【スプリンググリーン】 レーネのおはなし。 夢見る人魚は何を見る。 Cast: ワラビーさん宅 ルギリスさん レーネ あの雲に乗りたいと、皆に言ってみたの。 だってふわふわして、柔らかそうで、座り心地が良さそうなのだもの。海からももちろん雲は見えていたけれど、遠く遠く、はるか上の物だと思っていたわ。 でも、この広場に来たら、何となく、手が届きそうだなって思ったの。 だから、海の上の雲とは違って、陸の雲なら乗れるのかしらって。 そうしたら、ね。 ええと、お洋服のための……ヌノ?を作っている女の子は、いつもみたいにおどおどしながら、「いつか乗れたら素敵ですね」って言っていたの。 いつも噴水で歌っている猫さんは、ちょっと困った顔で笑っていたわ。尻尾が海の中のわかめみたいにゆらゆらしていたから、面白くって水をかけてみたら、ますます困っていたけれど。 角の生えたおちびちゃんは「乗ってみたくない」って言っていたけれど、あの子はいつも嘘ばっかり言うんだもの。どうも信用できないわ。 お魚が大好きだっていうお婆ちゃんはね、「おやおや」ってにこにこ笑っていたの。お婆ちゃんはいっつもあの顔よね。 で、あの熊さんったらひどいのよ。「乗れないし、食えない。」ですって!まったく、夢がないんだから。 みんながみんな、まともに答えてくれないんだもの。嫌になっちゃうわ。 でもね、この人は違った。 私を水の中から引き揚げてくれたの。 「私の力では無理だな」 そう言っていたけれど、きっとこの人なら、あたしを空の上へ連れて行ってくれる。 知らない世界を見せてくれる。 そう思えたの。 「ねえルギリス?あれはなぁに?」 「ああ、あれは風見鶏だよ。風の流れを教えてくれるんだ」 レーネが指差した先を目で追って、ルギリスが視線をあげた 目にするものすべてが珍しくて、長い住宅街を歩く間にいくつもの質問をした。普通の人なら呆れ返って、答えるのも面倒になるくらいに。けれども、ルギリスは必ず柔らかい微笑みとともに答えをくれる。それが、レーネにとってたまらなく心地よかった。 真上を見上げれば、四角く切り取られた春の青空。 横を見回せば、立ち並ぶ家々。 青年と、その腕に抱えられた人魚という組み合わせに、通りがかった人は不思議そうな目を送ってくる。 その視線も意に介せず――あるいは気づかず、レーネのマリンブルーの瞳は、陸の上の見慣れない物事に奪われていた。 「ねえ、あの人たちは何をしているの?」 親子と思しき女性と少女が、家の前の一隅にしゃがみ込んでいるのが見えた。それを失礼にならない程度に指差して、レーネは問う。ルギリスがそちらに視線を送り、うん、と小さく声を上げた。 「花壇に種を蒔いているみたいだね。何の花が咲くのだろうか」 玄関へ続く階段には、花の絵が描かれた小さな紙袋が置かれている。少女がその一つを手に取った。 「タネ?タネを花壇に蒔くと、花が咲くの?」 レーネはその様子を見ながら、首を傾げる。 「そうだよ。もちろん、森や草原で自然に咲く花もたくさんあるけれどね」 「ふぅん……? 噴水と地面の隙間から花が咲いていたことがあるけれど、あれも誰かが、タネを蒔いたの?」 「うーん、それは、種が風で飛んできたのかな」 ルギリスの言葉を聞き、レーネはううん、と唸り声を上げた。 「真珠を蒔いても、貝は生まれないわよ。花って不思議ね」 不意に聞こえた明るい笑い声に、レーネは首を上へと捻った。 「そうだね、不思議だ」 明るい青空を背に、明るく笑う青年。深緑の髪がそよ風に揺れている。 若草色の瞳と視線が重なった瞬間、体温が上がった気がした。 住宅街を抜けると、目の前に開けてきたのは賑やかな一角。 時折まみえる人々は、広場を行き交う人々とはまた少し雰囲気が違う。 初めて目にした風景に、レーネは抱かれていた腕の中から、思わず身を乗り出した。 「これが市場?なんて素敵!すっごく賑やかなのね!」 歓声を上げながら、レーネはあちこちを見回した。ルビーレッドの鰭が、それに合わせてひらひらと動く。 「あはは、そんなにはしゃぐと落ちちゃうよ」 「あ、あら、ごめんなさい?」 楽しげな声を耳にして我に返ると、しおらしくルギリスの首に腕を回す。ふと目に映った精悍な顔立ちに、一瞬呆けたまま眺めいってしまった。 「どうしたのかな?」 「あ、ううん……えっと、いえ、……ちょっと、ぼんやりしていたみたいね」 そう言いながらも、頬に熱が上るのがわかる。 「ゆっくり見て回ろうか」 「そ、そうね」 「何か、見たい物はあるかい?ここに来てみたかったんだろう?」 「えっと……」 いつものように言葉がぽんぽんと出てこない。あれもこれも、見たいものはたくさん周りに転がっているのだが。 何だか調子が狂うわぁ、日射病かしら、と口の中で呟く。首を捻りながら目を向けた一点に、視線が縫い付けられた。 「っ、あーーーーー!」 素っ頓狂な甲高い叫び声が、市場にこだました。辺りの人々が、何だ、何事かと振り返る。 「ルギリス!ねえ、ほら!雲が!雲よ!」 「え、雲?」 視線も慌てたような声も厭わず、レーネは片手でルギリスの胸元を掴み、片手で真っ直ぐ視線の方向を指さした。 「ほら、棒に刺して!あの女の子!雲を持ってる!食べてるわ!」 ネクタイをシャツごと掴み、ぐいぐいと引っ張って、今にも落ちんばかりに身を乗り出す。ぴんと伸ばされた人差し指の先には、白いふわりとしたものを持った少女が、ぽかんとこちらを眺めて居た。 「ねえ!あれはどこから採って来たの?誰かが山まで登ったの?どうして棒に絡まっているの?あの棒は魔法の棒なの?やっぱり雲は触れるし、食べられるのね!」 興奮のあまり、疑問が次々と口をついて出てくる。最後は半ば確証に近い口調で叫んだあと、レーネは一つ感嘆交じりのため息をつき、輝く笑顔をルギリスに向けた。 「あたし、あの雲が食べたい!お店を探しましょ!」 えんどう豆が弾けたかのようなレーネの質問攻めに、気圧されたような表情をしていたルギリスも、やがて笑顔を見せた。 「ふふっ、そうだね、『雲』を探しに行こうか」 ああ、やっぱりこの人は。 優しくて、我儘を聴いてくれて。 一緒にいて、とても楽しい。 ことん、と、何かが落ちる音がした。 最終日にぶち撒くお砂糖。もとい綿あめ。 [目次] [はじまりの街 案内板](小説TOP) |