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かいわ









「尚香ー」
「あら、なあに兄様」


尚香が優雅な昼下がりを楽しむ卓へふらりと現れ、正面に座ったのは他でもない彼女の兄の一人、孫権であった
様子を見る限り大した用ではないのだろう
机の上の皿から楊枝をとり桃一切れを口に運びながら実はな、と話出した


「女官を一人都合つけてほしいのだが」
「えっ!兄様にもついに春が!」
「違う!私ではなく周泰だ!」
「ええ!!周泰に春が!!更に驚き〜!!」
「だから春ではない!!」
「じゃあ何で女の子を欲しがるのよ」
「ちょ、言い方…
実は周泰の付きの者が城の石段から落ちて怪我を負ってな」
「あそれ聞いたわ!周泰のとこの子だったのね」
「2、3週間だけ代わりに付いてくれる者を探しているのだが」
「なるほど〜」


うーん、と考える様子の尚香
やがてひらめいたように、あ!と笑顔になった


「いい子がいるわ!周泰にうってつけでとっておきの子!」
「そ、そこまで推されると逆に怖いのだが…」
「へーきへーき!じゃあ私から話つけておくわね!」
「ああ、頼んだぞ」


こうして、周泰の知らぬところでなまえは周泰の御付きの女官となったのだった







「なまえと申します、お初にお目にかかります」
「…周幼平だ…よろしく頼む」


なまえは頭をあげて周泰を見上げた
寡黙、長身、黒ずくめとだけ聞いていたが正にその言葉通り
なんだか巨木のような武人だがなまえは嬉しそうに笑った


「…尚香様のところの者だな…」
「はい!この度、短い間ではございますがお側に仕えさせていただきます」
「…ああ…話は聞いた…
…孫権様の室の近くで、見掛けたことがある…」
「あれ、本当ですか?じゃあお初じゃなかったですね!
実は私も何度も周泰様を遠くから見掛けてたんです!
周泰様はとても大柄でいらっしゃるから遠くからでもああ周泰様だーって、…あ…」


思わずなまえは口を手で覆った
周泰は罰の悪そうな顔でいきなり黙ってしまったなまえを不思議そうに見ている
なまえは苦笑いをしてぺこ、と頭を下げた


「ごめんなさい…私おしゃべり好きでついつい止まらなくて…」
「…いや、いい…
…怖いか…?」
「え?」
「…大柄の男は…」
「ああ!そんなことはありませんよ、そりゃあ大きな人が襲いかかってきたら怖いですけど、
周泰様は私のご主人なので、立派な背丈で武人の方らしいなって思います」
「…そうか…」


言葉は人一倍少ないが、どうやら優しい人のようだ
そうわかって、なまえは頑張って仕えようと心に決めて良い笑顔でそうです!と返した






「周泰様、お茶が入りました」
「…ああ…」
「こちらお茶菓子です、甘い物お嫌いではありませんか?」
「…ああ…」
「良かった!私前の女官さんがどんな感じでお出ししてたかわからなくて、とりあえず私の考える最高のお茶とお茶菓子を用意してみたんですけど
あとになって周泰様甘いものあんまりお召しにならなさそうだな〜って」
「…いや、美味い…」
「良かったあ〜!ありがたき幸せにございます!私甘いものが好きでこのお菓子を売ってる老舗はよく行くんですがこれが一番のお勧めなんです!
お疲れの時は甘いものがいいです、甘いものもお疲れのときは一層甘く美味なのです!」
「…なるほど…」


あ…と、また際限なくしゃべってしまった自分の口を手で塞いだその時、周泰がふ、と笑った
なまえは一瞬ぽかんとしてしまった
なまえが周泰に仕えて3日、初めての笑顔である
なまえは口が開いているのも忘れて周泰の方を見つめる
それに周泰が気付いてなんだ、と声をかけると、なまえは珍しく黙ったまま首を横に振った
その顔はとても嬉しそうに微笑んでいた

二人とも周りから見れば一見変わった会話をしかし大いに楽しんだ
もちろん、時には周泰からなまえにぽつりぽつりと話を振ることもあった
そんな時、なまえは殊更嬉しそうに語るのだった
楽しい時ほど過ぎるのが早いのか、二人は約束の日を翌日に迎えた
二人とも心に寂しさを確かに感じながら。

