わがまま人魚と朴訥熊さんの、はじめまして小説。 Cast: 猫夢様宅 ノットさん 絢原様宅 ヘリオスさん ほんのりと るる様宅 戌さん 猫夢様宅 メーラさん ハウセストレーネ シェーヴィル ※文中の「男」はモブです。どなたも意識してはおりません。 「ノぉぉぉン!ヘリオぉぉぉス!聞いてよぉぉ!」 甲高い女性の声が、広場中に響き渡った。 「でね、その男、最後に何て言ったと思う?『君は面倒だ、もう付き合いきれない』ですって!酷くなぁい!?」 先ほどからのべつ幕なしに男の悪口を言い立てる声は、噴水の縁の―――内側から聞こえていた。石の枠縁に腕を乗せる妙齢の女性の、体の半分は水に浸かっている。ぱっと見れば、地面を掘って作った深い浴槽に浸かっているようだ。違いがあるとすれば、円形の浴槽の中央から水が勢いよく噴き出していることと、その温度か。 苛立ったように、ルビーレッドの鰭が冷たい水面を叩く。看板を持った猫の人形に跳ねた水がかかろうが、お構いなしだ。 「全くもう、嫌になっちゃう!あたしのどこがいけないのよぉ!」 「うんうん、レーネ、大変だったのね」 「それはひどいね!よーし、その男、干からびさせちゃおう!」 運悪く噴水広場を歩いていたが故、巻き添えを食らった二人の女性。一人は宥めるように、一人は同情して憤るように、レーネと呼ばれた人魚に声をかける。 「そうでしょノン、酷いわよね?あ、暑いのはやぁよ、ヘリオス。噴水が干上がったら嫌だし……」 騒ぎ立て疲れたのか、レーネは力なく手をひらひらとさせる。ふぅ、と一息ついた後、彼女は突っ伏すように石の縁に腕と全体重をかける。 「二人とも素敵な彼氏さんいて、ずるいよぉ……なーんであたし、続かないのかしら?もう陸に来てから三人目……」 「うーん……レーネの恋人の条件って、どんなの?」 ノットが放ったその一言に、レーネはばっと顔を上げた。プラチナブロンドの短髪がその勢いに従って、さらりと揺れ動く。 よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりのマリンブルーの瞳は、秋の太陽の光を受けて深く青く光り輝いている。 「えーっとねぇ……まずは、たぁっぷり甘やかしてくれる人。それから優しくて、面白味もあって、一緒にいても飽きさせないでくれてー……、私の言うことを何でも聞いてくれる人!それ、全部なきゃ、やぁよ?」 口をはさむ隙も与えさせず、指を折りながらつらつらと「恋人の条件」を上げ連ねるレーネ。その様子を見ながら、ノットとヘリオスはそっと顔を見合わせた。 「……あ、あとね、イケメン?だっけ?顔はできれば譲れないけど、まあ他のが揃っているなら妥協するわー」 「ハードル高いねー、レーネ」 「そんなことないわよぉ、でも目標は高く持たないとね!」 ヘリオスの声掛けに対し、レーネは自信満々の笑みを浮かべながら、鼻息も荒く答える。その勢いのままくるりとノットの方を振り返ると、すいっと彼女の傍へと泳ぎ寄る。 「ねえノン、あたしぱーっと騒ぎたいの!近いうちに、その、酒場に行ってみてもいーい?」 「あら、もちろんよ!歓迎するわ」 「ずるい!私も行きたい!昼間にお店開けてよ!」 きゃいきゃいと明るい声をあげながら戯れ合う三人の姿は、まるで広場の一角に花が咲いたかのようだ。 ひとしきり笑いあった後、レーネはぱっと明るい笑顔をノットとヘリオスに向けた。 「よーし、元気出てきた!新しい人を探しましょ!この間、犬の被り物したカワイイ子も見かけたし、声かけてくれる男の人もいるし、まだまだ選り取り見取りかしら?」 噴水の縁に両肘をついて顎を乗せ、楽しげな表情を浮かべる。このまま歌でも歌いだしそうなレーネを見やりながら、ヘリオスがやや不思議そうな表情を浮かべ、そういえばさ、と呟いた。 