papierene Hochzeit

 ことこと、くつくつと野菜が踊る。暖炉に吊り下げられた鍋いっぱいに、色とりどりの、ざく切りの野菜たち。みな、昼過ぎから煮込まれて芯まで柔らかく、薄味のつけられたスープの中を揺蕩っている。
 その隣の金網には、詰め物をした鳥の丸焼きがひとつ。肉汁が燃え盛る炎へ落ち、時折小さな音と煙を立てる。
 大きく開け放たれた窓からは夏の訪れを知らせるさわやかな風が吹き込み、レースのカーテンをゆるりと揺らす。窓辺の小さなフラワーポットには、淡い色合いの花々が寄せ植えにされていた。
 その前を、香辛料の入った瓶がひとつ、ふわりと横切る。まな板の近くから飛び立った小瓶は、壁の棚へ近づく。同じデザイン、同じサイズ、数色の蓋が並べられた棚からは、別の小瓶がおもむろに飛び上がった。自分の居場所へ帰ろうとするもの、今から役立とうというもの。二つのガラスの小瓶は空中でぶつかり、包丁の音だけが響く静かな部屋の中に、がつん、と少々賑やかしい音を響かせた。
 その音に、包丁の音が止まった。振り返った金色の瞳が片眼鏡の奥で、訝しげな色を見せる。
「……あら、動線を間違えたかしら」
ルージュのひかれた唇が、小さく独り言ちる。棚の近くへ歩み寄り、床へ片膝をつくと、転がる二つの小瓶を拾い上げた。片眼鏡とは反対側の側頭部で結い上げられた金色の髪が、窓から差し込む豊かな太陽光を浴びて淡く光り輝く。
「後で魔法をかけ直さないと」
 瓶を一つずつくるりと回しながら、もう一度小さく呟いて、金の瞳の女性――トゥルームは立ち上がった。小瓶を背後のテーブルに置くと、まな板へと向き直る。
 ざっくりと刻んだ野菜をサラダボウルに移すと、トゥルームは小さく息を吐いた。半袖の白いブラウスから伸びるしなやかな細腕で、額を一度ぬぐう。夕刻が近いとはいえ、太陽はまだ高い。後ろで燃え盛る炎があれば、なおのこと暑い。それに加え、昼過ぎからずっと立ちっぱなしだ。もう一度小さくため息を吐くと、淡い紫色のスカートを揺らしながら、トゥルームは窓辺へと近づいた。森の緑を含んだ風が体を包み、通り過ぎていく。軽く身を乗り出し、窓の外に人影がないことを確かめると、そっと室内へと振り返った。
「……休憩しましょう」
 ため息交じりに言葉を落とすと、台所の端に置かれたピッチャーへと手を伸ばす。鮮やかな緑の葉が入った、緑がかった淡い茶色の液体。グラスへ注ぐと、メリッサの香りがふわりと漂った。その横に置かれた二つの包みにそっと手を触れ、満足げに小さく頷く。
 メリッサの水出しティーを片手に、テーブルへと歩み寄りながら、暖炉の様子へと目を遣る。
夕刻過ぎには、ちょうど食べごろになるだろう。あとは、ソースを煮詰めて、買ってきたパンを並べて、そうしたらあの人を迎え入れて――
 椅子に腰かけ、グラスに軽く口をつけてからテーブルに置くと、片ひじをつく。手持ち無沙汰に、近くにあった小瓶に人差し指を乗せる。倒れない程度にゆるく揺らしながら、金色の瞳を瞬かせ、トゥルームは細く長く息を吐き出した。
 最近、疲れやすくなった気がする。昨年の今頃から比べると、高いヒールや立ち仕事がやや苦手になってきた。魔法の術式を組みあげるのにも時間がかかるし、時折小さな間違いが生まれている。
 これが、年を重ねるということなのだろうか。
 脳裏をよぎった思考に、小瓶を弄っていた手の動きが止まった。手元に目を落としたままゆるく数度瞬いた後、長いまつげを伏せる。
口元には、小さな笑み。
――ならば、受け入れましょう。
心の中でつぶやくと、トゥルームは再び目を上げた。
