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村上保の憂鬱







「あ、おはようございます主任!」
「おはよ、早いななまえ」
「はい!ちょっとわからないことがあったので早めに来ました」
「わからないこと?」
「はい、この検品表の日付のことなんですけど…」

ちょっと眉を下げて困った顔で書類を指差すのはみょうじなまえ
このカジノの従業員で、最年少なのもあってマスコット的存在である

「あーこれな、これはこっちの欄が受注日、こっちが記載日、これが納品日。
ややこしいんだけど、この日付が一番若ければ大丈夫だから
ここにチェックがないやつだけ発注しといて」
「なるほど!わかりました!ありがとうございます」
「うん、偉い偉い」
「えへへ…主任に褒められたーっ」

そしてそんななまえを指導しているのがこのカジノの主任、村上保その人である
一見、何の問題もなさそうな平和な職場だが、彼はある悩みを抱えていた

「そう言えば、この間も一人で遅くまで管理申告書書いてたな」
「あ、木曜日ですか?はい、でも僕は慣れてなくて時間がかかっちゃうだけで…」
「でも丁寧に書いてるよ。
時間は今は気にしなくていいさ」
「はいっ!ありがとうございます主任!」


「…ゴホン」
「あ、店長…!おはようございます!」
「おはようございます!」
「…ん、おはよ」

咳払いして恭しく事務所へ入ってきたのは店長の一条聖也である
端正な容姿と明晰な頭脳を併せ持つ支配人で、村上の信頼する上司だ
が、彼がこの場にきたことで、村上の憂鬱のタネが揃ってしまったのだった

「何の話?」
「あ、いえ、みょうじが残って申告書を仕上げてたので」
「ふーん。そういえば昨日もなんだか手こずってたみたいだったけど?」
「あ、それはさっき主任に教えていただけたので大丈夫です!」



「…」
「…」
「………そ、ならよかった」

完璧にひきつっている…

とどうにか口角をあげながら椅子に座る一条を見て村上は思う

そう、彼の悩みとは職場の人間関係なのだ
知ってか知らずかニコニコと地雷を踏みまくるなまえと心なしかずーんと影を背負ってファイルを開く一条に村上はこっそりこめかみを抑えた

「そうだ、あの、店長」
「な、なに?」

なまえが思い出したように一条を呼ぶと必死に嬉しさを隠しながら振り向く
ごそごそとなまえが出して来たのは綺麗な包装の施された箱だった
一条はにわかに盛り上がる

「え…なにそれ、まさか…!」
「はい、店長に」
「うっ…みょうじっ…!」

「渡してくださいと女性のお客様から」

「え……………」
「………………」

笑みの余韻を残したまま固まる一条にやっちまった…と村上が軽い眩暈を覚える
そろそろ村上の胃が胃痛を訴え始めそうだった

「あ………あぁ、そう…」
「はい、とてもお綺麗な方でした!」
「ふーん…そっか…」
「(店長…)」
「あれ、どうかしました…?」
「いや…なんでもない…

…じゃあ村上、これ」
「…はい、わかりました」
「え、開けないんですか…?」
「ああ、店長に贈り物してくる人は多くてね…」

おいで、と手招きされ不思議そうな表情のなまえが村上について部屋の隅の扉に向かうと、村上がドアを開ける

「わ…!」
「これ、全部店長へのご厚意だよ」
「えええ!すごーい!」

小さなクローゼットのようなスペースに収まっているのは、常連から一条個人への“チップ”だった
まだ綺麗な包装のされたまま、手のつけられていないものもある
自分の席で書類を広げたままちょっと機嫌を直して得意げな一条に村上は胸を撫で下ろした

「もしかして、女の人からですか?」
「ああ、まあだいたいそうかな」
「…………へえ〜」
「…あっいやでもそれは店長が女性にモテるってことであって決してこう、ヘンな意味じゃ…!」

慌てて村上がフォローするも、棚を見つめるなまえの目は冷たい
村上がちら、と一条を振り返ると、

机に突っ伏した肩が震えている

「(圧倒的逆効果ーーっ…!!)

あ〜、えーっと、そうだ、なまえ!コーヒー!いれてくれないか!?」
「え?あ、はい。わかりました!」

バタニ!!と村上が急いで例の扉を閉めて促すとなまえはまたいつもの笑顔に戻る
上の棚に菓子折りあるから好きなの持ってきていいぞ、となまえの背中を押してやった
なまえも嬉しそうに、やったあ!主任ありがとうございます!と無邪気に給湯室へと向かう

「あ、みょうじっ…オレにもコーヒ《バタニ!!》
「…」
「…」
《ガチャッ》
「ごめんなさい店長、今なにか仰いました?」
「な、なんでもない…」
「ほんとですか、なら良かった」
《バタニ》
「…」
「…」
「…うっ…うぅ…」
「て…店長…」
「うぅ…うるさい…村上のバカっ…!」
「う…」

村上はまた頭を抱えた

一条は誰よりなまえを気にかけ可愛く思っているのだが、実際面倒を見るのは村上である
ゆえに気付けばなまえは村上に懐いてぴったりついてまわるようになってしまったのだ
村上とてなまえがかわいいし、一番自分に懐いているのは密かに嬉しいのだが
いかにせよ、自分の敬愛する上司が泣きべそをかいているのは根が真面目な村上には大問題なのであった

「…えーと…そういえばみょうじ、この間店長が風邪ひいたときすごい心配してたみたいですよ」
「……へえー…(どよーん」
「オレに何回も店長は大丈夫ですかとか聞いて来て…ハハ、参りましたよ」
「……ふーん…(じとーっ」
「ハハ…えーっと…」
「…」
「…」
「はあ…お前面倒見いいもんな…真面目だし」
「は…」

一条は鏡を覗き込んで睫毛を触りながら呟くように言う

「そりゃみょうじもお前にべったりなわけだ」
「は…いえ、別にそんなことは…」
「あるっつーの、見てりゃわかんだろ…
でもな、オレはまだ本気出してないからな!」
「はあ…」
「オレが本気出したらな、お前ごときっ…!」
「店長、涙を…」
「うるせえーっ!」

「お待たせしましたー」

笑顔でドアを開けたなまえに一条はさっと背中を向ける
村上は苦笑半分で机の上を軽く片した
そしてかすかに湯気をたてるカップが並んだトレーをおきつつなまえが一条の方を伺った

「あの、店長」
「あ、な、なにっ」
「店長の分もその、いれてきたんですけど…」
「…みょうじ…!」
「あの、紅茶で良かったですか?」
「…ま、まあ悪くないけど」

感激してぶんぶん頷きそうになるのをこらえて口を尖らせそう言って見せる一条に村上はそっと微笑みつつソファについた

「そして主任は青い袋のコーヒーブラックですよね!どうぞ!」
「あ、ああ…ありがとう」
「お揃いで今日は僕もブラック挑戦です!」
「はは…無理するなよ」


「…………………」
「………………(もう帰りたい)

負のオーラをひしひしと感じつつ笑顔でそう返す村上になまえも満足そうにコーヒーカップを手にとった
えへへと笑うなまえの笑顔に高い代償を払って癒されるこの職場で、

村上の冷や汗は今日も止まらない



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