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ふわりと吹く春風に舞い上がる桜の花びらが綺麗な4月。今日は大学もバレーもない一日中オフで、久しぶりに出かけている。人混みはそこまで得意ではない。人に誘われれば行くけれど、自分一人で出かける時の目的地としては絶対に選びはしない若者の集まる都心の人気エリア。

人の多い大通りを一本抜けた細い道は、先ほどの人はどこに行ってしまったのかというほど人がいない。そんな中にある建物は、小さな各部屋が全て繋がっている構造をしており、レンタルスペースとして貸し出しているギャラリーとなっている。

オリジナルのキャラクターグッズを作って展示販売する人、他よりも少し大きな部屋でグループ展をする人たち、絵ではなく造形物を展示する人、他にもいろんなアーティストがそれぞれの作品を並べている。

それらを抜けて少し進んだ角の部屋の前に、今日の目当ての名前を見つけて一度足を止めた。中を覗くと数名展示を見ている人と、主催者と話をしている人が2人。それを確認して扉の中に入ると、目当ての人物は少し目を見開いたあと「ゆっくり見ていってくださいね」と一言残して話をしていた人物たちへと視線を戻す。


「本当に来てくれるなんて、思ってませんでした」


一通り絵を見て回るともう展示時間も終わりに近くて、周りには誰もいない。タイミングを見計らってかけられたその声に、視線を絵から声を発した人物に移動させる。


「約束は守るよ」

「でも、絵なんて興味ないって言ってたじゃないですか」

「まぁ、そうだね」

「だから冗談だと思ってました」


絵に興味がないなんて出品者である本人に結構失礼なことを言っていると思うのに、ニコニコと笑みを浮かべる彼女はお人好しの類なのだろうか。ほわほわと周りの空気を溶かしていくような柔らかな空気を纏っている。


「他の出品者さんは?」

「今日は私の在廊日で、私しかいないんです」

「そうなんだ、今日来てよかった」


今回は恋じゃないんだね。もう一度絵に視線を戻しながらそういうと、少し困ったように「まだあの絵以外の恋の絵が描けそうにないので」と笑う。


「片思いの終了って言ってたけど」

「はい」

「……やっぱあんまり突っ込んだ話は聞かない方がいいのかな」

「いえ、別にもう終わったことですし、私ももう気にしてないので大丈夫です」

「やけに割り切ってんね」

「今思うとそれが恋なのかもわからないなと思って。よく考えたら憧れとか尊敬とか、そういうのが大きくなりすぎてこいだと勘違いしてたのかなって」

「ふぅん」

「でも、そういう曖昧な恋もあるんだなぁって。今となったらよく考えればあれが恋愛感情だったとは思えないんですけど、その当時の私はそれが恋だと思っていたので」

「難しいな」

「はい」

「…ほかの恋はしたことないの?」

「人並みにはありますけど、恋に恋したって感じで。恥ずかしい話ですけど」


すごく個人的な話なのに、作品と関連がある話題だからか素直に話してくれる。俺は絵に関しては本当にわからない。技法も評価点もわからない。漫画を読んでいてこの作者は絵が上手いな、この作者はちょっと下手だなと思うくらいだ。

ただ、直感でこの人の絵は何か引き込まれるものがあるなと感じた。

彼女が感じたもの、見てきたもの、それが素直に表現されているからだと思う。わからないけど、わからないなりに、理屈ではない第六感的な何かかもしれない。


「あー、えっと、長雲さん、だったよね」

「はい?」

「俺は芸術に何の興味もないけどさ、あんたの描く絵は好きだなと思うよ」


少し驚いたようにぽけっとした顔をする。なんか間抜けだな。そんなところもありのままの彼女らしい面が垣間見れて良いと思う。


「次の展示はいつ?」

「えっと、これが終わったらまだ予定は立ってなくて…学園祭はあるんですけど」

「それって秋?遠いな」

「はい、夏にもまた何かやろうとは思うんですけど、まだメンバーとか場所とかこれからで」

「…………夏か。連絡先とか今聞くのはさすがにがっつきすぎかな。何か活動用のSNSとかはやってたりしないの?」

「えっと、あるにはあります。本当に活動報告しかしてないですけど」

「とりあえずはそれでもいいや。教えてください」


これ、名刺です。と一枚取り出された紙をもらう。そこには名前と大学名と、個人サイトのURLのようなものと、SNSのIDが載っていた。早速目の前でSNSを検索してフォローすると、通知が来たのかその場で彼女もフォローを返してくれる。

それを見届けてから名刺をしまうと、展示時間の終了がきたアナウンスがかかる。彼女は慌てた様子でその場のチラシや名刺を整えて、ギャラリー内を見回す。その様子をじっと見ていた俺に視線を合わせて、さらに驚いた様子で「あっ、ごめんなさい!放置したようになってしまって」と焦ったように謝った。


「今日はありがとうございました。今後もいろんな活動する予定なので、その時にまだ興味があったら、またぜひ来てください」

「そうだね、また見たいな」

「それと、長い間引き止めてしまってすみません」

「いいよ、ほとんど俺が質問してたでしょ。こちらこそいろいろ話してくれてありがとう」

「いえ」

「で、ここから先は失礼だと思ったら断ってくれても構わないんだけど」


次の展示は確定で秋。早くても夏。俺はきっとその時バレーの忙しい時期だし、大会でどこにいるかわからない。行けない可能性の方が高いし、そもそも夏までなんて待ってられない。

確信を持ってないものに自分でもこんなにがっつくなんてキャラじゃないなとは思うけど、心のどこかで何の根拠もなく、あぁこの子だ。と確信めいた何かを感じ取っているんだ。


「この後ご飯でもどうですか」

「えっ!?」

「まだいろいろお話聞きたいなと思って」

「私、そんな面白い話できませんけど」

「大丈夫だよ、別に面白い話は求めてないし」

「でも…」

「あー、遠回しなのが悪かったかな。興味あるの、長雲さんに」

「…………え、私にですか?」

「そう、この、よくわかんないけど惹かれちゃう絵を描く、長雲さん自身についてもっと知りたいなと思って」


飛び出しちゃうんじゃないかと心配するほど大きく目を見開き、半分口が開きっぱなしの表情をする。相変わらず間抜けそうな顔だな、と思って思わずふふっと笑みを零すと、ハッと意識を取り戻した彼女が慌てふためきだす。


「え、あの、あの、え!?」

「大丈夫?」

「大丈夫です!大丈夫ですけど!」

「落ち着いて」

「えっと、あの…つまり?」

「これも直球で言わなきゃわかんない?」


口説いてんだけど、俺。長雲さんのこと。

そういうと彼女は俺と30cm近く離れた身長をさらに縮こまらせるようにして口をパクパクさせる。縁日の小さな水槽で酸素を求める金魚みたい。こんな空気じゃなかったらスマホを取り出して写真を撮りたい。

俺は面倒くさいことは基本好きじゃないし、今までも自分からこんなにガツガツ行くなんてことはなかったし、これからもないと思ってたけど。なんでだろう、この不思議な感情とこの出会いを離したくないと思ってしまった。


「あんたが描く"恋"の絵、見てみたくなっちゃったんだよね」


どうせなら、俺との。なんて言ったら笑う?


「本当の恋を知った時、どんな絵を描くんだろう」


これが俺ときみの始まり。




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