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workaholic









「ねねね、ちょっとお兄さん」
「あのさ、暇?今暇?」
「え…あ、え?」


夜闇に街の灯が映え始める新宿のど真ん中でなまえは柄の悪そうな男2人に絡まれた
金を取られるかと逃げ出そうとしていたなまえは予想と違う問い掛けに思わず立ち止まってしまった

男がなまえに声を掛けた目的がわからずぽかんとするなまえの左右を男達は固めてなれなれしく肩に手をおく


「ねーねー金欲しくない?」
「ちょっとバイトしてくんないかな?ね、お願い!」
「わ、ちょっと、やめ…!」
「あ、場所移す?」
「大丈夫大丈夫、俺らおごっちゃうんで!」
「や、あの、違、俺…!」


なるほど、と思うが時既に遅し
ただバイトへ向かうため新宿を歩いていただけなのに何やら別のバイトをさせられそうである
いつの間にかなまえの腕を引っ張って離さない男の力強い手に同じ男ながら恐怖を感じるが
パニックと恐怖とで上手く言葉にならない
どこかへ着いてしまう前に逃げ出さなければ…!


「あのっ、急いでるんでっ…」
「だあーいじょうぶだって〜!すぐだからすぐ!
おい、車まだなんかよ」
「チッ、とりあえず向こうの通り入るぞ」
「っ〜!!!」


ぐいぐいと結構な力で引っ張り返して見るもびくともしない
小声で交わされる会話の内容と温度差になまえが泣きそうになった時なまえの腕が物凄い勢いで別の方向へ引っ張られた


「いっ…!」

「あ"?んだよオッサン」
「なにしてくれてんの?」
「…」


ようやく離れた腕もそのままに呆然として、突如現れなまえを庇うように間に立つ男の背中を見ているなまえ
2人はその男につっかかるが、なまえの見えぬところで男の手が動くと顔を見合せる


「面倒起こしやがって…パクられたくなきゃ散れ!」


低くドスの聞いた声がしたと思うと2人は死ねだのなんだの吐きながら人込みの中へ去って行った
その声には未だ混乱の中にいる当のなまえもすくみ上がる様な威圧があった
そんななまえを振り返ることもなく立ち去ろうとする男をなまえは急いで引き留めた

「あのっ」
「あ?」
「あ、いや…」

男は不機嫌そうに煙草を咥えたままなまえを一瞥する
微かに白髪交じりのクセのない黒髪の下から鋭い目がなまえをとらえた
その姿はまるでどちらかと言えば先ほどの男たちの仲間と言った方がしっくりくるところではあったが、
なまえはどうにかその失礼な考えと怖さを振り切って頭を下げた

「ありがとうございました…」
「…仕事だからな。ガキは早く家に帰んな」
「はあ…」

それだけ言うと先ほどと同じようにさっさとなまえに背を向けた
仕事…?
頭にハテナを浮かべながらもまだ力のはいらない足を叩いてバイトへと向かった








「…おい」
「…えっあ、はいっ」
「なんでついてくるんだ」
「いえっあの、…バイト先がこっちなので…」
「…」

舌打ちをひとつうつ男になまえはヒヤヒヤしながらさらに距離を取る
男が持つ、日本刀のように鋭いオーラに完全にビビっているなまえは途端にハッとして男に追いついた


「あの…」
「なんだよ。大人しく家に帰れって言ったろ」
「いえっ、ここ、あの、雀荘しかないですけど…」


男が入ろうとした古びた三階だてのビル
そこは外からではわからないが、2階と3階はなかなか小綺麗な雀荘になっているのだった
知る人ぞ知る、大都会新宿の影にある穴場である


「…だから何だよ。今日はここで仕事なんだ。どきな」
「仕事…?」
「煩わしいガキだな、また不良に絡まれたいのか」
「す、すみません…じゃあ、ご案内します…」
「はあ?」
「俺、ここのバイトスタッフなんです」







「お待ちしてましたよ平井さん!」
「おう。奴さんはまだかい」
「ええ、もう時間なんですぐくるとは思いますがね…
ん?なまえ?」
「おはよーございますオーナー…」


ドアをホールドして銀次を中にいれてから入ってきたなまえは会話の流れにぽかんとしたまま挨拶を交わした
しかしオーナーもまたぽかんとしてなまえを見やる


「お客様平井さんっておっしゃるんですね…ワケありですか?」
「ワケありも何も…」
「なまえ、今日お前のシフト、入ってないけど…」
「え?…ん?ええっ…?」


なまえはどこか余韻から抜け切らなかった頭から突如目が覚めたように声をあげた


「なんでですか!うそお!」
「ばっかお前今日は平井さんをお呼びするから店は開かねえっつったろ!」
「えーっ俺聞いてない!」
「知るか!ほれ帰った帰った!」
「えええ〜!」
「そんなら、お前も打つか」
「へ…?」
「ちょっと平井さん…!」

