Day 6


Day 6



その日の夜、名前の身体は悲鳴を上げていたが、なかなか寝つけずにいた。
早く寝たいと考えれば考えるほど頭がどんどん冴えていく。羊を数えてみたり、雲の上に浮かんでいるイメージで体の力を抜いてみたりしても、全く眠気はやって来ない。やがて目を瞑っているのも苦痛になってきて名前はぱちりと瞼を開いた。
少し身体を動かした方が気分転換になって眠れるだろうか。
そう思った名前は気怠い身体を起こし、音を立てないようにゆっくりと自室を出た。

サクサクと音を立てて芝生の上を歩く。適当な場所で立ち止まり腰を下ろした。
真っ暗なキャンバスに点々と散りばめられた星を見上げながら深く息を吐く。
熱はないのにずっと身体がだるい。環境の変化に体がついていっていないにしてももう3日目だ。それに、日に日にだるさが増しているような気がする。本当に、自分の身体はどうしてしまったのだろうか。はやく、ここから出たい……。
体調不良で心が弱っているのだろう。夜空に散りばめられた星たちがじわりと滲んだ時、カサリと背後で草を踏む音がした。

ハッと振り返ると、そこに立っていたのは自身の上着を手に持った天海だった。

「悪化するっすよ」
柔らかい笑みを浮かべた天海は名前に近づき、手に持っていた上着をふわりと名前の肩にかける。
「天海くん……」
慌てて目が痒い風を装って滲んだ涙を拭う。天海は名前のそんな仕草を見て見ぬふりをしているのか、名前の隣に腰を下ろし同じように空を見上げた。
「なかなか治らないっすね、名字さんの体調……」
「うん……」
彼の声を聞きながら、名前はぎゅっと膝を抱え込んだ。心な弱くなっているのか、体調のことも、この状況も、ここから出たあとのことも、全てが不安になってくる。
大丈夫だよ、明日には体調良くなってるかも。それに、あと少しの辛抱だから。
そう言おうと思うのに、口がうまく開かない。

すると、不安を感じ取ったのか天海がふわりと名前の頭を抱え込んだ。
安心させるようにゆっくりと名前を包み込んで頭をなでる。

「大丈夫っす。何があっても、俺が名字さんの側にいるっす」

どくり、と心臓が跳ねた。彼の腕に包まれながら、囁かれた言葉に身体が硬直する。
どういう意味……?
咄嗟に意味を汲み取れなくて、名前は顔を上げる。
目と鼻の先にある彼の垂れた目がすっと細められた。
「あ……私もう部屋に戻るね。上着、ありがとう……おやすみ」
さっと彼の腕の中から抜け出し、肩にかけてくれた上着を急いで畳んで彼の腕に押し付けた。おやすみなさい、という天海の声を背後に聞きながら早足で自室に戻る。せっかく優しく声をかけてくれたのに逃げるように去ってしまうなんて失礼だ。頭ではわかっているのに、あの細められた瞳を見た瞬間、咄嗟に逃げてしまった。顔が熱いし、なんだか心がざわつく。
なぜタイミング良く現れたのか、なぜ上着を持っていたのか、なぜ名前に優しい言葉をかけたのか。
部屋を出るときよりも騒がしくなってしまった胸に手を当ててぎゅっと目を瞑る。きっと、天海は人一倍優しいんだ。そう結論づけて、名前は心を落ち着かせるように静かに息を吐き出した。





目が覚めると、時計の針が11時を回っていた。昨日の夜は眠りにつくのが遅かったから寝坊してしまったようだ。
支度を済ませてフラフラと食堂へ向かう。ここ数日ずっと自室と食堂の往復ばかりだな、なんて思いながら扉を開けると、みんながお昼を食べているところだった。
「名字さん!!!」
寝不足にの頭にキンと響くような大声で叫んだ茶柱が名前の顔を見るなり目の前の食欲そそる食事を放り出し駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか!? 最近なかなか姿をお見かけしなかったので心配しましたよ!? 体調はまだ回復しないのですか!?」
まくしたてる彼女に若干引きつつ大丈夫大丈夫と笑みをこぼす。茶柱に続くようにして赤松や白銀などといった女性陣が心配そうに名前の様子を伺う。
「今朝は起きてくるのが遅かったみたいだから地味に心配したよ〜」
「大丈夫? 悪化したの?」
心配そうに顔を覗き込まれ、名前は微笑を浮かべて両手を掲げてフリフリと振る。
「昨日なかなか寝付けなくて起きるのが遅くなっただけだよ。体調はまだ良くなってないけど、だんだん慣れてきたから大丈夫」
優しい女の子たちに囲まれながら促されるようにして席につく。本当に、みんな自分のことのように心配してくれる。もしかしたら体調不良の初日に看病してくれたのは女の子の誰かなのかもしれない。だってこんなに優しいんだったら看病なんて当然のことで、特に話す必要もないから言ってなかっただけ、なんて。
「ねえ、もしかして私が寝てる間に看病してくれてたり……する?」
思わず隣にいる茶柱に尋ねるも、彼女は青天の霹靂といった表情を浮かべたあと、悔しそうに歯噛みする。
「ハッ! 転子としたことが、そんなことに気が付かないなんて……! すみません名字さん! 勝手にお部屋にお邪魔するのは気が引けますが、名字さんの望みならこの転子24時間名字さんの看病をします!」
「いや! そういうつもりで言ったんじゃないから! 大丈夫! 本当に大丈夫だから!」
いやでも、と引き下がらない茶柱をなんとか説得し、名字はふうと息を吐き出した。他の女の子にも尋ねてみたがみんな似たりよったりな反応だった。勝手に部屋に入ったら、流石に報告するよ、と。やっぱりそうだよね、と納得しながらも心のモヤは濃くなるばかりだ。じゃああれは一体誰の仕業だったんだろう。悪いことをしてるわけじゃないのだから名乗り出てくれてもいいのに。まあ今さら名乗りにくいのかな。
モヤモヤを忘れるように女の子たちとお喋りしながら食事を済ませる。久々に楽しい時間を過ごせた気がして、ここ数日自分が塞ぎ込んでいたことに気がついた。

