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この大学に入って2年が過ぎた。今年度の締めの形で行われる学園展示。この1年間で培ったものを全て出し切って作品を完成させた。

油絵は私にとても合っていると思う。リアリティを追求する写実的な絵も多いけれど、私はどちらかと言えば抽象的な絵が多い。

私がテーマにするものは「物」ではなく「気持ち」だ。喜怒哀楽、人間が備えている感情的な部分をどうやってアートで表現するか。とても難しいテーマだし、一歩間違えればとてもチープなものになってしまう。

だけどそれがいいと思った。チープで、意味が分からなくて、理解ができない。それを乗り越えた先に辿り着くのが今まで理解できなかった真の気持ちなのだと。感情とは、そういうものだと思っている。

油絵は何度も色を重ねて描く。何度も何度も塗り重ね、塗り重ねた部分を削れば下の部分がまた姿を表す。油絵といえど技法によって様々な表現方法がある。下地の色に何を入れるかで全体の雰囲気が変わってくるし、鮮やかな色を出そうとしてもたった一色重ねただけでは思い通りにはならない。

重ねて、積み上げて、色を豊かにしていく。人間の感情のように繊細で複雑で奥が深い。


「"恋"ってテーマにしちゃ、色が悲しすぎない?」


私の作品から目を離すこともなく、急に話しかけてきた1人の男性。同じ年齢くらいだろうか。入ってきた時からずいぶん興味なさそうに展示を見て回るなと思っていたので、ここで話しかけられたのは少し意外だった。


「恋にもいろんな色があって、感情があるので」

「なるほど。これは失恋ってこと?」

「失恋といえばそうなんですけど。片思いの終了です」


ふーん、そう。自分から話しかけてきたにも関わらず、大して興味もなさそうに呟く。切れ長で何を考えているか分からない目がジッと私の絵から離れない。

それ以降何も話さなくなった彼は、まだずっと絵を見続けている。こちらも意味もなく話しかけるのは躊躇われるので、少し気まずさを感じながらも彼が動き出すのをじっと待つ。


「この展示、大学の友達の友達が出してるからって無理やり引っ張られてきてさ」

「はぁ」

「俺、学校の美術でしか絵なんか描いたことないし、モナリザとか見ても写真みたいで凄いなとしか思えない。ピカソも落書きじゃんって思うくらい美的感覚もセンスも興味もないんだよね」

「私のこの絵も、落書きだと思いますか?」

「落書きだとは思わないけど、よくはわかんない」

「…そうですか」

「でも、これを描こうとしたあんたがしてきた"恋"は、こんな感じだったんだなっていうのはなんとなくわかった」


ジッと絵だけを見つめていた目がこちらを向いて、初めて目と目が合う。細くて長い目が、ニッと笑われたことでさらに細められて鋭くなる。全てを見透かすようなその眼差しに少しだけ怖くなった。


「個展やるんだ?」

「友人と2人でやる小さなギャラリーでの小規模なものですけど」

「いいじゃん、精力的に活動することはいいことだよ」


一般の人よりもだいぶ身長のある彼は腰をスッと曲げて、私の座る横に置いてある個展の案内葉書を手に取る。伸ばされた手は長く、葉書に触れる指はスラリとしている。伏せられた目は何を考えているかうまく読み取れなくて、なんだかもどかしかった。

一枚だけ葉書をとって場所と日時を確認した彼は、今度は先ほど見せた挑発的な笑いではなく、目を細めて楽しむような、そんな笑みを浮かべた。さっき感じた少し怖いような印象からは想像のつかないような、優しそうな雰囲気を醸し出している。笑い方ひとつでここまで違う雰囲気を纏えるのかと感心した。


「長雲さんっていうんだね」

「はい」

「俺は角名倫太郎、よろしく」


自己紹介をされると同時に、すなー!と入り口から大きな声が聞こえる。その声の方に振り向いて、こういうところであんまり大きい声出しちゃダメじゃん、と言いながら声のする方に歩いていく。


「また会おうね」


振り返りながら手を振り、そう一言残していった彼は、今度はまた最初に見せた挑発的な笑みを浮かべていた。

また会おうというのは、また展示に来てくれるということだろうかと、その時は呆気にとられてそれしか考えられなかった。

それが、私と角名くんの出会いだった。



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