あなたには敵わない


名前が倒れた、と仕事中である彼女の親から一報を受けた時、心臓が止まるかと思った。
心臓が止まるかと思った、なんてありきたりな表現だが、ぐうっと肺や心臓が締められて呼吸すら止まってしまう。この使い古された台詞は、こうなった人にはそれ以外考えられないほど的確な表現だと納得せざるを得ない。

今日がオフの日でよかった。

学校関係者に見つかったら確実に問題になるであろう荒っぽい運転で名前の学校へと向かう。
赤信号に引っかかるたびに爪を噛んだ。
ようやく名前の学校についた頃には爪の間から痛々しい肉が見えそうになっていた。


用務員に案内してもらい、名前がいるという保健室に向かう。自分の前を歩く案内人はにこにこと人当たりのいい笑みを浮かべるが、早く案内してくれ、と逸る気持ちを抑えられずいい気分にはなれなかった。
漸く着いた保健室の扉をガラリと開けると薬品の匂いがツンと鼻をつく。見覚えのある名前のジャージやポーチを纏めていた保険医が振り向いた。
「名字名前さんのご家族の方ですか」
「……はい」
本当はただの遠い親戚です。
心の中の誰かが言う。

「公ちゃんごめんね……」
声が聞こえたのか奥のベッドに横たわっていた名前が緩慢な動作で身体を起こした。
「部活中に倒れてしまったようです。おそらく寝不足による貧血でしょう。このところ無理をしていたようですね」
保険医の説明を背中で聞きながら名前に歩み寄る。その顔は一見してすぐにわかるほど青白く、へへと力なく笑う彼女の顔からはほとんど精気が感じ取れない。


生徒受けの良さそうな保険医から名前には重いだろう彼女の鞄を受け取る。
「何よりもまず十分な休息と、鉄分の多い食事をとってください」
これまたありきたりで、最も的確な台詞を吐いた保険医に礼を言い、まだフラつく様子の名前を支えながら歩き出す。
彼女の背中はこんなに骨張っていただろうか。こんなに小さかっただろうか。こんなに、軽かっただろうか。


彼女の家についてすぐに布団に押し込むと、彼女は気を失ったように眠りについた。
倒れた原因は大方予想がつく。王城正人の怪我に酷く落ち込み、漸く元気を取り戻し始めたと思った矢先のことだ。落ち込んでいては始まらないと寝る間も惜しんで無理を重ねていたのだろう。

ふと名前の様子を伺うと彼女のこめかみがキラリと光る。それは閉じられた目から流れ落ちていて、彼女の我慢していた何かが一緒に流れ落ちたらいいのにと柄にもなく願いながら目元を拭った。




「公ちゃーん?」
「起きましたか」
パタンと読んでいた本を閉じソファから立ち上がる。自室から出てきた名前の顔は幾分かマシになっているようだ。
「体調はどうですか」
「うん。さっきよりは良いかな」
まだ万全ではないのだろう。誤魔化すような言い方をした名前はきゅっと口を結び勢いよく頭を下げる。
「公ちゃんごめん! 大事な休日なのに……」
「…………」

咄嗟に言葉が出てこない。呆れてものも言えないとはこういうことを言うのか。
亜川はふうと息を吐き出し名前の小さな頭部に向き直る。

「本当に反省しているなら無理をしないこと」
「う……はい」
しょんぼりと肩を落とす名前は本気で落ち込んでいるようだ。それくらい反省してもらわないと困る。次またこんなことがあったら今度こそ本当に心臓が止まってもおかしくない。
心配をかけさせるなとは言わない。ただ、自分を追い込み過ぎないでほしいだけだ。彼女の両親は二人とも仕事人間だ。そういう部分を受け継いでしまったのだろうか。
しかしまだ本調子ではない人間にくどくど言っても仕方がない。
項垂れる名前の頭にぼんと手を置く。

「それに、元々今日は僕の家に来る予定だったのでしょう。それが名前の家になった、それだけのことですよ」
「家に行こうとしてたのバレてる……」
目を見開いた名前の顔をニヤリと笑いながら眺める。保健室に入った時に保険医が手にしていたのが、亜川の家に来る時にいつも持ってくるジャージやポーチだったので気づいたのだが、それは教えてやらない。


「そういえば名前が眠っている間、何回かスマホが鳴っていましたよ」
「あ、慶たちかな!? 絶対心配させちゃってるから」
急いでカバンを開けスマホを取り出すと、案の定カバディ部の面々からの連絡が入っていた。
大丈夫か、無理しないでください、など名前を心配する言葉が並んでいるのを見て胸が苦しくなる。
本当に何をやっているんだ、自分は。

「親に似たんでしょうかね……」
「え?」
殆ど独り言のようなそれは、名前の耳にも届いていたようだ。スマホから顔を上げた彼女のキョトンとした間抜け面を見返す。
「そうやって自分が納得するまでとことんやらないと気がすまないところですよ」
「あぁ〜、うーん……」
納得したのかしていないのか、名前は一つ頷いたものの顎に手をやり斜め上を見上げる。そして、答えを見つけたのかにっこりと笑った。
「親譲りでもあるけど、公ちゃんの血も混じってると思うな」
「……は?」
わけがわからず、今度は自分が間抜け面になる番だった。確信犯であろう名前はぽかんとする亜川を見て楽しそうに笑う。
「だって公ちゃんも相当な努力家でしょ。参考書の数、私より多いの知ってるよ」

ああ、幾つになってもこの娘には敵わないのだな。
少し眉を釣り上げて笑う名前の頭に手を置き、薄く笑うことしかできなかった。




「ご迷惑とご心配をおかけしまして、誠に申し訳ございません」
明けて月曜日の放課後、部活を始める前に名前はみんなの前で頭を下げた。ぎゅっと拳を握りしめ、直角に腰を曲げる。

「無事に戻って来てくれて良かったです」
「名前さん心配しましたよ〜」

「本当にごめんね」
選手を支える側なのに、逆に心配させてしまったら元も子もない。おまけに水澄たちは名前の顔を見るなり頭を下げたのだ。体調の変化に気づけなくてごめんと。
体調管理に関しては口酸っぱく言ってきた側なだけあって、居たたまれない。

「あの、このこと正人には……」
「あいつには言ってない。病院から脱走されても困るからな」
「慶……みんな、ありがとう……」
おそらく王城に告げていない理由の半分は、名前が知られたくないと主張すると予想していたからだろう。もう半分は、井浦が言っている通り面倒なことになりそうだったからだと思うが。

マネージャーとしての信用を失いかけないことをしてしまったのに、名前の意思まで汲んでくれて、彼らには頭が上がらない。

「本当に、ありがとう……。私、もっと頑張るよ!」
「いやだからそれが駄目なんすよ」


目に涙をためて笑う名前の額を、去り際に井浦がコツンと弾いた。





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