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「角名くん、今日も泊まってく?」

「うん」


時計をチラッと確認したきみは、もうだいぶ良い時間なのに一向に動き出そうとはしない俺にそう声をかけ、「わかった」と頷いてそのまま手元の課題へと再度取り掛かった。

シャワーを借り、上がってもその場で同じことをし続けているきみにいつまでやってんのと声をかけると、ハッとしたようにこちらを向いて「ここだけ!あと十分くらいだから!」と慌てたような声を出し、そして再び真剣な表情でそれに向き合った。


「はい十分経った。今日は終了」

「うわ、そこにいたの角名くん」

「ずっといたよ」


きみの後ろから覗き込むように作業を見守っていたのに、全く気がついていなかったらしいきみは肩を跳ね上げ驚きながら後ろを振り向いた。ふわっと同じシャンプーの香りが空に舞って思わず閉じ込めたくなる。ぽんと頭に手を置いて、引きずるようにしてソファの方へと連れて行った。

俺の足の間に座るきみをぎゅっと後ろから抱き抱える。逃がさないとでもいうような俺の意思を感じ取ったのか、きみが笑って「大丈夫。ちゃんと今日はもう終わりにするって」と困ったように言った。


「きみの言葉は信じられない」

「……ごめん」

「集中することも一生懸命も良いことだけど、自分の体調管理もしっかり出来ないなんてやっぱり褒められたことじゃないからね」

「ごもっともです」

「俺はきみのそういうところ好きだけどさ、ストイックなのとがむしゃらにただ突っ走るのは全然違うから。この前から何回も言ってるけど、本当にもう一回しっかり考えて。それでもう倒れるまで追い込むとかは絶対やめにして」

「……うん」


するっと体を回転させ、正面から抱きついてきたきみの背中に腕を回す。甘えるようにして首元に頬を寄せたきみに応えるように頭を傾けて、グッと引き寄せるように腰を抱いた。


「心配だから帰りたくない」

「今日も泊まって行くんでしょ?」

「そうだけどさ……」


きみが退院してから一週間、ずっと転がり込むようにしてここにいる。最初は純粋にきみのことが心配だからという理由だった。けれど、昼間はお互い大学やら何やらで会う時間はないし、土日もそれぞれ活動があって毎回都合がつけられるわけではない。こんなにも毎日共に居れる時間が確保できているという事実が嬉しくて、だんだん離れ難くなっているというのが事実だ。

そしてさらに一週間が経った。流石にきみもそこまで馬鹿ではないので、もうあんな失敗はしないと心掛けながらしっかりと自分のことを出来る範囲内で頑張っている。

いつも通り帰ってきて、今日は二人でゴロゴロと寝転がりながらゆっくりと夜の落ち着いた時間を楽しんでいた。俺の腕の中で少し眠たそうに瞳を蕩かせているきみの額に一度軽いキスを落として、壁にかけてある時計を確認する。そろそろ流石に帰らなきゃなと億劫になりながらも起き上がって、同じように体を起こし「もう寝る?」と問いかけてきたきみに「今日は帰るよ」と一言告げた。


「帰っちゃうの?」

「うん。流石にそろそろ帰らなきゃなって。きみにも悪いし」

「…………そっか」

「何着かでローテしてるの大学の奴らにすげーつっこまれるし」

「そうだよね」


見るからに落ち込むきみがグッと口を閉ざす。俺の方をチラチラと見ながら何か言いたげな表情をするのを黙って見つめた。そういう反応をされると帰りたくなくなる。キュッと握りしめられた拳に手を伸ばしたくなる気持ちをグッと堪えて、きみが動き出すのを待った。


「……やだな」


ボソッと放たれた言葉は聞き逃してしまいそうなほど小さなものだったけど、しっかりと俺の耳はきみのその声をしっかりと捉えた。恐る恐るこらを確認するきみに込み上げてきたものがグッと我慢出来なくなって、そのまま覆い被さるようにきみを抱きしめる。


「帰らないでって言ったら迷惑?」

「むしろこんなに毎日のように俺がいてきみは迷惑じゃないわけ」

「迷惑だったらこんなこと言ってない。いない方が嫌だと思ったから今引き留めてる」

「……いいの、そんなこと言うと調子乗り始めるけど」

「いいよ」


背中に回ってきたきみの腕に力が入るのがわかった。ゆっくりと抱き抱え、寝室までの短い距離でさえも時間が惜しくて急足で歩く。


「きみの方から引きとめてきたんだからね。わかってる?」

「うん」


終電の時間は刻一刻と迫っている。ベッドサイドに置かれた時計を時間が見えないようにわざと倒した。

まだそんなに寒いとは感じない九月の夜。一人暮らしにしては贅沢な彼女の家に転がり込んで、こんな風に毎日一緒にいれるだけでも十分だと思っていたし、きみの体調を考えて我慢してきたそのツケが回ってきているのか自分を制御できそうにない。それなのに俺がこの時間にもここにいることに安心しているのか、きみはニコニコと笑いながら俺の名前を呼ぶ。

離れたくないのは俺も一緒。帰りたくない気持ちも同じ。多少の申し訳なさは感じるけれど、引き止めてもらえることがこんなにも嬉しいだなんて。

毎日こうやって会えればいいのに。一度幸福を味わってしまうと人間はなかなか手放せなくなるもので、一週間がいつの間にか二週間になった。このまま気がついたら一ヶ月、一年と月日が流れて行くんだろうか。

それも悪くないな、と思ったところで、じゃあそうすればいいんじゃんなんて軽い考えが浮かんできた。


「きみは俺と離れるの、嫌?」

「うん」

「そんなに俺のこと好きなの?」

「伝わってない?」

「ううん。わかるよちゃんと。俺も同じだから」

「よかった」

「じゃあ、これからはずっと一緒にいることにしよう」


誰もいない空間で二人きりの時間を過ごす。今夜も。この先ずっと。



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