「自動車」「黒髪」「スキー」

予想外の事態に思わず呻いてしまった。慌てて隣の座席を確認するが、黒髪の彼女は眠りから覚めた様子はない。そのことにほっと一息つく。だが、それで今の状況が改善するわけでもない。せいぜい、不幸中の幸いと言ったところでしかないのが悲しい。そして、何にも知らず隣で寝こけている彼女に少しばかり苛立ちを感じた。
彼女は俺の妹で、どうしてもスキーに行きたいから、と俺の自動車での送迎を願い出たのが一週間ほど前の事だ。なんでも友人とスキーに行くのにできないと恥ずかしいらしい。
馬鹿馬鹿しいと一笑すればよかった。明日は仕事なのに。

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『先生』と『手錠』で音読したくなる話

「先生は、緊縛が好きなんですか?」
ませた子供の問いに思わず苦笑を漏らす。
「まさか。私はただ、この手錠の褪せた色味に惹かれてしまっただけですよ」
「……先生は変態ってことでいいですか?」
「それは否定できませんねえ」
穏やかに笑うと子供も仕方ないなあと笑い返してくれた。

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一人きりの部屋 が舞台で『ハンバーガー』が出てくるラブコメな話

片手に安いハンバーガーセットの入った袋をぶら下げて部屋のドアを開ける。今夜はやけ食いだ。なんたって、曲がりなりにも付き合っている相手に「女っ気ない」と言われたのだ。ああ、苛々する。
ハンバーガーにかぶりつく。
もさもさと咀嚼していると、携帯が鳴った。取って耳に当てるのは反射だ。
「ごめん、俺だけど」
「何」
不機嫌だと分かりやすく声で伝えてやる。大体、この男はいつもデリカシーにかける。
「あのさ、昼間の事なんだけど」
やっぱりそれか。舌打ちしたくなるのを堪えコーラを口に含む。
「あれさ、だからこそ俺といる時のギャップがいいって言おうとしてたんだ」
なんて理不尽な。

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「僕と活字と携帯、プラグでも可」

僕は活字が大好きだ。というより、フォントが大好きだ。凝ってあるのも好きだし、逆に装飾を一切排除したシンプルなのもいい。だが、僕には一つだけどうしても好きになれないフォントがある。
僕はゴシック体が嫌いだ。その派生で丸ゴシックも嫌いだ。MSゴシックとか、MSPゴシックなんかも嫌いだ。
嫌いというより日常に溢れすぎていて面白味を感じないのかもしれない。それでも僕はゴシック体が嫌いだといい続ける。
なのになぜ、僕の携帯にはフォントを設定するという機能がないのだろう。それがないゆえに僕は毎日、面白味のない文字を見続けなければならない。
何ともひどい話だとは思わないか?

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一人きりの体育館 が舞台で『植木鉢』が出てくる爽やかな話

 体育館の2階、体育大会とかの時の試合観戦用に置かれたベンチに一人寝転がって丸くカーブした天井を見上げる。幸い、今はどこも体育館を使わないらしい。おかげで、僕はこうしてひとり穏やかに惰眠を貪ろうとしている。タイミングよく、欠伸を一つ。
 ああ、帰ったらベランダの植木鉢に水をやらねば。
 柄じゃない。そもそも姉貴に押し付けられたものだ。誕生日プレゼントだとかほざいていたが、絶対に認めない。プレゼントと言うのは、相手が欲しがるもののことだ。とか言いつつ真面目に世話をしている自分がいる。
 迂闊にも、はまってしまった。きっと今日もまた、仕方ないとか言いつつ世話を焼くのだ。

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命を絶つつもりの音楽家と格好良いけど草食系な変質者、彼らにとって一生分に値する数時間の話

「やっぱり決めたんだ?」
 綺麗に磨きあげたピアノを指の腹でなでながら聞く。
「うん」
「そっか、まあ、いいんじゃないの?お前のもんなんだし、お前が勝手にすれば」
「やっぱり、止めないんだな」
「止めて欲しいの?なら、泣いて縋ってあげるけど」
 あげる、と言うところにこの綺麗な男の本質が見える。
「いい。君らしくない」
「やっぱり?」
 そう言ってひとしきり笑う。そして、いつもは私が座る椅子に腰かけ、白鍵を一つたたく。
「おお」
 何がおお、なんだろう。ピアノ引きではない彼にピアノの良しあしが分かるはずもないのに。
「ああ、引き止めてはやらないけど、言い忘れてたことがあった」
「何?」
「忘れ物、すんなよ」
「は?」
 まるで、旅行に行く前の注意のようだ。おかしくて、思わずくすくす笑う。
「笑うなよ、未練て意外と足引っ張るんだぜ?」
「そうか」
「そうだよ。だから、いまこそこれまでしたいと思ってできなかったことをやっといたほうがいい。例えばそうだな……」
「うん」
「お前は真面目ちゃんだったから、生まれて初めてナンパしてみるとか、綺麗なねーちゃん買ってきて路上でヤってみるとか、すれ違う女の子の胸のサイズを想像してみるとか、なんか面白いことしてみるとか」
「自分だってやったことない癖に」
「だってオレチキンだもん」
 そう言って、笑う。私も笑う。
「いいや、いいよ。楽しそうだけど、それはそぐわない」
「こんな時までそんなこと考えるなよー」
 そう言いつつ、彼だって、自分は自分以外になれないのだとわかっている。だから。
「ほら、そこ退いた退いた」
「えー」
 いつもの椅子を占領していた友人をさっきまで自分が座っていたソファへと追いやる。
「君の好きな曲を弾いてあげるよ。何がいい」
「やっぱりピアノか。そうだなあ、いつも弾いてたやつ。あれがいい」
「ああ、これ?」
 そういってその曲のさわりを軽く引く。
「そうそれ」
「分かった」
 そう言って手を体の横に垂らし、深呼吸をする。数時間後、彼はもう此処にいないだろう。それでいい。
 まだ冷たい発見の感触を心地いいと思いつつ、ただ一人の友人のために指を動かし始める。


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