07



「気になってたんだけどさぁ」

「うん」

「なんできみって角名くんのことまだ名字で呼んでんの?」

「…………」


次の講義までの待機時間、食堂でまっちゃんが唐突に言い出した発言でグループは密かに私を置いて勝手に盛り上がっていた。


「角名くんはきみのこと名前で呼んでたじゃん?」

「付き合って一年で同棲して半年でしょ?そりゃね〜」

「もしかしてきみ、私たちの前では角名くんでも家では名前呼びとか?」

「………家でも角名くんだよ」

「「「まじで?」」」


びっくりしたような声を上げて私の顔を覗き込んでくる友人達。その空気に耐えきれず、言い訳をしようと口を開く。


「角名くんが、角名くんのままでもいいって」





あれは、確か付き合って1ヶ月経つかたたないかくらいのことだ。


「面白かったね〜」

「ほんと、きみの反応見てるの面白かった」

「え!?私!?ちゃんと映画見てよ!」


この日は話題の映画を見るために二人で出かけていて、映画を見終わって少し休憩するために近くのカフェへと入った。大通りから外れたところにあるここは隠れ家的なところで、近所の人であろう老夫婦と、勉強をしに来ている大学生がいるのみでとても過ごしやすい。


「百面相って感じでよかったよ」

「めちゃくちゃ恥ずかしい…」

「いいじゃん、感受性豊かで。さすがだね」


上手いように言いくるめられてる気がしなくもない。頼んだ紅茶が運ばれてくると砂糖を多めに入れる。それを見守っていた角名くんは何回見てもその量の砂糖には慣れないな…と無糖のコーヒーを一口飲みながら目を細める。


「角名くんは無糖で飲めてすごいよ。私コーヒーなんてたぶん溢れるくらい砂糖入れなきゃ飲めない」

「それはもうコーヒー味の砂糖」


想像しただけで口の中甘くなってきた、と眉を寄せる角名くんを見ながら、酷いなぁと砂糖を溶かすようにぐるぐると紅茶をかき混ぜる。


「卵焼きも甘い派?」

「しょっぱいのもどっちも好き。飲み物だけで、料理は別に味覚普通だよ」

「そうなの」

「…怪しんでる?私こう見えて自炊結構するんだからね。味については問題なしです」

「へぇ、じゃあ今度作ってよ」


俺の家ときみの家どっちがいいかな、なんて言いながら真剣に何を食べるかを迷いだす角名くんを横目に、そういえばまだお互いの家に行ったことないなと思いながら角名くんの部屋を一瞬想像してみたけど、なんだか恥ずかしいし本人を前に勝手に想像するのは悪いのでやめた。

しばらくハンバーグもいいな、でもやっぱ王道は肉じゃが?と言いながら楽しそうにする角名くんを眺めていると、肘をついた角名くんが顔をこちらに向けてパチリと目が合う。


「一緒に住んじゃえばなんでも食べれるようになるのか」

「へ!?」


いきなりの爆弾発言に戸惑いながらも返事を返すと、裏返った声にクツクツと笑いながら動揺しすぎと突っ込まれる。


「俺はきみと末長く一緒にいたいと思ってるから、いつかは一緒に暮らしはじめると思うけどな」

「…そんな」

「何?きみは俺と一緒にいたくないの?」

「そういうわけじゃなくて!でも私たちまだ付き合って1ヶ月だし…てかなんで角名くんはそういうこと恥ずかし気もなく言えるの」

「本気で言ってるから」


俺は実現不可能なこととか、興味ないこととか、やる気出ないことに関しては何もしたくないし確信持たなきゃ動きたくないんだけど。これは確信持ってるからいくらでも言えるよ。と、こちらを見ながら何の躊躇いもなく言い放つ。


「きみは俺のこと角名くんって呼ぶけど」


男性にしてはとても綺麗で、細長い指をスラリとカップに絡めながらまだほのかに暖かいコーヒーを一口飲む。少し伏せられた切れ長の目は色気を含んでいてとても美しく感じる。

コトッと控えめに音を立てながらカップを置いた。その指先を目で追い、そのまま腕を伝うようにして目線を彼の顔まであげると、優しいというより妖しい、悪戯に笑う彼と目が合う。


「苗字が一緒になったら必然的に名前で呼ぶしかなくなるんだから、それまでは苗字で呼ばれるの楽しんでおこうかなって」


ね?と確認するように追い討ちをかけられれば、うんと頷くしかない。それってある意味プロポーズじゃない?まだ付き合い始めても日が浅いし、出会ってからもそんなに経ってないのに。

絶対結婚しようねとか、ずっと一緒だよとか、高校生みたいなことを言うのはとても恥ずかしいし幼く感じてしまうけれど、それでも目の前の彼はそんな一時の感情でポンポンと言葉を発する人ではないと、まだそこまで同じ月日を重ねたわけではなくても理解している。


「もう、それ以上は、今はちょっとムリです」

「はは、キャパオーバー」

「笑い事じゃない」

「これくらいで恥ずかしがられてちゃ先が思いやられるな」


真っ赤になった顔を隠すように両手でカップを持ちながら紅茶をゴクゴクと飲む。解けきれてない砂糖がドロっと流れ込んできて口の中がとても甘い。

心も味覚もドロドロに解けた砂糖みたいな甘さに支配されて、いよいよ耐えきれなくなった私を見て声を上げて笑い出した角名くんの腕をぺしんと叩いた。





「なにそれ、なにそれ…!」

「角名くん本当に何者?漫画から飛び出してきたとかじゃなく?」

「あの見た目にあの雰囲気だから許される発言だよ、しかも絶対本人それを自覚してる。怖いわ…」


ワナワナと震えながら私の話を聞いていた友人達はもう耐えきれんとばかりに声を上げる。


「で、あんたはそれから半年もせずにまんまと同棲を始めたわけだ」

「そうですね…」

「結婚、結婚かぁ…………式には絶対呼んでよね」

「まだ早いって、さすがにそれは今後なにがあるかわからないし」

「あんたそこまで言われててまだそんなこと言ってんの?!」


贅沢すぎるぞとヒートアップしていく友人達をどうどうとなだめると、落ち着いたのかフゥと息を吐き出した友人達はやってられんと言わんばかりに大きく伸びをし始める。


「幸せそうでいいね」

「………うん、それは、そうだね。幸せです」

「はぁ〜ゴチソウサマ。お腹いっぱいです」


優越感、とはちょっと違うけど。周りのこの反応を見ていると彼は本当に素敵な人なんだなって思える。

そう思わせてくれる、角名くんが好きだ。





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