幸せだって叫んでくれよ



「……瀬見」

「っやっぱり!澤だよな!」

「え、うん」

「久しぶりだなー!元気してたか?」

「うん。瀬見は……なんか、凄い元気そうだね」


ニッと大きく笑いながらこちらへとやってきた彼は本当にあの頃と全く変わらない表情をしていた。私ばかりが歳をとってしまったのかと疑うほどに。私の横へと並んで、「こんなとこで、マジで、偶然」なんて、さっきの興奮を治めるように呟いた彼がもう一度「元気?」と聞き直してくる。


「元気だって」

「にしては浮かない顔してんな」

「そんなことないよ。瀬見が元気すぎるだけじゃん。変わってないね」

「そんなことねぇって」


緩やかな風が足元をくすぐった。秋の終わりの匂いがする。


「式場で澤っぽいやつ見つけて、今までずっと気になってた」


瀬見が一歩踏み出して距離がグッと縮んだ。と言っても人と人が向かい合って話すには適切な距離感で、近すぎるというわけではない。もう一度吹いた風がセットされている髪の毛を柔らかく揺らした。


「私も披露宴の前に見かけてさ、やっぱり瀬見だったんだね」

「見つけてたんか。その時声かけてくれれば良かったのに」

「時間もなかったし、確信も持てなかったからさ」


嘘。たった一瞬で確信なんて十分持てた。瀬見は卒業してから一回も会ってねぇしななんて言いながら頭を掻く。


「瀬見は二次会行くの?」

「あー、俺明日仕事朝早くて」

「そうなんだ。残念だね」

「久しぶりだからもっと話したかったんだけどな」


残念そうに彼は眉を下げた。私たちの間を今度は強い風が通り過ぎていく。その冷たさに目を細めたと同時に、ニカっと笑った彼が「今度飲もうぜ」と言ってスマホを片手に取り出し「澤の連絡先、あの頃と変わってねぇよな?」なんて聞いてくる。

瀬見にとっては私は完全に過去なようだ。喧嘩をして気まずく別れたわけでもないし、これだけ時間が経てば昔の良い思い出だと笑いながら酒のつまみにでもできるのだろうか。私がこんな状態ではなかったら、もしかしたら私もそうしていたかもしれない。「あの頃はさ」、なんて言いながら、少し気恥ずかしくはあるけど笑って普通に話せる。私と瀬見の関係は友達の延長みたいなものだったからだ。

でも今の私には出来ない。後から気がついたことだけど、私にとっての瀬見はとても大きな存在だったから。さっきのたった一瞬で、今のこの少ないやり取りの中で、他の人と接している時とは全然違う胸の高鳴り方をしていることに気がついてしまった。

私は瀬見を、まだ過去には出来ていない。


「変わってはいないけど、ごめん」

「……あー、彼氏とか、いる感じ?」

「いないけど……でも、ごめん」


なぜだか泣きそうだった。きっとこの瞬間気まずいのは私よりも断られる瀬見の方なのに。彼は「俺こそごめん。久しぶりだったからってつい調子乗って。元彼と飲みにいくとか、やっぱアレだもんな」と苦しそうに笑いながらそのままポケットにスマホをしまった。


「そろそろ二次会の招集かかるんじゃね?俺ももうそろそろ行くわ」

「……瀬見」

「澤も、元気で」

「……瀬見、」


片手をあげて私の呼びかけに応えることもなくそそくさとこの場を立ち去ろうとする瀬見の名前をもう一度大きな声で呼んだ。私に背を向けたまま、振り返ることなく「なに?」と瀬見が小さな声で反応する。


「何もないなら、俺行くけど」

「……ごめん」

「だからいいって。俺も澤のこと考えずに悪いことした」

「違くて。あの、瀬見と連絡が取れないのはもう会いたくないからとかじゃなくて……逆なの。私は瀬見と過ごしたあの時間がすごく大切で、今でも全然忘れられなくて、いつも思い出すの。だから、もう会えない」

「……なんで」

「綺麗で眩しい大切にしたい思い出なんだよ。でも、私にとっては過去のことじゃないの。ごめん、こんなこと言ったら困るだろうけど、私まだ瀬見のこと好きなままだったんだ」


だからごめん。小さく最後にそう呟いて顔を伏せた。足元が段々と冷えていく。握った指先に力を入れた。瀬見の顔は見れなかった。


「俺のこと、今ここでちゃんと過去にしたいってこと?」

「……うん」

「俺は、今ここにいるんだけど」


過去じゃない今の瀬見が、振り返って眉を下げ笑う。男らしい顔つきをしている彼が見せるその少し困ったような笑みが懐かしかった。

記憶の中ではない彼がいる。そしてきっとこれからは今日の彼も出来事も大切な記憶に変えて、たまに思い出しながら生きていくのだ。いつだって今は過去になる。昔も過去も、これからも、その一瞬が過ぎ去ってしまえば全てが過去となり、全てが大切な思い出と化す。

真っ直ぐ見つめてくる強い瞳を直視できなかった。胸に残った灯火がもう一度ちゃんと大きな炎になるのにここまできたら理由なんてものはない。理由もなく終わったのだ。理由がない終わりがあるなら、理由のない再熱があってもなにもおかしくはない。このまま瀬見と関わり続けたら今は僅かなその胸の火がどんどん大きくなっていって、自ら焼かれて終わるんだろう。キャンドルライトのようなぽっと暖かな小さな火が、全身を覆い尽くすほどに大きくなる。そうなったら一生鎮火なんて出来やしない。それがとても怖かった。

本当に自分勝手だ。何もかもが。胸の前で握りしめた手は力を入れすぎて白くなってしまっている。そこにかさついた風が吹いて僅かに残る体温さえをも虚しく奪い去っていった。


「…………あのさ、澤」

「澤先輩〜!いたいた!こんなところに!」


瀬見が何かを伝えようとこちらに一歩踏み出すと同時に、二次会の招集がかかっていることを知らせるために私を探しにきた愛ちゃんに見つかってしまった。向かい合って立ちすくむ私たちを見ながら彼女が「……私邪魔しちゃいました?」と気まずそうに首を傾げる。


「もう集まらなきゃ?」

「え、はい。そろそろ移動するって……」

「わかった。行こうか」


彼女の言葉に頷いて、瀬見の横を通り過ぎる。なにも言わなかった。卒業式のあの日みたいに。


「……っ澤!」


あの時なにも言わずに階段を降りていった彼に私は声をかけなかったのに、彼は同じように黙って去ろうとした私の名前を大きな声で叫んだ。私よりも隣に並ぶ彼女の方が驚いている。振り返るのをためらう私に、そのままで良いからと小さな声で言った瀬見がゆっくりと言葉を繋ぐ。


「……来月の、二週目の土曜日。澤が好きだったあのバンドの解散ライブがあった小さいライブハウス。そこに来てくれよ。夕方六時」


じゃあな。そう言った瀬見は私たちを追い越して遠くにある人の輪の中へと消えていく。私の知らない人たちと話す瀬見は、この場に漂う気まずい雰囲気などカケラも残さずにその中で笑っていた。


「先輩……?」

「……ごめん、行こっか」


来月の、その時間にそこに行けば瀬見に会えるのだろうか。会ってどうするんだろうか。瀬見はあんなことを言った私と何を話すつもりなんだろうか。絡まった思考が詰まりきって、それ以上は何も考えられなくなった。




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