「てっきり、あの熊さんが恋人だと思ってたんだけど、違うんだ」 「あらそれ、私も思ってた」 「はぁ!?」 両肘をついた姿勢が崩れ落ち、体が深く水に沈んだ。素っ頓狂な声を挙げながらぐいと体を持ち上げ、レーネは二人の友人の顔を見上げる。 「何よそれ!ぜーったい、やぁよ。あんな乙女心の欠片もわからないような熊さん。確かに毎日、ここと海の間を運んでくれるのには感謝してるけど、あ、あとパンは美味しいけど……無愛想だしー、背が高いから威圧感あるしー、運び方ちょっと荒いしー」 「……レーネ」 「それに、声が低くて怖いしー、ぼそぼそ喋るしー、なのに良く言い争いになるしー」 「……うしろ」 「え?」 真っ直ぐに宙の一点を見つめながら、ただひたすらに、自分の言葉を上げ連ねていたからだろうか。友人二人の表情の変化にも、噴水を挟んだ自分の背後の気配にも気づかなかった。 ノットとヘリオスの声がやっと耳に届き、ふい、と振り返ると。 「…………」 「あ、あーら、……はぁい、ヴィル」 たった今噂をしていた男が、無表情のまま突っ立っていた。 大きな駕籠を括り付けた背負子の中身は、今は空っぽのようだ。左腕には大人ひとりが腰を下ろすことのできる、巨大な木のたらいを担いでいる。 「えーと……お聞きになっていらした?」 精一杯の敬語にも、返事はない。蒲公英色の瞳が、噴水の中のレーネをぐいと見下ろしていた。 微妙な空気が、あたりに漂い始める。ノットとヘリオスがそっと顔を見合わせるのがわかった。 「…………」 無言のまま表情を一切動かさず、男―――シェーヴィルは、くるりと踵を返した。その大きな背に、レーネは慌てて声をかける。 「ちょ、ちょっと!どこに行くのよぉ!」 「…………、今日は、そこに、泊まったらどうだ」 訥々とした重く低い声が、背中越しに聞こえた。普段よりなお一層低い声は、彼の感情を表しているのだろうか。 ざりっと音を立てて、片足が前へと踏み出される。 「わーちょっと、ごめんってばぁ!海帰れないとお腹空くって!噴水だとちょーっと真ん中のこれが邪魔くさくて寝心地悪いし!お昼寝とはまた違うだろうからもっと邪魔だろうし!」 「……知らん」 慌てて噴水を突っ切って反対側へと泳ぎ寄り、ぺちぺちと鰭で噴水を叩き、それでもなお自分の話を止めないレーネ。それに目もくれず、シェーヴィルは短く、しかしはっきりと意志の籠った声で突っぱねる。 「んー……もうっ!」 苛立ったようにルビーレッドの鰭がべちりと一度水面に叩きつけられた。だがそれきり、所在なさげに、水の中をゆらゆらと揺蕩う。 暫くの間の後、形の良い唇から小さな声が漏れ聞こえた。 「…………悪かったわよ……ちょっと言い過ぎたわ」 シェーヴィルは一歩踏み出したまま、それ以上進むことも退くこともせず、ただそこに立ち止まっていた。 数秒の間の後、大きなため息とともに、その背が振り返る。口を真一文字に結んだまま、左腕に抱えていたたらいを噴水に突っ込み、たっぷりの水ごとそれを持ち上げた。 「やだぁヴィル、ありがとっ!話が分かるわぁ!」 レーネは途端に声を明るくし、両手の指を組み合わせて、華やいだ笑顔の横に添えた。それを見てもう一度、表情を変えないままに一つ大きなため息をつくと、数歩下がりながら、水の張られたたらいを指さした。 「…………ん。……早く、帰りたい」 「わかったわよぉ、よいしょっと」 腕の力だけで噴水の縁に体を持ち上げると、硬い石で鰭を傷つけないように器用にたらいに飛び移る。ばしゃんと跳ねた水が、シェーヴィルの足元まで届いた。 「じゃあ、今日は帰るわー。ノン、酒場はまた今度ね!その時はヘリオスも一緒に飲みましょ」 たらいの中から、レーネはひらひらと手を振る。 