愛する人と共に、年を重ねていく覚悟を決めたのだ。十年近く外見の年齢を止めていた魔法を解き、もうすぐ季節が一巡りする。
鳥の丸焼きの膏が薪に落ち、しゅわりと音を立てた。その音に、ふと我に返る。窓の外を見れば、先ほどより日が傾いている。
 そろそろ、帰ってくる頃かしら。グラスを煽り空にすると、水場へとグラスを置く。指を一振りすれば、スポンジが飛び上がってグラスをこすり始めた。
 鍋へと近づき、木さじでスープを少しだけ掬う。足りない調味料は何だろうか、と思考を回しているうちに、きぃ、と扉が開く音がした。
「ただいまぁ、すっごく良い香り」
 へにゃんとした笑みを浮かべながら、背の高い青年が入ってくる。海のような青灰色の瞳が、暖炉と、傍に立つトゥルームへとむけられると、その笑顔が一層華やいだ。
「あら、……お帰りなさい、ラルウェル。早かったのね」
「ただいま、ルー。あはは、今日は早く帰ろうって思って」
 少年のように輝くラルウェルの瞳を見上げながら、トゥルームの口元にも笑みが浮かぶ。どちらからともなく歩み寄ると、そっと抱きしめあう。そうして軽く唇を重ねるような、それでも愛情のこめられた、お帰りなさいのキス。
「先に着替えていらっしゃい。そうしたら、少し早いけれど食事にしましょう」
「うん、わかった」
 ラルウェルが奥の部屋へと向かうのを見送ると、トゥルームは再び暖炉へと向き直った。火傷をしないよう気を付けながら鳥の丸焼きをひっくり返し、様子を見る。もう少しかかるだろうか。先に軽く食事を始めて、途中でメインとして出すのが良いだろう。
 キッチンへ歩を進め、ソースの入った小鍋を手に取ると、暖炉の火にかける。一往復してサラダボウルと、片方の小包をテーブルへと移す。平べったい籠に乗せた包みを開けると、ふっくらとした白パンが姿を出した。ワイングラスを食器棚から出し、ワインを一本取り上げたところで、奥の扉が開いた。
「すごいね、ご馳走だぁ」
「ええ、そうよ」
「あれ、あっちの包みは?」
 ラルウェルが、鈍色の義手で指さした先を目で追いかけ。台所の隅に置かれたままのもう一つの包みに行きつくと、トゥルームは小さく笑みを浮かべながらそちらへと歩み寄った。
「……ウェディングケーキの、一段目よ」
 ラルウェルへと向き直りながら、包みを開く。白い固焼きのケーキが手のひらの中で、わずかに顔をのぞかせた。
「結婚して一年目の、紙婚式の日に食べましょうって言ったの、覚えているかしら。味が落ちないように保管しておくのはなかなか難しいから、ちょっと時を止めて――“そういうのが得意な人”にお願いしておいたの。昼過ぎに届いたわ」
 含みを持たせるように言うと、きょとんとした表情が返ってきた。その顔がまた愛おしく、くすりと小さく笑う。
 鶏肉の焼けるこんがりとした香りが、鼻先をかすめて窓の外へと漂いだす。
「さあ、ご飯にしましょう。お肉はもう少し時間がかかるから、先に食べ始めましょうか。待ちきれないでしょう?」
「うん、そうだね。楽しみだなぁ」





Herzliche Glückwünsche zum Jahrestag, papierene Hochzeit!!

(ラルーム結婚一周年、紙婚式おめでとう!)


[ 23/23 ]

[*prev] [next#]
[目次]
[小説TOP]




メリフェアTOP | ジュゼッペ | トゥルーム | 小説 | 総合TOP




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -