芽吹き

るる様の『浮世和歌13』と並行する形で、お話を書かせていただきました。
猫夢様の『特別な想い』のお話もお借りしています。





お返事。



Cast:
るる様宅 壱岐 近靖さん
お名前のみ 猫夢様宅 モエちゃん
エリサ







さわさわと後ろから、柔らかな風が吹いた。胡桃色の髪が自分を追い越し、前へとなびく。
眼の前に立つ近靖は、普段真っ直ぐに向けてくるアンバーの力強い瞳を、今日はなぜか逸らしてばかりいる。口から零れる言葉も、謝罪ばかり。
その様子を見るにつれて、こちらも何か失礼があったのではないかと、エリサもほんの少しそわそわとしてしまう。
“器用になれなくて”
首の後ろに手を当てながら、ほんの少し照れたように、つい先ほど近靖は言っていた。その言葉に、エリサは心の中で小さく首をかしげていた。
彼の紡ぎ出す言の葉は、いつでも真っ直ぐに、エリサの中に届いてくる。多少難しい言い回しがあっても、それも含めて真っ直ぐに。
その言葉よりもなお深い思惑が、彼の中では静かに燃えているのだろうか。
ふ、と顔を上げたタイミングが一緒だったらしい。互いに動かした視線が、まっすぐ重なり合う。
どきん、と心臓が一度大きく鳴った。
ほんの少しだけ、視線を落とす。数歩先に、近靖の足元が、暮れはじめた宵闇に沈む花の海に、埋もれているのが見えた。
ふいにその足が動いた。自分の方へ、一歩前へと、踏み込まれる。
もう一度、胸が跳ねた。弾かれたように顔を上げると、先ほどよりも幾分高い位置に、近靖の顔が見える。一瞬腰が引けそうになって、それでも踏みとどまった。
風が後ろからさぁ、と吹きつけ、エリサの腰まである胡桃色の髪を前へと押しやった。彼が手を伸ばせば、髪に触れてしまいそうなほどに。
それはつまり、互いが手を伸ばせば、触れてしまう距離だということ。それに気づき、エリサは息が詰まるような思いがした。
怖いから、ではない。
男性が怖い、という感情は、とうの昔に―――あの海辺のベンチに、置いてきた。
彼は、害をなす人ではない。むしろ―――
―――むしろ?……何かしら。
そのあとに続く語句が何なのか、すぐに思い浮かばない。エリサは心の中で、再び小さく首を傾げた。

「……あの和歌の意味は、」

一息の間の後、近靖が口を開く。その瞬間、追い風のように吹いていた風がぴたりと止んだ。髪が動きを止め、ふわりと舞うようにエリサの体の周りへ下りていく。
静寂が辺りに張り詰めた。
そうだ、ここへ来た理由。
“始めに送った、和歌の意味をお伝えします”
先日の、近靖が花束を持って家に来てくれた夜、真っ直ぐな瞳とともに発せられた言葉。
「……、……和歌というのは、そもそもご存じでしたか?」
「あ、………いえ、……」
突然の問いかけに、エリサは一瞬呆けた後、小さく首を振った。そう言えば、初めて手紙を受け取った時、見慣れない文体の文章に首を捻ったものだ。あれが、「和歌」というものだったのだろうか。
その手紙が、和の世界では何を意味するのか。ともに機織りをする和装の彼女たちに訊ねようとしたことがあった。けれどその時は、たしか、家紋の事や、何より書くべき返事ばかりに気を取られて、聞くことができなかった。
「……私の国では、異性を見初め、想い惹かれた時に、あの様な形で自分の気持ちを唄います。それを届けるんです。……卑しくも、自分に気づいて欲しい時に。自分の想いを届けたい人に贈ります。いつ、何処で、何を想っているのか、……」
近靖が綿々と、丁寧に、言葉を紡いでいく。
訊ねたいことはたくさんある。
けれど、はやる心をそっと押さえながら、エリサは唇をきゅ、と引き締めた。静かに、真っ直ぐに近靖を見つめる。
今にも飛び出しそうな心臓の音が聞こえてしまうのではないかと、一抹の不安がよぎり、消えて行った。

「………窓辺で佇んでいる貴方を見つけて、とても美しい方だと思いました。儚く湖上に佇む白鳥の様だと、…私の記憶にある中で、一番美しい絵が、そうであった様に。」
近靖の声を聴きながら、エリサも手紙を頭の中で繰り返す。
『一目見し 窓辺の白鳥 儚きに』
あの時難しくて理解できなかった言葉たちが、近靖によって噛み砕かれて、すっとエリサの中へとしみこんでくる。

