夢は泡沫


「んじゃ、のっちの結婚を祝して、かんぱーい!!」


今夜は高校の同級生たちとの集まりがあった。定期的に開催されるそれは飲み会という名の近状報告会でもある。つい先日、大学生の頃から付き合っていた彼氏からついにプローポーズを受けたというのっちの為に今日は集まったのだった。

駅から少し離れた静かな店内。学生みたいなノリで飲むわけでもない私たちは、居酒屋というよりも小料理屋に近いこの店をいつも利用していた。半個室なここはとても居心地が良く、今年で二歳になる娘のいるよっちも安心して来ることができる。


「にしてもだいぶかかったよね。だってさ、付き合って何年目?大学一年とかの時じゃなかった?」

「私が十九の大学二年の時からだよ。だから年数にするともう十年かな」

「ひゃー。むしろよくこの歳まで籍入れなかったよね」

「相手の仕事とか色々複雑だったから、全部安定してから入れようかってずっと話してたの」

「じゃあお互い結婚する気はもうずっと前からあったってことなのね」


感心した様子の友達たちがそれぞれの言葉で彼女を祝福していく。ここにいるメンバーのほとんどが左手の薬指に指輪をつけていた。ついこの間の冬に結婚した友人は付き合って二年で。去年の秋に式を挙げた友人は交際期間半年のスピード婚。そしてもう一人はこの夏に海外で挙式をする。


「そういえば伊吹は?彼氏ともう結構長くない?」

「長いって言ったって、二年だよ」

「何言ってんの、二年なんて一番ちょうど良い長さじゃないのよ」


うとうととする娘をあやしながらよっちが私に話を振った。ここのメンバーはもちろんみんな同い年。高校生や二十代も前半の頃は、彼氏がどうだ、好きな人とどうだとそれぞれの恋愛話に花を咲かせたものだ。しかし、出会ってから十年以上が経ち、私たちはもう二十代も最後の年となった。こうなると波乱万丈で初々しい恋の話も少なくなる。旦那さんや長年付き合っている彼氏との安定した話や愚痴、子供関係、仕事のこと、これからの将来のこと。あの頃とはまるで話題が違くなってしまった。

そんな中で年下の彼氏と付き合い続けている私の話は彼女らの良い刺激らしく、こうしてよく話題を振られる。しかし彼が年下だからといって特別何かがあるわけでもなく、私たちは至って普通の平凡なカップルだ。それに結くんはすごくしっかりしているから、私の方がうんと年下に思える瞬間の方が恥ずかしながら多い。

これといって彼女たちに話すことも見つからなく、特に何もないよ。そう答えれば「もったいぶらないでよ」なんて笑われて、私はそれに苦笑いで返すしかなかった。


「結婚とかは?しないの?」

「うーん、どうだろ。わかんないや」


集まるたびに決まって言われるこの言葉にも、これ以外にどう答えればいいのか、いまだに正解がわからない。

重たい体をなんとか動かし階段を上がる。みんなとご飯に行くことは楽しい出来事だったはずなのに、いつからこんなにも疲れるようになってしまったんだろう。

夜の海に投げ出されたように周りが見えなくなる。それぞれの人生だから、人と比べる必要も、焦る必要もない。そう言い聞かせるように何度も心の中で繰り返すも、月の光さえ届かない海中で、ただ酸素を求めもがく事しかできない。海水なんて掴めるわけもなく、握りしめた手のひらを開いてもそこには何も残ってなかった。

はぁと大きなため息をつきながら家へと帰れば、暗いはずのそこには明かりがついていて、玄関には私のものではない一足の大きな靴が綺麗に揃えられ置かれていた。


「……ただいま。結くん、いるの?」


そろそろと部屋の奥に進んでみても彼の姿は見えなかった。ワンルームのこの家じゃ、見つからないはずがないのに。


「あ、伊吹さん、おかえり」

「わっ!!」

「おわっ……そんなにビビられると思わんかったから俺までビビってもうたわ」

「ごめん、シャワーしてたんだね」


後ろから飛んで来た声に肩を跳ね上げながら振り向けば、髪の毛先からぽたぽたと水を滴らせる結くんがいた。ガシガシとタオルで頭を拭きながら私の横を通り過ぎる。上半身に何も身につけていないために、彼の鍛え上げられた体は隠されることなく晒されたままだ。逞しいその背中に背を向けて、「私も眠くなっちゃう前にシャワーしてくるね」と半分逃げ出すように部屋を出た。

