あなたのいるこの世界


亜川は大山律心の指導者になるにあたり、学校に行きやすい場所に引っ越した。2LKの部屋だが、一人で住むには少々広いように感じる。まだ封を開けていないダンボールの山に囲まれてカップ麺を啜る姿は虚しいの一言に尽きるだろう。
食事を終えてカップ麺のゴミを袋に入れた時、タイミング良く来訪者を知らせるベルが鳴った。


女子高生が一人増えるだけで、今まで色が見えていなかったのかと疑うほど、この無機質な部屋が色鮮やかになる。
「公ちゃんの私物大公開スペシャル!」
「プライバシーの侵害です」
「ではまずあのダンボールから!」
眉間にシワを寄せる亜川を無視し、名前は積まれたダンボールに手をかける。今日は亜川の荷解きを手伝いに来た。来なくていいと言った亜川を、荷造りを手伝えなかったからという理由で押し切った。

名前がダンボールを下ろそうとしているのを見て、亜川はため息を吐きながら名前に手を伸ばす。
「名前は食器の整理をお願いします」
そう言って名前の背後から腕を伸ばしひょいとダンボールを床に下ろした。名前はそのたくましい腕の動きを見届けて、にこりと顔を綻ばせる。
「ありがとう」
亜川はこくりと頷き、降ろしたダンボールのテープを剥がし始める。その背中は日本代表として活躍していた全盛期の頃と比べれば小さくなってしまった。それでもこんなに逞しい。なんだかノスタルジーな気分になりながら名前も荷解きに取り掛かる。

先日来たメールは、亜川の新しい住所を記したものだった。「引っ越したら連絡ちょうだい!」と再三言っていたのだ。

荷解きを手伝うと言っても数時間で終わってしまうだろう。それを見越して名前は午後になってから荷解きを手伝いに来た。それほどこの男の荷物は少ない。必要最低限のものしか置いていない部屋は亜川の繊細さを表しているようだ。


名前が予想していたとおり、午後五時半には荷解きが終わった。どかりとソファに腰を下ろし、ふああと気の抜けた声を出す。ダンボールを畳み終えた亜川がそっと名前の隣に腰を下ろした。
「お腹空いた……」
半日動きっぱなしだったのでさすがに体力を消耗しているのだろう。外はまだ明るいが、もう晩ごはんにしてもいいかと座ったばかりのソファから離れる。お腹を満たす方が先だ。
すでに設置されていた冷蔵庫を開けるも、案の定ペットボトルのお茶くらいしか入っていない。
「まだご飯を作れるほどの具材はないかあ」
冷蔵庫の中を覗き込みながらポツリと呟く。

亜川は名前の独り言を聞きながら、それはそうだろうと心の中で呟く。ここに来てから買ったのはお茶とカップ麺くらいなのだから。
名前の行動を見ていると自身の胃も空っぽであることに気づく。一度意識しだすと急にお腹が減ってくる。今日は名前を送ってからそのままどこかへ食べに行こうか。

「仕方ない、今日は外に食べに行こっか」

パタンと冷蔵庫の扉を閉めた名前はうんと伸びをする。見えそうで見えない名前のお腹に気を取られつつも、亜川は名前の顔をしっかりと捉える。その目は子どもがイタズラを考えついた時のように爛々と輝いている。
「ご飯はこっちで食べて帰るのですか」
今日は名前の両親がいない日かと思いながら亜川が問うと、名前はにこりと笑みを深める。
「いや……今日は帰らないよ」
「……はあ?」
「だから、今日はここで泊まっていくつもり。明日もオフだし問題ないよね」
名前の瞳が切なげに亜川を求めていると感じるのは気のせいだろうか。
名前は考え倦ねる亜川を他所に自分の荷物からスマホを取り出す。よく見ればそのリュックも荷解きを手伝いに来たにしては不自然に膨れ上がっている。

前の家にだって何度泊まったかわからないほど名前は亜川の家にお泊りしているから、今更抵抗することもない。
「ほら行こう。お腹空いた」
にこりと笑いかける名前に、亜川は黙って財布とスマホを手に取る。この笑顔の裏に隠された寂しがり屋の名前を見捨てられる亜川ではない。
「何食べたい? この辺どんなお店があるんだろうね」
弾むような名前の声を聞きながら、結局いつも名前の思い通りに動いてしまう自分に苦笑を漏らす。

名前は最近王城正人の怪我でかなり落ち込んでいた。珍しく電話がかかってきたと思ったら鼻声で亜川の名前を呼んだものだから、一も二もなく名前の元へ向かった。その日はただ一緒にご飯を食べて家まで送った。別れ際の名前の安心しきった顔を思い出すと、亜川の硬い表情筋も緩む。
名前の笑顔を取り戻せるのが自分であることを誇りに思うと同時に、名前の一喜一憂を左右する王城正人という存在に子供じみた嫉妬も感じている。
名前がはっきりと口にしたことはないが、名前が王城に好意を寄せているのは確実だろう。それはかつて名前が物心もついていない頃に自分に寄せていたものとは比べ物にならない想い。それがまた自分と同じ努力型の人間であり、自分と違って結果を残し将来有望な同年代であることに居心地の悪さを感じる。


「あの店にしよう! パスタ食べたい!」
今ではすっかり元気を取り戻し王城の復帰を待っている名前。

子どもの頃と同じあどけない姿を見せるのは自分だけだと、その無邪気な名前を見て歯を噛み締めた。




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