「はーい、じゃあね」 「気を付けて帰ってねー」 「ありがとっ!ばいばーい」 彼女たちの挨拶が一通り済んだところで、シェーヴィルがぐいとたらいを持ちあげた。袖口の広いルパシカがたくし上がり、ごわごわとした熊の毛並みが顔を出した。 あいさつ代わりに軽く頭を下げると、街の外、森の方角へと踵を返す。彼の肩越しに、レーネがぶんぶんと手を振っていた。 広場の角を曲がったところで、残された女性たちが、三度目の顔を見合わせた。 「あれって、仲良いの?悪いの?」 「……さあ?」 紅葉の始まった森の中に、重い荷を背負った者の足音が響く。 陸に上がったばかりの頃は、あれは何、これは何と質問攻めだったレーネも、最近では一通り満足したのか大人しく運ばれることが多くなってきた。それでも、好奇心に満ちた碧の瞳は、きょろきょろと外界を見渡している。 ふと、手をかけていた木のたらいをこんこんと手の甲で叩くと、レーネはシェーヴィルを見上げた。 「そういえば、これって元は何に使っていたの?」 「……洗濯たらい」 「センタク?それ、こんな大きなたらいが必要なの、ふーん……」 不思議そうになおもこんこんと縁を叩くと、レーネは再び口を閉ざした。森を吹き抜けてプラチナブロンドの髪を揺らす、冷たい秋の風を肌で感じ取る。 「そうだ!ねーぇ、ヴィル?あなた、浮いた話とかないの?」 「…………、……浮いた、話?」 髪の色と同化している黒い熊の耳が、音を認識した程度にほんの少し動いた。たっぷりの間の後、良く意味が分からない、といった調子の声が返ってきた。 「そうよ。例えば、誰それが可愛いー、とか、実はあの子にメロメロー、とか。そう言うの、ないわけ?」 「…………いないし、いらん」 レーネの続く言葉を封殺せんばかりに、簡潔に言葉を発する。毎日わがまま放題の女性と接していれば、無理もない回答だろう。自身が諸悪の根源であることも知らず、レーネは不服気な顔を向けた。 「んー、つまんない男ねぇ……、生活に張り合いがないでしょ?それなりにいい歳なんでしょうし」 「…………」 歩みを止めず、表情も変えないないまま、シェーヴィルはゆっくりと考えを巡らせる。 「……、……おれは、毎日、パンを焼いていれば、満足だ」 訥々と紡がれた言葉に、レーネは驚きと興味が半々の表情を向けた。 「へーぇ……」 それ以上、互いに何も言葉を発さないまま、秋の森を進みゆく。 森を抜けて、西日に輝く海が見えてきたところで、レーネが一度伸びをした。 「んー、広場の空気も森の空気も好きだけれど、やっぱり潮風が一番馴染んでいるわー」 「……落ちる、動くな」 「あら、ごめんあそばせ?」 砂浜を踏みしめて岩場まで歩み寄ると、手ごろな岩の上にたらいがどさりと降ろされた。衝撃に小さく悲鳴を上げながらも、レーネはひょいとたらいを乗り越えた。岩に移ると体勢を立て直し、飛び込みの要領で海へと飛び込む。 一度深く潜った後、再び水面へ顔を出し、ぱぁっと花が開いたような笑顔を見せた。 「やっぱり海は広くて良いわぁ!ヴィル、ありがと!じゃあ、明日もよろしく!」 そう言い置くと、シェーヴィルの返事を待つこともなく、再びざぶんと海に潜っていく。 浜辺に一人残されたシェーヴィルは、大きなため息をつくと、大きなたらいを担ぎ上げて海に背を向けた。 それから間もなく、レーネはとある女性と取引をして海と噴水を直接つなげてもらったそうな。 それを聴いたシェーヴィルの安堵のしようは如何ばかりか。 とても……今更になりましたが、二人のこんにちは小説を……。 この二人は恋愛感情など一切持ち合わせていない犬猿の仲です。よくまあヴィル、文句も言わず耐えた。 [目次] [はじまりの街 案内板](小説TOP) |