優しく包んでくれた。

リュフワの手が離れる。
右腕にじんじんと痺れる感覚がある。試しに動かしてみると、指先まで違和感なく動かすことができた。右肩を見てみると紋様も消えている。


リュフワを見ると見開いた目から一筋の涙が頬に伝っていた。彼にとって剥製人形が人生の全て、世界の全てだったのだろう。
操られているとはいえ、本能的に涙を流しているのかもしれない。

もう、私みたいな思いをする人が出てこないように。

私はゆっくりとレッグシースからナイフを抜き取る。
「名前……!?」
左肩にあるクラピカの手にグッと力が入る。



そして私はそのナイフをリュフワに向けて振りかぶった。












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