「……初めてお見受けしたその日からずっと、恋をしたかの様に、貴方を思い続けています。」
『人に恋(こ)ふらく 思ほゆるかも』

言い終えて、ふ、と小さく笑う近靖に、エリサはただただ、視線を送っていた。その笑顔に込められた彼の思いを汲み取ろうとして、それも覚束ない。
数度の瞬きの後、やっと自分の思考が追いついてくる。けれどそれは千地に乱れ、絡まったままだ。
”………私の知り得る限り、…白鳥が一番、美しい鳥だと思っていました”
初めて会った時。広場で、彼から聞いた言葉を思い出す。
あの海辺の診療所でも、確か同じような言葉を聞いたはずだ。
その時から―――この手紙を出したときから、ずっと、近靖はこの想いを抱きながら、接してくれていたということだろうか。
あれはまだ、初夏だったはずだ。
どれほど長い、時間だろう。
エリサは、くらりとする想いがした。
それを知ってか知らずか、近靖が瞳を閉じ、やがてすっと開く。
「今は、」
アンバーの瞳が、エリサをまっすぐに見据えるのがわかった。

「……あの日貴方を見初めた時よりももっと、それ以上に、貴方に想い焦がれています。」

手元からバスケットが滑り落ちた。とさりと小さな音は、風に花がなびく音にかき消される。
―――それは……
思考がまとまらず、あまつさえ言葉にもならない。眩暈がして、倒れてしまいそうだ。
顔が瞬く間に熱くなり、その熱もさやと吹く秋の夜風に奪われていく。
顔に手を当てようとして、その両手を胸の前で絡めて握った。
近靖がくい、と顔を傾げて、覗き込むように視線を送ってくるのを感じる。思わず目を伏せようとして、思いとどまり、もう一度近靖の瞳を見上げた。
彼の形の良い唇が、つと開かれる。


「………貴方を愛しています。
 この先もずっと、私の傍に居て下さいませんか ―――――っ、 」


瞬間、エリサの周りの時が止まった気がした。音も、色も、風の動きも、何もかもが消えうせたように感じられる。
瞳に映るのは、目の前に立つ男性ただ一人。
熱を持った琥珀色の瞳が、やけに鮮やかに写った。
頭の奥が、しんしんと凍り付いたようにしびれていく。
呼吸をするのも忘れ、エリサはただ真っ直ぐに、近靖を見つめていた。
―――私は
喉元がきりきりと締め付けられているかのように感じられる。
退くことも、進むこともできない。二本の足でしっかりと立っているはずなのに、足の感覚が全くなくなっている。
今ここで自分と向き合い、きっちりとけじめを付けなければ。
―――どうすれば良いのだろう
―――どうしたいのだろう
耳元でやけに鼓動が大きく聞こえる。少しずつ、現実が戻ってきた。
頭と胸が熱くて、気を抜けば倒れてしまいそうだ。
”この先もずっと、私の傍に―――”
近靖の言葉を、うまく回らない頭で思い返す。
―――近靖さんの傍に……
街で見かける、寄り添いあう男女。その光景が、いくつも去来した。
そこに自分と、目の前の男性を、そっとあてはめてみる。
ああ、そうなれたら……

―――どんなに幸せかしら。

自然と心の底から湧き上がってきた想い。
エリサは数度、瞬きをした。


―――この気持ちは


“きっとね、鍵はエリサの中にあるよ”

3日前に聞いたモエの言葉が、胸をよぎる。
―――そうね、モエちゃん。ありがとう。
エリサは胸の中で、そっと呟いた。
空色の瞳を伏せ、ほんの少しだけ俯く。胡桃色の髪が、それに合わせて小さく揺れた。
胸の前で絡めていた両手を解き、それよりも少し低い細腰の位置で、もう一度組み合わせる。
暫くの間の後、エリサはおもむろに顔を上げた。
近靖は先ほどの位置から、微動だにせず、こちらに視線を注いでいる。その琥珀の瞳をしっかりと捉え、エリサは姿勢を正した。
『顎を引いて、胸を張って』
いつかどこかで聞いたような言葉が、去来する。
『気品と誇りを胸に』
優雅に、悠然と。
「あ、の」
その言葉をもってしても、喉の奥に引っかかりながら出てくるのは、いつもの言葉だ。たどたどしくて、頼りなくも聞こえる、自分の声。
けれど、この胸に宿った思いは揺るがない。

「…………私で、よろしければ、……」

ざぁっ、と強く、追い風が吹き抜けた。その勢いに押され、半ばたたらを踏むように、けれど半分は自分の心に導かれるように、一歩を踏み出す。
たっぷりの間の後、エリサは声を風に乗せて、一息に、想いを紡ぎ出した。


「あなたの、お側で、咲かせてください」


―――この気持ちは、……恋、なのでしょうか。

―――あなたと私は、……同じ思いを、抱いているのでしょうか。

目の前が真っ白になる。
すとんと、足の力が抜けるように感じた。








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