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衝動





俺の上司、平井銀二はひのうちようのない大物フィクサーでそれに見合うだけの器量と才覚そして手腕を持った、裏社会を掌握しつつある男

裏社会ってやくざだの守銭奴だの、キレてる奴らの世界みたいなイメージだが実際はそればかりではない
決まった収入をもらうのではなく、自分で金を引っ張ってくるこの世界では頭が良くなければ生き残れない
そしてそういう大物はたいてい器もデカい
信頼できる人間が一人もいないようなそれこそ表社会の価値観からしても人間としてなってない奴は
せいぜいが自分の狭いテリトリーでケチな小銭を掻き集めるのが関の山
銀さんはまさに前者にあたり、そのスケールのデカさに惚れ込んで俺は銀さんの元、銀さんの手足となって働いている

今日も今日とて、ターゲットとなる企業の企画部のお偉いさんとコンタクトをとってきたばかりだ
巽さんが前々から張っていたこの男は攻めの経営戦略で勝ち上がってきたいわゆる
"やり手"のビジネスマンという分析が業績データから弾き出され、急遽俺が巽さんから狩り出されたのだった
若い男は信用されることは少ないが、逆に利用しようと向こうからアプローチしてくることが多いのだ

都心の高層ビル街、喧騒から少し離れた場所にあるホテルの中のいかにも高級そうな喫茶店
あちらこちらで商談がなされる空気に少し押される素振りを見せれば、相手は喜んで話を進め、
結局その日新しい話を2、3俺に持たせて帰って行った

俺は喜びに心を踊らせながら巽さんと報告を兼ねた打ち合わせをし、夜になると銀さんのいるホテルへ向かった

「銀さんっ」
「みょうじか」
「はい、今大丈夫ですか?」
「ああ。入んな」

俺は笑顔で頷くと銀さんについて中に入って行った

大きな窓からビルの立ち並ぶ都会を見下ろす銀さんはとても絵になる
もちろん、似合うという意味もあるけれど、実際に眼下に広がるあの社会を裏側から動かしているから
銀さんにとってこの街は見下ろすくらいがちょうど良いのかもしれないと思う

ふと、銀さんがグラスを持っているのに気付いた

「飲んでたんですか」
「少し、な」
「お一人で?珍しいですね」
「お前今日日明商社の企画担当と会ってたな」
「え…?」

カラ…とグラスが音を立てて、いつの間にか銀さんがこちらを見ているのに気が付いた

「えっと、はい、長の高田と帝東ホテルで…いっ!?」
「へえ…何しに?」
「……!?」

いきなり、銀さんは俺の髪を掴んでガラスに叩き付けた
驚いてただただ目を見開くばかりの俺に銀さんは口の端だけで笑い先を促す
促しはするもののきっと銀さんは俺の答えなんか聞いちゃいない
そうわかりつつも揺れること無く真直ぐ俺を見据えてくる銀さんの目が怖くて俺にはそれに答える以外どうすればいいかわからなかった

「高田サンと、何の会議を?」
「あ、の…巽さんに、言われて…企画を…い"っ!」
「そうかい。お前は仕事熱心だな?」
「ぎ、んさん…!」

銀さんはさらにぐっと力を強めて俺に顔を近付ける
相変わらずその強い瞳は余所見をすることなく遠慮無しに俺を見つめてくる
俺の背後のずっと下で闇を照らす都会の灯に、銀髪が淡く煌めく
怖い、怖いがそれ以上に滅多に見ない銀さんの激しい感情に俺は高揚していた
嫉妬や、裏切りの予感からくる怒りなどではない
頭のいい銀さんだから巽さんが俺を派遣したことなどピンと来ているだろう
全てわかっていて、全ては口実で、ただこうして純粋に力の上下をわからせる動物のように
服従を誓わざるを得ない絶対的な目で見下ろす
仕事の時とはまた違った暴力的な“悪い”顔
それはまるで暴力を盾に横暴を通すチンピラのそれと変わりはないが
単純な話、チンピラと一緒にするには俺が銀さんに心酔しすぎているのだ

「俺から離れようって時は、生死をかけて慎重にやるんだな」

いつもは薄く笑みを浮かべる瞳も鋭い目付きから変わらずにそう零す
俺はもちろん、銀さんから離れる気など毛頭なく、震える唇を噛み締めてただただ首を横に振った

すると銀さんはしばらく黙ってからフッと笑って俺にハグしてぽんぽんと頭を叩いた

あまりの温度差にぽかんとする俺を余所に銀さんはいつもの声色に戻っていた

「よしよし、そうだったな」
「銀さん…」
「悪い悪い、いじめすぎた」
「いえ…あの」
「酒は過ぎるもんじゃねえな」

ベッド使ってていいぞ、とバスルームへ向かう銀さんはからから笑っていた


俺は安心して座り込んでしまった
そうして初めて身体が恐怖に緊張していたのを感じた

いつもの銀さんからは想像もできないほど荒々しくて、仕事の時よりも粗暴な銀さんの表情
目は妖しくギラついて防衛本能が警告するような危ない空気

たまにみせるそれは身体が引きつるほど怖くて、離れられないほど魅力的なのだ
手の震えを抑えられないくせにもう一度見たいと思ってしまう俺はちょっとおかしいのかもしれない

銀さんの置いていったグラスを手にとってみる
ふと違和感を感じて一口、口に含むとアルコール特有の刺激や辛味は全くない
清涼な苦味だけが喉を通っていった
酒の力による半ば無意味な衝動じゃないとわかって俺はまたじわじわと奇妙な悦びを胸の内に感じたのだった







――――――――


いつも冷静で理性的、なおかつ身体を張るのは最小限という銀さんがたまーに
やくざみたいな凶暴性を持ったらなんかむしろ素敵という話
主人公が変態だ、大変だ




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