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mermaid blue





オレは気付くといつもこの喫茶店の前に立っている
オレの好きな人がバイトをしている喫茶店、『mermaid blue』
彼女らしいと思う、だっておしゃれな彼女の好きそうなカフェだから

ふと窓際を横切ったウェイトレスはすぐわかる、なまえさんだ
なまえさんの笑った顔やら揺れる髪やらがふいに目に入って、たまらずオレは踵を返した

身体の中がひどく痛かった



mermaid blue




「私、みょうじなまえっていうの、よろしくね」

初めてなまえさんにあったのはいつもより少し足を伸ばした雀荘だった
赤木さんと天さんと4人で卓を囲んだ
なまえさんは他の3人に比べたら当然麻雀の腕は無かったけど、
時々有り得ない牌を思い切り切って来るのが面白かったのを覚えている

なまえさんは元々、赤木さんについてきて、天さんとも仲良くなったことを聞いた
オレとそんなに歳が離れていないことも

「確かひろより2個オバサンだったな」
「なっ…!そんな言い方しなくてもいいじゃないですかオジサン!」
「赤木さんにオジサンなんてツッコめるのなまえぐらいだな!」

なまえさんはオレの周りにいる女の子と何ら変わりなかった
明るくて、鳥がさえずるみたいに喋る
楽しそうに笑うから、オレもなんだか楽しかった

だからオレはなんとなくなまえさんが来るって聞くと嬉しかった
赤木さんと天さんとなまえさん
大好きな人達と打てる卓が大好きだった

雀荘に行く前になまえさんの買い物に付いていったこともあった
女の子の買い物ってハードだっていうけどなまえさんと一緒ならまあ楽しくなるだろうとか
甘い考えだったのを痛感したのもいい思い出だった
女の子の店に入るのは落ち着かないし、やっぱりもっかいあのお店、なんてこともあるし、似合う似合わないなんてよくわからない
体力はもちろんオレの方があるけど、最後まで元気だったのはなまえさんの方だった
でもありがとうひろくん、といつものように目を細めてなまえさんが笑うとオレは
胸が温かくなって、どこか満たされる感じを覚えた
だからまたなまえさんに会いたくなった
買い物でもなんでも付き合ってあげたいと思った

今思えばその時はもうなまえさんが好きだったんだと思う
今ではもうオレの中でなまえさんは特別で、一体どこからやってくるのか、決して
外へ出ていかない恋心が溢れてやまない

それが辛かった
押しつぶされそうだった

だってオレは、なまえさんももちろん大好きで、
赤木さんも大好きだったから



「ふぁあ…もう3時ですよ〜」
「あぁ、もうそんな時間か」
「あーあー、なまえちゃんおねむですか?」
「そうです〜」

ハハハ!と笑う天さんについでオレは解散を提案した
オレも昼夜はわりとまともな生活をしていたから大分疲れていた

「あーなんか…帰ると思うとさらに眠気が…」
「おいおいなまえ、大丈夫かよ」
「タクシーでも拾いますか?」
「おぉ、ひろ紳士!」
「普通ですよ!全く」
「じゃあなまえ、タクシー呼ぶから今日はオレのとこに泊まれ」
「う〜ん、やったー…」

眠そうに目をこすりながらいつもよりゆるくへら〜と笑うなまえさん

あ、そっか…と
音も立てずにオレの心臓は誰かに鷲掴みにされて、潰れてしまいそうだった
思えば2人が笑い合うのを見ていれば気付いたはずなのに
なまえさんを想うのでいっぱいいっぱいだったガキなオレはそんなことすらわからなくて
今もまた弱い心臓をつぶされないよう必死で喘いでいる
天さんが行くぞ、とオレの名前を呼んでそいつはやっとオレの心臓を離してくれた
つかえがとれたように心臓は険しく鼓動していて、やっぱり苦しかった


「…ひろ、飲んでくか?」
「…勘弁してくださいよ、オレはちゃんと朝起きなきゃいけないんですから」
「ハハハ、じゃあまた今度な」


天さんは気付いていたんだと思った
だから、いつもの様に振る舞っているはずなのに苦しかった
大人しく退いた天さんにもっと辛くなって、一人になると上を向いて息を吸い込んだ

オレの子供じみた恋は静かに静かに、砂のようにさらさらとオレの手から零れ落ちた
いっそ夢なら良かったのにとも思う
そうしたら多分、何の傷も負わずにまた幸せな卓に戻れるのに
でもこの凄烈な痛みは夢なんかじゃなかった
それは夢よりも、ずっと愛おしい現実だった




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