まだ問題が解決したわけではないけれど、心が少し軽くなったような気がする。
話しすぎて疲れた名前は楽しくお喋りする女の子たちに後ろ髪引かれる思いで別れを告げ、自室に戻る。ベッドに潜り込み瞼を閉じると、寝不足だったのかものの数秒で意識を手放した。



ふうっと意識が浮上する。
重い身体を起こし時計を見ると短針が5を指していた。夕方の5時か、早朝か。時刻を確認するために外に出ようと立ち上がったところでフラつき名前はぽすりとベッドに座り込んだ。朝よりも身体が重いし頭もボーッとする。ついに発熱したかな、と考えながらふらつく身体に力を入れて立ち上がり玄関の扉を開けた。

「あれ、名字ちゃん」

ちょうど隣室の王馬が自室に戻るところだったようで、のそりと出てきた名前と扉に手をかけた王馬の視線がかち合う。
「王馬くん……」
ぼんやりと呟いた名前は王馬から視線を外し外の景色を確認する。空が明るい。ということは今は午後の5時なのだろう。時間がわかったところでもう一度自室にこもろうとする名前の腕が何者かによって引っ張られた。素直に振り返ると真顔の王馬が名前を見つめている。そういえばさっき王馬と視線があったな。
じっと大きな瞳が名前を見つめ、名前も何故か視線が外せなくてじっと見つめ合う。そのまま王馬の瞳に吸い込まれるようにして彼の顔と名前の顔が近づいていく。
あれ、キスするのかな。
ぼんやりとそんなことを考えた名前は、それはダメだと顔を反らそうとした。しかし王馬の両手が名前の顔を包み込み離さない。しっかりと顔を固定された状態で王馬の顔が更に迫ってくる。瞳、紫色でキレイだな。
なんともトンチンカンな感想が頭に浮かんだ名前が目を閉じたその時、名前の額にコツンと王馬の額が合わさった。

「名字ちゃん、熱あるね」

その声を合図に目を開けると、距離を離した王馬がニコリと口角をあげて愛想の良い笑みを浮かべていた。


ああ、王馬くんだ……。


名前は不思議と心が軽くなったのを感じ、彼に笑いかけるようにへにゃりと表情を緩めた瞬間、身体からも力が抜けた。





熱い……息も苦しい……。
それに加えてとても身体が重いのに、フワフワと宙に浮いているような不思議な感覚。
今までに感じたことがない、不快な感覚だ。

徐々に意識がはっきりとしてきて、衣擦れの音が聞こえることに気がついた。重い瞼をゆっくりと開ける。

「名字さん目を覚ましたのね」
「とうじょうさん……」
私は意識が朦朧としたまま、ローテーブルの上で裁縫道具を手にした彼女の名前を呼んだ。身体を起こそうとするもうまく力が入らない。

「まだ無理しちゃだめよ」

パタンと裁縫道具を仕舞った東条がスカートを畳みながら名前に声をかける。
身体が熱くてダルい。

でもさっきよりは意識も戻ってきた。
ここは名前の部屋のはずなのだが、なぜ他の人が入って来ているのか。そして名前の身体に何が起こっているのか。この感じ、熱っぽいけれど今までに経験がないくらいのしんどさを感じていた。

「えっと……?」
回らない頭で必死に考えるも、ただしんどいだけだった。
そんな名前の様子を見て、きれいに畳んだスカートをテーブルの上に畳まれているブラウスに重ねるようにしておいた東条が名前の頭を撫でながら状況を説明してくれる。よく見ればそれは名前がいつも身につけているスカートだった。

「勝手に部屋に入るという手荒な真似をしてしまってごめんなさい。あなたに熱があると王馬くんに聞いて看に来たのよ。スカートの裾がほつれていたからついでに直しておいたわ」

もう今日から私を斬美ママの娘にしてください……。
謝罪と感謝の言葉をしつこいくらいに述べる。まだ熱があるのだから安静にしてね、と斬美ママに叱られながら名前は再び身体をベッドに沈めた。体調が優れていなかったのはわかっていたが、まさかこんな高熱になるなんて思っていなかった。

熱い身体に反して、みんな優しいなあ…なんて生温い感想しか出てこない。
「ありがとう……そういえば、王馬くんは……」
状況を理解しつつある名前はふと浮かんだ疑問を口に出した。熱っぽい身体を引きずって扉を開けると王馬がいて、熱があると言われてそこで意識を失ったのだ。その時の自分を思い出して名前はぼっと顔を赤く染める。王馬の顔が近づいてきて、そして自分は……。そこまで考えて思考を止める。また熱が上がりそうだ。

「彼は私にあなたのことを伝えるとどこかへ行ってしまったわ。また戻ってくるというようなことを言っていたけれど」

また戻ってくる。

その言葉に名前の心はまたふわりと軽くなった。それを自覚して、名前はぐっと顔を顰める。
心配する東条に何でもないと告げたところで限界が来たのか、名前はまた意識が朦朧とし始めた。





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