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バレーのシーズン真っ只中の冬。忙しく各地を飛び回り、毎週末試合に出場する角名の忙しさは想像を絶するものだった。これを毎年続けている先輩選手たちはもう慣れた様子だが、一年目で完全に慣れろというのはいくら対応力の高い角名であっても難易度が高い。

当然ナマエに会いにいく時間もなかなか取れなかった。全く休みがなく、完全に時間が無いというわけではもちろんない。しかし、休日にいかにして疲れ切った体を休め、体を回復させることが出来るかがかなり重要にもなってくる。プロリーグで活躍する選手としてはそれらも大事な仕事の一つになる。これに関してはお互い予想がついていたので、この期間はナマエが角名の方へと向かうことにすると前もって決めていた。

けれどこのタイミングでナマエにもまた新たな声がかかったことで、以前よりも仕事が忙しくなり、二人の都合を合わせることが難しくなった。同じタイミングで忙しない日々を送ることになるなら、それは逆に良かったよね。なんて話をしたのは一体いつだったか。確かにどちらか片方のみが忙しく、連絡もままならない状態が続くよりは、同じタイミングで忙しくなった方が連絡や会える頻度は下がるものの、お互い様だと思えるので負担は少ない。

悩み続けていた人間関係のことは、前に角名にははっきり割り切れと言われている。気にするなという角名の声を何度も何度も頭の中で再生しては、そうするように努めてきた。なかなかそううまくもいかないが、それでも前よりは大分苦しくはなくなってきている。

しかし寒く孤独だった冬が終わりを迎え、春が迫って来ると同時に、日頃溜め込んでいた個人的なストレスを抱えきれなくなってしまった。それはやはりナマエの方で、もちろん内容は角名に対してのことではなく仕事に関してのことだった。

慣れない作業に追われ続け、肉体的にも精神的にも休む暇がない。となると、人間どこかでガタがくるというものだ。

東京駅の改札前。ここを潜り新幹線に飛び乗ればすぐに静岡まで行ける。だが、明日は平日である。当然休みではない。

冷えた空気に指先の感覚が奪われていく。ナマエはその場で数分立ちすくみ、深く息を吐いて背を向けた。帰宅ラッシュのこの時間帯はたったの数十メートル歩くだけでも疲れてしまう。足早に移動する人々に逆らえずに流され、見ず知らずの他人に押しつぶされながら最寄駅を目指した。

ここで弱ってしまっていてはダメだと上向きに思い込むことで、逆に自分自身を弛みの効かない縄でギチギチと締め付けてしまっていることにはナマエも気が付いている。だがしかし、無理矢理にでも上を向くしかない。弱気になっていてはどうにもならない現実が目の前にある。と、向き合えば向き合うほど大きな足音を立てて迫ってくるのだ。ダメだダメだと思えば思うほど、リズムを崩し体も心も動かなくなっていく。

どんなにやりたいことでも、目標があっても、そこに近づくためにしなくてはならない事だと分かってはいても、それでも抑えきれない焦りや不安、取れない疲労がナマエを蝕む。

倫太郎に会いたい。ここ最近ずっとそう思っている。しかし角名も同じように、ナマエ以上に忙しいこともわかっている。会いたいだなんて簡単に言えはしない。あと一ヶ月ほど乗り切ればきっと会える日が来るだろう。それまでの辛抱だ。そう言い聞かせ続けるしかない。


「もしもし倫太郎?さっき電話くれてた?ごめんね出れなくて。最近残業続きで帰るのこの時間でさ」


参っちゃうよね〜と、静かな部屋に努めて明るいナマエの声だけが響く。冬の凍えるような冷たさはだいぶ前に去ったものの、まだまだ寒さは拭えない。ゆっくりと腰掛けたベッドのスプリングがギシッと歪な音を立てた。スマホ越しに聞こえる『無理しすぎないようにね』という聴き慣れた角名の声に、ひどく安心し胸が締め付けられる。

会いたい。声を聞くとその想いが増す。角名の声が耳からスッと体の中に入ってきて全身を巡る。鉛のように重い体が僅かに軽くなる感じがした。声が聞けるだけでこんなにも安心するのだ。こうして電話越しに話せるだけで十分じゃないか。それでも、やっぱり早く会いたいと思う。直接顔が見たいと思う。

耳元に心地よく浸透する角名の話を聞きながら、ナマエは必死に心の底に降り積もり氷のように固まった本音を隠した。


『最近調子どう?』

「いい感じだよ。大変だけど、やりがいはあるし、良い経験になってる」


その言葉に嘘はなかった。自分の精神面や疲労度を考えなければ。仕事だけを見れば調子は確かに良い。それでもこんなに追い詰められている。自分がこんな風に忙しさに負けてしまいそうになる人間なのだという事実が悔しい。

早く会いたい。もう一度そう思いながら、角名の『良かった』という柔らかな声にナマエは耳を澄ませた。疲労を洗い流すように体に降り注ぐそれを聞いていると自然と眠気が襲ってくる。意味もなく鼻の奥がツンとした。じわっと滲んだ視界を無視するように目を閉じた。通話はまだ続いている。ナマエの意識はそこで途絶えた。
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