その日の夕方、広大な峰々を望む庭の卓に周泰はいた
その背になまえは近付いて行く


「周泰様。お茶が入りました」
「……ああ…すまんな…」
「それと、…」
「………」


周泰の後ろへ回ったなまえを振り返ろうとしたとき、肩に優しい布を感じた


「………」
「まだ秋と言えど冬を間近に臨む晩秋、立冬の足音も聞こえる肌寒い時期ですから」
「………すまん……」
「ふふ、いいえ」

「…………なまえ……」


なまえにしてはいつもより口数少なく、では、と笑って母屋へ戻ろうとしたなまえの名を周泰がぽつりと読んだ
それは小さな声だったが、なまえは確かに初めて呼ばれた自分の名前に周泰を振り返った


「………ここへ……」
「…お、お隣りに…?」
「………何か……話をしてくれ……」


周泰は微かに笑っている
なまえは嬉しくなって、小さな声ではいと返すと周泰の隣にちょこんと座った


「…………」
「んん!えーっと…
…周泰様?周泰様の御付きの銘琳様はもう回復なさり、以前の元気を取り戻されたようですよ!
人の骨などは回復した後の方が丈夫と聞きますから、銘琳様もきっと以前にもましてご健勝でおられるでしょうね!」
「………ああ…そうだといい…」
「…そしてその銘琳様が明日からは復帰なさるそうです。私昨日快気祝いに何か贈ろうと思って市など覗きましたがなかなかいいものが見つからなくて…」
「……酒でも…贈るか…」
「そんな孫権様じゃあるまいし!あ、でも銘琳様も結構な酒豪なんでしたっけ?ふふ」

「………明日か………」
「………
ええ、明日です」


夕日は段々と落ちて行き、東の空はいよいよ藍に染まり始めた
ここへきて、珍しい沈黙が訪れた
明日を迎えたくない気持ちが、二人ともどうやっても言葉にならなかった


「…………」
「…………」
「…………」
「……えーっと……
………あ、明日から…寂しくなりますね。あ、そうでもないですね、銘琳様帰ってこられますし。
わ、私はちょっと寂しい、けど…」
「………寂しい、のか……」
「……はい…
あ、いえ、もちろん普段のお仕事もやりがいはありますし大事ですけど…
周泰様にお仕えしたこの2週間とても楽しくて…」
「………ああ…」
「周泰様と正反対な私だからいいのかなって不安もあったけど周泰様と会話するのがとても楽しくて、」
「………ああ…」
「あ、会話って言っても私が一方的に話してばかりでしたね…ははは、すみません…」
「………いや…」


しばしの沈黙のあと、なまえは周泰に向き直りぺこと頭を下げた


「2週間、お世話になりました」
「……いや…それは俺の台詞だ…」
「いえ…とても素敵な2週間を過ごせました!周泰様には感謝しております」
「…………」
「…周泰様?」
「……俺は…話すのが不得手だ……」
「そんな…」
「……言葉が足りず……すまなかったな……」
「いいえ…!口数は多くなくとも私などのくだらぬ話を誰より真面目に聞いてくださいました!」


なまえが懸命に反論すると周泰は少し笑って自分の肩にかかっていた肩掛けをなまえの肩に優しくかけた


「あ…」
「……なまえ……」
「はい」
「……寂しいのは…俺も同じだ……」
「え…?」
「………明日が過ぎても……話をしてくれ……」
「それって…」
「……また…隣を空けておく……」
「周泰様…!」


惹かれ合う二人の間にやっと互いの気持ちを託した言葉が交わされた
夕日はついに山に隠れ、薄暗い中表情は読めないが、
二人ともとても穏やかな笑みでこの心地よい沈黙の中、少し寄り添って星が瞬く赤い空を眺めていた




そして場所変わって庭の茂みの影―――

「くっ、いい雰囲気ね…!やるじゃない!もういっちゃいなさいよ周泰!」
「ちょっ尚香、しーっ!お前の声は響くのだから…!」
「兄様、あの二人の式は身内だけで慎ましく、和やかにやりましょ」
「そうだな…って式!!??えっなになに!!!」
「しー!!!」
「あ、すまん」
「あの二人…きっと近い将来結婚するわ…!」
「う、うん、そうだといいな」
「なんなら賭けてもいい!」
「やめなさい」


二人が結ばれるまで、あと2年。







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