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ナマエが初めて訪れた東京で目にした光景は、予想以上の人混みと、真冬にも関わらず寒さを一切感じさせない体育館を満たす凄まじい熱気と、丸く綺麗に研磨された選手たちのボールの形をした熱い想いだった。

春の高校バレー、全日本バレーボール高等学校選手権大会。通称春高。前回大会も好成績を残し、夏のIHは準優勝だった稲荷崎高校は優勝候補として全国の学校から注目を浴びていた。しかし大接戦の末、誰もが予想していなかった初戦敗退となった。


「おはよう」

「……今何時」

「九時」


そこそこ良い時間ではあるが、まだ寝れると掠れた声で言って再びベッドへと潜る角名に、そろそろ起きようよとの声をかけることもなくナマエはそっと腕を回した。

角名は東京から帰ってきてそのままナマエの部屋へと訪れていた。バレー部もさすがに全国大会から帰ってきた翌日は練習はない。ナマエの両親は、ナマエがもう何泊かしてくると思っていたために、その間に二人で旅行へいこうと計画してしまっていてしばらく不在だった。

背を向けて眠る角名に寄り添って、できる限りの力を込めてしがみつく。角名は起き上がることなくずっとこの体勢のままだが、もう起きてから何時間も経過しているだろうことはナマエも気がついていた。眠りについていたのはどれくらいか、そもそもしっかりと寝ていた時間があるのかは定かではない。


「……前にさ、私が落ち込んでたことあったじゃん」

「デザイン段階では良かったけど、作ってみたらそこまで可愛くなかったとか言ってた時?」

「そうそれ。紙に絵で描くのと実物だと見え方が違うんだって頭抱えてたやつ」


当時を思い出しながら、ナマエが懐かしむように薄く笑った。


「あの時倫太郎が、ここで失敗しておけた方が後々良いじゃんって慰めてくれたの、かなり嬉しかったんだぁ。次からはもっとそういうことも考えて、実物にすることを意識したデザインをしてみようって思えた」

「俺は別に慰めようとは思ってなかったんだけど、ナマエがそう思ったなら良かったのかな」

「うん」


額を角名の背中にくっつける。そしてナマエは静かに目を閉じた。


「私は、倫太郎に何を言ったら良いんだろうって、考えてた」


僅かに反応を見せた角名が静かに息を吐く。


「……でも用意された言葉とか倫太郎はいらないだろうから、別に何も言わなくても良いかなって思った」

「俺が落ち込んでるとでも思ったの」

「ううん。違うと思ったから、何も声はかけなくても良いかなって思ったの」

「うん」

「でも、悔しそうには見えたよ」


負けたことに落ち込んではいない。けれど、勝てなかったことは悔しい。そう思っていた。ナマエの言葉に角名は息を飲む。ゆっくりと体を回し、ナマエに正面から向き合った。暖房を入れても肌寒い冬の朝の空気の中では、ベッドの中にある自分のものではない温もりが際立って、より一層恋しくなる。


「どうしてそう思った?」

「そう見えたんだよ」

「そんなわかりやすい感じだったかな、俺」

「倫太郎は態度や表情に出さないから、感情がわかりやすく目には見えないけど、でも私にはそう見えたよ」

「……どうして」

「だって倫太郎ってバレー好きでしょ」


さも当たり前のことのように言い放ったナマエに、角名は思わず目を見開いた。そりゃ好きだけど。でもこんな風に言われることは予想してはいなかった。角名はナマエの背中へと手を回しながら、「そんなにわかりやすいかな」ともう一度困ったような声を出す。

ナマエの瞳は奥の奥まで澄んでいて、角名に対して嘘を吐こうだとか、やり過ごすために適当なことを言おうだとか、そんなことを思っているとは微塵も考えられない。


「ここで違うよって否定しないのも好きな証拠。倫太郎みたいな性格の人がここまでしっかり打ち込んで真面目に取り組んでるんだもん。好きなこと十分伝わるよ。私もそうだから」


ナマエが一つの作品の制作の過程で失敗したことと、角名が全国大会の地で悔しい思いをしたことの重要性はイコール同じでは決してない。そこに関しては比べものにはならないはずだ。しかし角名もナマエも、言いたいことはその物事の重大性ではなく、取り組んでいる己の気持ちの大きさのことだということをしっかりと解っている。

口だけなら「その気持ち解るよ」なんて台詞は誰にでもいくらでも言うことが出来る。だからこそ、口先だけの言葉では受け取る側は何の感情も動かされない。むしろ何を解ったつもりでいるのだと苛立ちを覚えるだろう。

結局、分かり合えるか合えないかというのは、同じ熱量で何かに向き合ったことがある人間同士だけなのだ。一方がバレーボール、もう一方がファッションと対象が同じではなくても、同じ熱量、同じ想いを抱きながら二人は物事に取り組んでいる。だからこそ角名はナマエに対して、ナマエは角名に対して発言ができる。


「落ち込むかそうじゃないかはそれぞれの気持ちの置き所次第で、悲しいか悲しくないかも受け取り方と考え方次第だけど、でも悔しさだけはみんな一緒だと思うの。こんなに全力で取り組んでるんだもん。好きなことを一生懸命やった上で負けたり失敗したりしたら、誰だって悔しいに決まってる」


ナマエの言葉に反論はせず角名は素直に頷いた。声は出さず、首だけを動かす。ナマエの言う事は、自身の経験や現状からしっかりとした確信と共感を感じられる。俺が頭の中でいくら考えてもしっくりこなかったのに、ナマエがわかりやすく真っ直ぐな言葉で導き出してくれた。

角名がナマエをしっかりと抱き寄せた。自分よりもうんと小さく、壊れやすそうな女の子。しかし心持ちと取り組む姿勢は同じ大きさだ。この子に出会えたことは自分にとって大きな幸運であると、柄にもなく角名は思った。
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