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影浦くんの笑顔を初めて間近に見た日以降、私は彼の姿を目にしていない。とはいえあれから一週間ほどしか経っていないのでそれは特に珍しいことでもない。接点の少ない彼とはそう頻繁に顔を合わせられるものではないのだ。

だからこそ彼に会えるかもしれない今、ほんの少し胸が高鳴っている。
昨日私の作戦室に訪れた光ちゃんは一枚の書類を忘れていった。それに気づいたのはつい先ほどで、私は今その書類を持って影浦隊の作戦室へと向かっている。
光ちゃんはいつもこたつでダラダラしているイメージが強いけれどオペレーターとしてはちゃんとやっているのだから不思議だ。
抜けているのかそうでないのか疑問に思いながら足を進め、程なくして彼女がいる作戦室へとたどり着く。事前に連絡はしていたので彼女がいることはわかっているのだが、他の隊員がいるかどうかはわからない。
影浦くんもいるのかな。でも彼は本部に来ていたとしても訓練室の方に行ってそうだしな。
彼と会えるかもしれないと期待しすぎる心を静めるように自分に言い聞かせて、ノックをしてから扉を開ける。

「お邪魔します」

私が来ることは伝えていたため中から返事があるものかと思ったが、入り口から見える範囲に人の姿はない。光ちゃんと仲が良いとはいえ実は影浦隊にお邪魔したのは数えるほどしかない。待ち合わせならラウンジで十分だし、他の隊に用事があるにしても隊長自らが向かうことが多い。そのため他人の家にお邪魔する時のような緊張感や遠慮は拭えない。少なくとも私には影浦くんのような堂々とした振る舞いができるほどの図太さは持ち合わせていないから。
声が小さくて聞こえなかったのだろうかと一歩室内へと足を進める。もう一度声を出してみようかと悩みながらその場に立ったまま身体を伸ばしたりして室内を見渡したりしていると、ふと隣の部屋から光ちゃんの声が聞こえた。あそこは確かこたつが出ている部屋だ。
彼女の居場所がわかったことに安堵しつつ遠慮がちに部屋の中を覗いてみる。

「あ、名前」
「わー苗字ちゃんだ。久しぶり」

そこには案の定こたつに潜って横になっている光ちゃんがいた。彼女だけではなく北添くんとユズルくんの姿もある。

「北添くん久しぶりだね。ユズルくんもお疲れ様」

こたつの傍に膝をついて座り、彼らに笑いかける。
北添くんは光ちゃん経由で知り合ってそこそこ仲良くさせてもらっているが、とても穏やかで優しい人だと感じている。ほんわかしていて、彼と話しているとこちらの気持ちも解れてしまう。ユズルくんも同様に光ちゃん経由で知ってはいるが彼の方はあまり話したことはない。彼自身口数が多い方ではないが、挨拶をすればきちんと返してくれる良い子だ。現に今も、お疲れ様ですと控えめに頭を下げてくれた。そんな彼を見てにこりと笑いかける。

彼らの雰囲気といい、このこたつといい、適度に散らかった部屋といい、ここがボーダー内だと忘れてしまうほど和やかな空間で癒される。ほんわかしつつもここに来た目的を早めに達成してしまおうと書類を光ちゃんに渡しかけるも、ゴロゴロしている彼女を見て思い改める。書類を今ここで渡してもこの部屋のどこかで行方不明になってしまいそうな気がする。

「あっちのオペ用のデスクに置いておこうか?」
「うんよろしく〜」

寝ころびながら片手を上げる光ちゃんに頷いて立ち上がる。入り口から見えたデスクの上に書類を置いたちょうどその時、奥の部屋から人影が現れた。ハッと顔を上げてその人物を視界に入れた瞬間、あ、と声が漏れそうになって寸前で飲み込む。

「……お邪魔してます」
「おー」

ぺこりと頭を下げると、マスクをしていない影浦くんはそう短く返事をしてくれたもののそのままじっと私を見据える。彼の顔をちゃんと見たのは初めてかもしれない。ちょっと悪そうだけど整った顔だ。失礼だとは思いつつ彼の視線から目を逸らすこともできずにじっと見つめ合う。

「ヒカリのヤツか?」
「あ、うん。書類を届けに」

こちらを穴が開くほど見ていたのは突然の訪問に疑問を抱いていたからだと気づいたのは、そう問われてからだった。普段なら気づいたであろうその行動の理由にも気づかずに同じように彼のことを見つめ返して自分が恥ずかしい。しかもこちらは彼の素顔を見て惚けていたのだ。感情受信体質という副作用を持つ彼は、先ほどの私の視線をどのように受け取ったのだろう。それ以上は考えたくなくて思考を止める。穴があったら今すぐ入りたい。

羞恥で顔を伏せた私に構わず、ふーんと気のない返事をした彼は共用で使っているのであろう四人掛けのデスクに向かって歩き出す。その隙に私は書類を渡したことを告げるためにそそくさとこたつ部屋へと戻った。

「光ちゃん。書類、デスクに置いといたよ」
「サンキュー」

よし、もう帰ろう。本当はもう少しゆっくりしたかったのだが、そうはいかなくなってしまった。彼に合わせる顔がない。名残惜しく思いながらも別れを告げようとしたちょうどその時、北添くんが私の方を向いてにっこりと笑う。