近くの雀卓におもむろに付きながらちろっとなまえを見やる銀次

「だめですって!こいつぁ麻雀はど下手くそもいいとこなんだから」
「なっ…そこまで言わなくても…」






「チー」
「(だから言わんこっちゃない)」
「(…返す言葉もないっす…)」
「ポン!」

銀次が、オーナーの土地を奪いにかかる「や」のつく自営業の男たちと鍔を競り合うその卓で、なまえはあまりの不甲斐なさに選手交代を宣告されたのだった

「(平井さんのを後ろで見てな。まさにプロだぜ)」

オーナーの目配せに応えてなまえが静かに銀次の後ろにまわると、
銀次はなまえを肩越しにちらりと見て、僅かに目を細めてフッと笑った

その時から、金縛りにあった様になまえは銀次から、銀次の闘牌から、目を離すことができなかった









なにとなく切った牌全てが勝ちへの布石となる無駄のない闘牌は、
なまえを惹きつけるのに充分だった
そしてオーナーの土地権利を守り、ものの見事に厄介者を綺麗に追い払った
銀次の仕事は成功と言ってよかった

「それで『仕事』ですか…」


卓に備えてある大きめの椅子に深く座る銀次の元へ、珈琲を手渡して納得した様になまえがつぶやいた


「本当にありがとうございました…!」
「もういいって。オレもあいつをシメようと思ってたんだ」

片付けを始めるなまえの横で何度もオーナーが銀次に頭を下げる
少し疲れたような笑いであしらいながら煙草をふかす銀次になまえが灰皿を差し出した


「すごかったあー!なんか俺がいつもやってるの麻雀じゃなかったのかも」
「だから半年前から言ってるだろ」
「…」
「なまえっていったか?お前のめちゃくちゃなうち筋、ありゃなんだ」
「自分でもよくわかりません…」
「…よく雀荘のメンバーが務まったもんだ…」


煙草の煙を吐きながら、しゅんとするなまえに苦笑いを零す
先ほどの笑みも、今の笑みも、敵に対する時とは違う皺がなまえはなんとなく好きだと思った


「裏プロの方だったんですね…だからあんなに迫力あったんだ」
「そういえばお前平井さんと一緒に来たけどなんかあったのか?」
「あ、えっと…俺が怖いお兄さんに捕まってたら平井さんが一瞬で追い払ってくれたんです」
「ああいうのは長引くと厄介だからな…
絡まれてる時のこいつの顔の情けなさったら無かったぜ」
「し、失礼な…」
「さすが現役刑事!」
「え?」


灰皿を持ったまま、固まったなまえ
銀次はまたニヤッと笑って、懐から警察手帳を取り出した
その動作になまえは見覚えがあった


「え…警察の方だったんですか!!?」
「言ったろ、仕事だって」


あの若者2人の脅しに使ったのは警察手帳だったのだ
なまえは驚くのと同時にちょっとまてよ、と顎に手を当てた

「警察らしいことした後で賭博麻雀って…」
「なまえ、今日は賄いタダにしてやっから」
「ええええちょオーナー!」
「ていうことだ、なまえくん」

さして悪びれた様子もなく煙を吐く銀次
なまえは呆気にとられるがまた灰が伸びた煙草に灰皿を差し出しながら腑に落ちない様に話す

「裏プロの方が本業なんじゃないですか…」
「…フン、なるほど?」
「ちょっなまえお前な…!」
「わかった。座りななまえ」
「「へっ」」

低くなった声のトーンにビビる2人が銀次をばっと振り向くと、
銀次は何時の間にか背もたれから起き上がり、卓に身を乗り出して
さっきまでの勝負師の様な悪い笑みでなまえを対面に促していた


「特別に麻雀、教えてやるよ
“裏プロが本業”だからなぁ?」
「ひぃっ…お、俺は…遠慮しようかなー」
「座れ」
「はいっ」
「ん…さて、じゃあオレは食いもんでも買ってくるかな」
「ええっオーナぁー!」
「悪いなオーナー、オレのも頼む」
「もちろんですよ」
「じゃ、じゃあ俺が行きま「座れ」
「はいっ」




「おまちどお。平井さんの坐吟寿司となまえのあんぱん」
「おう、悪いな」
「えっそんなあ〜!」
「おっと待ちななまえ、あんぱんはお前が和了るまでお預けだぜ」
「ええええ!?聞いてませんよちょっと!」
「うん、オレも今初めて言った」
「うえええんお腹空いたよお〜」
「立直!」
「鬼ー!!」

なんだかんだで銀次に気に入られたのか、静かな鬼のような講師を迎えてなまえの麻雀特訓は空が白むまで続いたが何故かなまえは上手くならなかった
(でも寿司を分けてもらえた)

それからというもの、常連が一人増えたこの雀荘の隅では定期的に特訓が行なわれているらしい











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