灰谷蘭がタワマンに住み続ける理由
クソ寒ぃのに窓を開けて、真夜中の黒々とした空を見上げた。
草木も眠る丑三つ時。この時間は幽霊が出るなんて言われちゃいるが、こんな都会じゃそんな化け物はおろか真冬のくせに星ですら顔をあまり出さない。
タワーマンションの上層階。かろうじてしっかりと存在を確認できる月には、ここは他の場所よりはいくらか距離が近いと思える。それでも何にもねぇ闇のその向こうに目を凝らしても天国も地獄も確認できない。ここからは見上げるよりも見下ろす方が世界が綺麗に見えた。夜景がロマンチックだなんだ良いように言っても所詮はただの汚ねぇ現実の掃き溜めみたいなこの街のその灯りから目を逸らすようにもう一度視線を上げる。
「空に手が届きそうだね」
そう言って、何がそんなに楽しいのかわかんねーけど笑いながら太陽に両手を透かせたアイツの顔を思い浮かべて、柄にもなく大きな溜め息を吐いた。
だらしねー後悔と、ぐちゃぐちゃに絡み合った複雑な感情が、煙草の煙を纏って天に昇っていく。何も音がしない。こんな時間でも眠ることを忘れて騒ぐ街の雑音もここには届かない。温度が奪われた指の先が抉られるような感覚に襲われて、化膿するようにジンジンと疼いた。
「痛ぇーなー」
そのまましっかり昇りきってくれりゃいいのに。乾いた風に吹かれてその煙も声もどこに届くこともなく儚く消えていった。
きったねぇ地面に立ってるよりも確実にここは天に近いはずなのに、空に手も届かなければ彼女の姿も確認できない。同じようにそこにいるはずの知り合い達も誰もここには顔を出さねー。
刺すような冷たさを纏ったカラカラの空気が全身を凍えさせる。乾燥しきった唇に歪にヒビが入って鉄の味が滲んだ。もう一度目一杯の時間をかけて煙を吐き出し、その結末を見届ける。ハッと蔑むように笑った俺に反応を示すものなんかここには一つも存在しない。
馬鹿馬鹿しくなって火を消した。この街から灯りがまた一つ無くなる。誰に認知されることもなく途絶えた煙草のちっぽけな光は、失われてもこの世界にはなんの影響もなく、俺の視界の明度も彩度ですらも変わることはなかった。
過去に囚われるなんてらしくない。ナマエ、そこにいるんだろ。無理矢理にでも近くまで行ってやろうといつまでもここで暮らしてやってんだから、一回くらい降りて来いよ。