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お風呂上がり、眠くなるまでゆっくりしようとお兄ちゃんの隣に腰を降ろした。ソファが少し歪な音を立てる。私達がちっちゃい時に買ったやつだから、もうだいぶ年季が入っている。

お兄ちゃんは高校からこっちを離れて他県に行った。大学生になった今も愛知には戻らずにいる。定期的に帰っては来るけど、それでも半年に一度会うか会わないか程度だ。

お兄ちゃんは昔から意地悪で、なんというか顔も怖い。そこに関しては同じDNAだからあんまり指摘できないけど。とにかく基本的に冷たいのだ。だからって兄弟仲は悪く無い。だけど……。


「ねぇ、これ見て」


特別親しいなんてこともないんじゃないかと思う。私が小学生の時に出ていっちゃったし。たまに顔を合わせては当たり障りのない話をして、私がわがままを言ってはちょっと口喧嘩になって、お母さんに怒られて。いつもそんな感じだった。

だから戸惑ってしまうのも仕方がないはずなんだ。これ見てと言いながら薄らと笑っているお兄ちゃんの表情は優しくて、それでいて声もあたたかい。初めてみる顔だった。

差し出されたスマホ画面にはインスタが表示されていて、海外の人が撮影したらしい無邪気な犬の動画が再生されていた。


「…………いぬ」

「…………」

「…………かわいい」


これ以外に一体なんて反応を示せばいいの?わからない。これしかなくない?それなのにお兄ちゃんは若干不服そうというか、僅かに困ったようにも焦ったようにも聞こえる声で「うん」と言っただけだった。

顔を上げてお兄ちゃんの方を見る。どこか気まずそうに視線を外して、そのまま何事もなかったかのようにスマホを自分の方に引き寄せて、さっきまでみたく弄り出す。私のことを無視するみたいに。


「………え、なに?」

「は?なんでもないし」

「いやなんで怒ってんの」


マジでなんでちょっとキレ気味なの。意味わからん。変なの。じとっとした目で見続けていれば、見るなという風にシッシと手で払われる。は、うざ。


「お兄ちゃんがそんな可愛い犬の動画見てんのおもしろ」

「別にいいだろ」

「それを私に共有しようとすんのもおもしろ」


大学行ってキャラ変わったのかな。高校生の時は印象ずっと変わらなかったのに。


「彼女でも出来たの」


ちょっとばかりの好奇心と、いてもいなくても揶揄ってやろうという悪戯心で聞いてみた。どうせお兄ちゃんは上手く躱すだろうけど。そう思ってたのに、お兄ちゃんは隠すことなく「出来たよ」と言った。


「え、まじ?!」

「隠すことでもないじゃん」

「お兄ちゃんと付き合おうとかいう物好きな人いるの!?」

「おい」


あははと笑いながら、信じられないというようにそう言ったら、さすがのお兄ちゃんも若干ムッとした顔をした。

だってお兄ちゃん彼女にも冷たそうだし。誰かとイチャイチャしてるとことか想像できない。たとえ彼女が出来たとしても、「私のこと本当に好きなの?」とか言われて振られるんだろうなとずっと思ってるし。


「彼女さんには優しくしなきゃだめだよ」

「してるよ」

「お兄ちゃんみたいな冷たい人、私だったらつまらなくて嫌だ」

「俺もお前みたいな我儘でうるさい奴無理」


低い声でそう言って、テーブルの上にスマホを置いたお兄ちゃんがハァとため息をつく。険悪なムードになってきたけど止まらないのが兄妹。どうせあんまり構わないで寂しい思いとかさせてるんでしょ、とわざとらしく煽るように言おうとしたら、お兄ちゃんのスマホが一件のメッセージ通知を表示した。


『可愛い〜。犬飼ったことないから飼ってみたい』


表示されたそれを心の中で読み上げると同時に、バッと勢いよくお兄ちゃんがスマホを取った。何今の。絶対彼女からじゃん。しかもあの文章的に私に見せてきた動画送ったんでしょ。


「さっきのもしかして私のこと彼女さんと間違えた?」

「んなわけないじゃん。お前と一緒にするかよ」

「でも絶対そうでしょ。間違えたか、普段彼女さんにそういうことしてるから同じノリでついつい私にも話しかけちゃったとかじゃん。他の人には隠せても私にはお兄ちゃんが焦ってたことわかっちゃうからね」

「あーもういいだろ、うるさいな」


間違えたかどうかは置いておいても、お兄ちゃんが彼女さんに普段からこういうことしてるっていうのは簡単に把握できた。正直意外だ。面白くなってきた。

聞きたいことがたくさんある。恋バナなんて女子高生にとっては三度の飯より好きな物だし。何よりお兄ちゃんがどんな人を選んだのかが気になって仕方ない。

それに、小学生の時にはもうほとんど顔を合わすことがなくなってしまったお兄ちゃんと、一体どういう話をしたらいいのかって困る時も正直あったから、こうやって話しかけられる話題が出来たのはちょっぴり嬉しい。


「今度会わせてね」

「まじで無理」


一瞬睨まれたけど全然怖くなかった。ニヤニヤと笑う私に「だる」と一言こぼして立ち上がったお兄ちゃんの腕を掴んで、「まだここ居てよ」と言えば、「うざ」とだけ返ってくる。そっちこそウザ。

でもそんなやりとりさえなんだか楽しく思えてきちゃって、お兄ちゃんがリビングから出ていくのを笑いながら見送った。

冷たいなーって思ってただけの印象が一瞬にして変わった。お兄ちゃん帰ってくるよって言われても、今までは「そうなんだ」としか思わなかったけど、これからはちょっとわくわくできる。



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