ズリズリと風呂場のドアに背中を沿わせるようにしてしゃがみ込む。彼女たちとご飯に行った日はなるべく一人になりたいのが本音だ。しかしそんなことを伝える勇気はない。どうして?と、理由を聞かれてしまう方が怖いからだ。

狭い空間に響き渡るため息の音をシャワーでかき消した。疲労感と汗と一緒に、このモヤモヤとした気持ちも一緒に流して、心も綺麗に洗えてしまえればいいのに。そんなことできないけど。それでも願うしかない。

結婚、出産。焦りが、ないはずがない。

三十なんてまだまだ若い。わかる。現代ではそんなに焦る年齢でもない。わかる。もっと歳を重ねてから相手を見つけている人だっている。わかる。もっと年下の相手と結婚している人だってたくさんいる。わかる。そもそも結婚だけが幸せな道じゃない。わかる。人と比べたって幸せにはなれない。わかる。幸せな結婚をして素敵な家庭を築くことはいくつになったって出来る。痛いくらいに、わかってる。

わかってるけど、でも、それでも、私は思ってしまうのだ。なるべく早く結婚がしたい。誰と?好きな人と。その相手が、結くんだといいなとは思う。思うけど。ああ、だめだ。こんがらがる。

絡まって抜けてしまった髪の毛がぐるぐると渦を巻きながら排水溝に消えていった。ザァーっと響くシャワーの音が耳障りで消した。シンと静まりかえったこの狭い空間に感情を全部閉じ込めて早く出よう。そう思いながら立ち上がった。そんなことできるはずないのに。それでもやっぱり願うしかない。

さっきから出来ないことを願ってばっかだ。直接聞いてみればいいじゃないか。結くんに。私と結婚する気ある?って。それは出来ないことではないだろう。

結くんとの年齢の差は五つ。そこまで言うほど無いと思われるだろうか。それでも私にとってその五年はそれはもう大きな大きな溝だった。

最初は何も引っ掛からなかった。だって、すぐに別れる気でいたから。当時の私は二十七で、彼は二十二だった。攻めてばかりのアプローチも、怯まない告白も、年上に対して怖気付かない態度も、何もかも若くていいなぁ。そんなことを思っていた。

私もそろそろ本気で将来のことを考えられる人を見つけなくちゃ。年齢的にも彼の次にお付き合いする人とはきっと本格的にそういうことを視野に入れることになるだろう。そう思っていたのに、彼の次なんてものは来なかった。私は、きっとまだまだ将来だとか真剣に考えながら交際をスタートさせるような年齢でもないだろう相手にコロッと落ちてしまっていた。

結婚したいなんて言ったら彼はどんな反応をするんだろう。男の二十四なんて、一番の盛りじゃないか。まだまだ遊べる。身を固めようという考えを持っていなくてもおかしくはない。今じゃなくてもいずれ私と籍を入れる気はあるのか、直接でもさりげなくでも確かめておいた方がいいとは思う。もしも彼に私とそうなる気がないのなら、早急に別れた方が良いのかもしれない。でも、その結論が出てしまうのも怖い。

別れたくない。だけどこのままズルズルいくのも怖い。どうにもならない。どうにできない。

私が二十四で彼が二十九ならこんなに焦ってなかったのに。この年齢差が逆なら良かったのに。女だってまだまだこれからよって、私も他の人みたいに思える性格なら良かったのに。年齢とか結婚とかそんなことに縛られずに、彼のことが好きだから何も心配せずにこれからも一緒にいるって、そう思えるような真っ直ぐさが私にもあれば良かったのに。

私の夢が、もっと全然違うものだったら良かったのに。




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