「苗字ちゃんみかん食べる?」

彼のにっこりと優しい笑顔を見て私はぐっと手を握りこんだ。

こたつに、みかん、そして極めつけは北添くんの笑顔。


……断れるはずがなかった。


食べる、と告げた私は緩慢な動作でこたつへと歩み寄る。
まあ影浦くんがこの部屋に来るとは限らないし、ここで時間をつぶして先ほどの恥ずかしい行いを忘れた頃にここを出た方がいいかもしれない。なんてツラツラと自分に言い訳をしながら入り口から一番近い場所に座らせてもらう。目の前にはユズルくん、右隣りに北添くん、左には光ちゃんがいてこれで四辺は埋まってしまった。机のサイズがそれほど大きくないためこたつの中は少し狭く、足を小さく折りたたまないと確実に誰かの足に当たってしまう。でもこのぎゅうぎゅう感もいいんだよねと思いながら北添くんからみかんを受け取る。こたつにみかんなんてなんともベタで癒される。
猫がいれば完璧だなと思っていると、光ちゃんがのっそりと起き上がり今度は机の上に頭を乗せてまどろみ始めた。その様子が猫のようで、思わず目を細める。

「よしよし」
「んー?」

猫をかわいがるように頭を撫で、うっすらと目を開けた光ちゃんに微笑む。

「猫がいればなあって思ってたの」

そう言って頭を撫で続けると気持ちよくなったのか彼女はむにゃむにゃと口を動かしながら目を瞑った。

「和むなあ」
「和むねえ」

ほんわかと呟いた北添くんに笑顔を返す。
彼がみかんを食べているのを見て私も食べようといったん彼女の頭から手を離し目の前に置いたみかんを手に取る。そういえばみかんってヘタかおしりどちらかから剥いたら白い筋がきれいに取れやすいって聞いたな、と思いながら手の中でみかんを回しながら眺める。

「カゲさん」

なんの前触れもなく目の前のユズルくんがぽつりとその名前をつぶやき、思わず手の中のみかんを取り落としそうになった。顔を上げると入り口が見えやすい位置にいるユズルくんが入り口の方を見上げていた。振り返ると案の定そこには影浦くんが立っている。
彼と顔を合わせると気まずいということよりも、早くこたつを出なければという気持ちが大きかった。このこたつは四人が定員だ。五人入ろうと思えば入れるだろうが絶対に足が当たってしまうし何より窮屈になることは必然である。本来の彼の居場所が今私がいる場所なのであれば、私が出るのが当然である。
しかし私のそんな考えは杞憂に終わった。
私があれこれと考えている間に部屋に入ってきた彼は私と光ちゃんの間におもむろに腰を下ろした。慌てて端によってスペースを空けると彼はその隙間からこたつに足をつっこむ。

そして、こたつ部屋が一瞬静寂に包まれた。

こうなってしまっては今更出ていけない。今出たら彼を避けたようでむしろ感じが悪い。この時私は彼の素顔に惚けてしまって恥ずかしい思いをしたことなどすっかり頭から抜けていた。そんなことよりも触れ合った腕や足に意識が集中していてこたつ部屋が静まり返っていることにすら気がついていなかった。

狭いこたつの一辺に身を寄せて座る隣の彼は平然とスマートフォンをいじっている。物理的にも精神的にも他人との距離を取りたがる人だと思っていたけれど、案外彼はこうして身体が触れ合う距離にいても平気な人なのだと内心驚く。どう見ても私の方が動揺している。あるいは、影浦隊はよくこうやってみんなでこたつを囲んでいるのだろうか。だから案外ここでは他人との距離感が近くても大丈夫なのかもしれない。こたつ効果だろうか。

「こたついいね」

影浦くんが平然としているならばと思い切って彼に話しかけると、彼はスマホから目を離す。

「ほとんどコイツが占有してるけどな」

そう言って机の上でまどろんだままだった光ちゃんの頭を掴んだ。本当に眠っていたのかビクリと肩を揺らした彼女が、んあ、と間抜けな声を出して顔を上げる。
そんな二人のやり取りを見て自然と笑みが零れる。まるで兄妹のように仲が良い。
そんな二人を前にユズルくんは我関せずといった態度だが、北添くんもニコニコと微笑んでいた。和むよねえと言おうとしたところで北添くんの視線が光ちゃんではなくこちらを向いていることに気がつく。もしかして私を見ていたのかと首を傾げるとニコニコとした笑顔が深まった。

「どうかしたの?」

意味ありげなその笑顔を不思議に思い尋ねると北添くんは内緒話でもするかのように身を乗り出したため、私も彼の方に身体を傾けて耳を貸す。

「カゲがマスク外してこんなに近い距離で話すのが珍しいなって」
「え……?」

小声で告げられた言葉がどういう意味なのかがわからない。

「こたつに入ってるからとかではなく?」
「こたつ?」

不思議そうにそう復唱した北添くんは笑って言葉を続ける。

「場所は関係ないよ。親しい人以外では滅多にないかな」

私はしばらく目を丸くして北添くんを見つめた。しかし彼は冗談を言っているわけでもなさそうで、変わらずニコニコと慈愛に満ちた笑みを湛えている。

それってつまり、少なくとも私は彼にとって近くにいても不快ではない存在であるということなのだろうか。不快ではない、なんて一見プラスでもマイナスでもない評価だが、彼の場合そこが重要である。どうやら私は彼のパーソナルスペースに入ってもいい存在だと認められているらしい。ぎゅうっと胸が締め付けられるほどその事実が嬉しくて、つい笑みが零れてしまう。にやけた顔とほんの少し熱くなった体を紛らわすように、ヘタの方から剥いたみかんを一粒口に含んだ。




お題 - いい奴だなと思った




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