黒川イザナが全然起きてくれない




夜明けの後の澄んだ空気。一日の始まりに最適な清々しい青い空。……のようには残念ながら毎日はいかない。分厚く薄暗い雲が一面を沈んだグレーに塗りたくっており、もうすぐ雨が降ってきそうな、良い天気とは言い難い空模様だ。

「起きて〜」

物音ひとつしない静かな部屋の扉を開き中を覗く。割と大きな声を出してみても何も反応は無い。こんもりと膨らんでいる布団は本当にこの中に人がいるのか疑ってしまうほど静かだ。私が近づいてもピクリとも動く気配がない。

「イザナ、朝だよ」
「…………」
「そろそろ起きて」
「…………」
「イザナさん〜」

朝だ朝だと言っているが時間的にはもう昼に近い。そろそろ起きてもらわないと朝食の片付けが出来なくて困る。何度声をかけても相変わらず無反応なそこに、とりあえず思いっきりダイブしてみた。

「っ痛ぁ!!」

ら、蹴られた。私の悲痛な叫び声だけが虚しく部屋に響いたが、ちゃんとそこに人は居たらしい。膨らみ目掛け勢いよく飛ぶと、ぼふっと音を立てて着地をすると同時に突然現れた足に腹を一発やられた。気を遣ってくれたのかそんなに強い力ではないのが救いだ。それでも当たり前に痛かったけど。こうして相手が私だとわかっていてもしっかり危機回避はしてくるあたり流石だとは思う。

「起きてイザナくん」
「…………どけ」

カッスカスの小さな声で短く吐き捨てた彼は随分と不機嫌そうだった。あったかい毛布を剥ぎ取ろうとすると強い力で抵抗を見せるので、そのままもぞもぞと忍び込んでやる。ご丁寧に私に背を向け拒否するように体勢を変えた彼は再度だんまりを決め一定のリズムで呼吸をし始めた。

ピトッと首の後ろに手を添えるようにして触れると、ビクッと彼の肩が跳ねる。そのままその手をスーッと滑らせ前まで持っていこうとした時、寝起きでただでさえ治安の悪い表情をさらに険しくさせた彼が、重い首をゆっくりと動かしこちらを向いた。

「おはよ」
「………離せ」
「ご飯早く食べて欲しいな」
「そのクソ冷てぇ手をまず離せ」

私の手首を無理矢理掴み、投げ捨てるように自分の首から遠ざけた彼は、私をゲシゲシと蹴りながらベッドの隅へと追いやる。壁に背中をぶつけながらやめてくれと何度も主張するがやはり聞く耳を持ってはくれない。

蹴られてはいるが痛くはないので、その足をガシッと両腕で掴んで動きを止めてみせる。すると顔を顰めた彼がその足を思い切り引き寄せたおかげで私は体ごと彼の方へと引きずられていった。なんとも無様だ。体勢を崩され伏せる私を今度は両腕で抱え込んだ彼はそのまま何も言わず先程のように静かに目を瞑る。

「……起きてって言ってるんだけどな。なんで私を抱き抱えてまた寝ようとしてるの」
「一緒に寝よ?」
「寝ません」
「ナマエ、おねがい」
「可愛く言ってもダメです」

彼の胸元へと押し付けられた頭を上げようと試みるも、後頭部に回った手のひらで力強く固定されてしまっているせいでビクとも動かなかった。丸まるように足を絡めてくる彼は猫みたいだ。思わず手を伸ばして髪の毛の流れを整えるように彼の頭を撫でる。伏せられた長いまつ毛が気持ちよさそうに僅かに揺れた。

「お昼には鶴蝶くん迎えに来るんでしょ〜?」
「あと2時間くらいあるし」
「朝食べないと元気出ないよ」
「ナマエと寝たら元気出る」
「一晩ずっと一緒に寝てたじゃん」
「…………いいから寝かせろ」
「やだ早くご飯食べて。片付けたいから」

頑なに動こうとしないイザナに痺れを切らし軽く胸元を叩く。しばらくそのまま黙り込んでいたが、しつこくそれを続ける私に彼が折れ、仕方がないというようにのそりと起き上がってくれた。そんな彼にホッと一息吐いて先に行ってるからねと立ち上がる。すると手を伸ばし私の首元へと後ろから腕を回した彼が「運んで」なんて甘えた声を出した。

「いや無理でしょ重い」
「…………」
「ちょっと、そんなに体重かけないで…ワッ!!」

案の定ベッドへと尻餅をついた私の背中にゆったりとした動作で覆い被さってくる。彼は元々低血圧で朝が得意だとは言えないのに、今日みたいなどんよりとした空模様だとさらにそれが悪化してしまうのだ。ぐりぐりと猫が甘えるように額を肩に擦り寄せてくる。お腹へと回された腕に触れ、私も体重を後ろにかけた。周りの男の人に比べれば小柄な彼の体がしっかりと私を支える。と思ったら、そのまま避けるように躱されてしまい、一人悲しくゴロッと背中から転がった。

「いきなり体重かけてくんな」
「いやそこはちゃんと支えてよ。自分は全体重かけてきたくせに」

眉間に皺を寄せこちらを見下ろす彼は、ついさっきまで私に甘えるように縋り付いていた人物と本当に同じなのかと疑うほど。あれほど駄々をこね起きることを拒んでいたのに、スッと何事もなかったかのように立ち上がった彼は「いつまでそうしてる。早く飯食わねーと片付けらんないんだろ」と未だ転がる私に怪訝な表情を向けながら言い放つ。

「なんで私が悪いみたいになってんの!?起きなかったのはイザナでしょ!?」
「起きたし」
「今ね!!今!!ここに至るまでの自分の言動もう忘れた!?」
「いいから早く飯」

うるせーとでも言うように大きなあくびを一つ披露する彼は何とも気まぐれで難しい人だ。分かってはいたけどそれを再確認する。

気怠げに歩き出した彼を追いかけ、私よりも少しだけ高い位置にある彼の腰にガシッとまとわりついた。邪魔だと頭を押さえつけられたけど気にせずそのまましがみつく。嫌そうな顔をしながら文句は言うけれど、腰に回った私の腕を持ち、歩きにくそうにしながらも彼はしっかりとリビングまで私を誘導してくれる。

こんな天気の日はいつも以上に機嫌が悪かったりなかなか起きてはくれないから毎回大変だなぁと思うけど、彼のその面倒くさい部分も含めて改めて好きだと思える。そんな一日の始まり。


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