「宮くん、そっちの引き出しに入ってるトングとって」

「んー、これ?違うこれか!」

「そうそう。ありがとう」

台所に立つ私の周りでそわそわと待機している宮くんは、仕事が振られるのを今か今かと待っている。以前は料理なんて全然わからんと完全お手上げ状態だった宮くんも、最近は少しでも力になれるのが嬉しいらしく、こちらから手伝ってと声をかけなくてもフラッとキッチンにやってきては「何かやることある?」と自分から声をかけてくれるまでになった。


「手、絶対切らないようにね」

「おう」

「本当に気をつけてね」

「皮剥くだけやん!包丁やなくてこれピーラーやし!」

「舐めてかかるとスパッといくよ」

「ええ、そんな恐ろしいこと真面目なトーンで言わんでよ……」


それでも刃物に変わりはないから、こういう時はなるべく力が要らなくて簡単なものだけを頼むようにしている。得意そうな顔で「出来た!」と綺麗に皮が剥けた野菜を見せてくる宮くんに「上手」と返せば、新しいものをもう一つ手に取って、鼻歌を歌いながら器用にまた皮を剥いていく。


「この前俺実家帰ったやろ」

「うん」

「久しぶりにオカンの味噌汁飲んだら味濃くてびっくりしたわ。懐かしい〜思ったけど、今はこの薄さで飲み慣れたし」

「そんなに薄いかな。ごめんね、今度からもう少し濃いめに作ろうか?」

「ちゃうちゃう、そういう事やなくて……あー、なんて言えばええかわからん……けど不満があるとかやなくて、もうみなの作るこのくらいの味の方が好みになってしもたかもってことが言いたいだけで」


私を傷つけないようにと気を遣っているのか、宮くんはうーんと珍しく言葉を選んでいる。その姿にふふっと笑うと「え、何で笑うん?今俺変なこと言った?」と焦ったような声を出すからさらに笑えた。


「宮くんって、優しいよね」

「またずいぶん急やん……まぁホンマの事やけどな」


お味噌汁を啜って「こんくらいの方が健康にも良さそうやし」と言いながら笑う宮くんの表情は穏やかだ。錯覚を起こしては駄目だということをよく理解はしている。けれど、今この瞬間だけは、素直に喜ばせて欲しい。


――――――――――――――――――


沸き立つ会場内の一番後ろの席で、そのたくさんの歓声の渦の中で笑う彼を見つめた。誰よりも楽しそうにボールを追って、誰よりも失点を悔しそうにする。常に変化する表情を見ているのはとても面白くて、それでいて輝いて見える。中学生の時に初めて彼を視界に入れた時となにも変わらない。相変わらず彼は私の憧れで、尊敬する人。

私には無いものをたくさん持っている。キラキラと輝く星のようにその存在感を大きく主張して、見る人全員を魅了する。バレーボールをしている彼が何よりも好きだなと、ここに来るたびに再確認するのだ。

会場の誰かが宮くんの名前を叫んで、それに反応する宮くんに喜ぶファンたち。やっぱり宮くんは遠い人なんだなぁと改めて思った。

距離感を間違えると火傷をするのは私の方だと、大好きな宮くんのバレーボールを見る度に自覚し直す。なのに止められそうにない状態にある自分の気持ちがたまに恐ろしくなる。宮くんが優しいから、なんて、彼のせいにはしたくない。あれだけの覚悟で近づいたのに、少し前から宮くんを前にするとその決意が揺らいでいるような気がして、なんだか少し怖い。


――――――――――――――――――


「宮くん、宮くん起きて」

「ん〜……どしたんそんな慌てて」

「もうこんな時間だった、ごめんね私も寝ちゃってて」

「……あ〜、ほんまや」


ははは、とスマホで時間を確認しながらのそのそと起き上がった宮くんは、くぁっと欠伸をしながら呑気に笑っている。


「いつもならこりゃ遅刻やわ。けど今日は休日やで」

「…………え?」

「ほら、見てみぃ」


向けられた画面に表示されている日付と曜日は、以前から確かに休みだと言われていた日。


「…………起こしちゃった」

「ええ、そんなに深刻になること?」


もう一度大きくあくびをしながら、俯いた私の頭にポスンと手を置いた宮くんが「休日の早起きは三文の徳や〜」と言いながらリビングへと歩いていく。


「ごめん、私も今起きたばっかだから朝食まだ作ってなくて」

「ええよそんなん、俺が作ったろか?……あ、まって、めっちゃ美味いモーニング食べれる喫茶店近くにあるの知っとる?久しぶりにそれ食べたい。行こ」


まだ眠そうに半分落としていた目蓋をパッとあげ顔を明るくする。何しとるん、早よ支度せえと急かしてくる声に釣られて、まだ覚醒しきっていない頭で慌てて動き出した。


「そういや俺らが出かけて何か食うのとか初めてちゃう?」


お店に向かって歩く途中、寒っと朝のひんやりとした空気に身を縮めた宮くんが白い息を吐き出しながら聞いてくる。たしかに私と宮くんがこうしてどこかに一緒に向かうことなんてなかった。高校生の時は呼び出されてよく公園で会っていたりもしたけど、でもそれしかない。


「デートみたいでたまには良えな」


きっと宮くんはあまり深いことを考えずにそう言ったんだろうけれど、私はそれに否定も肯定もできなかった。宮くんの何気ないたった一言で舞い上がりそうになる気持ちを抑え込みながらただ黙って彼の横を目的の店まで静かに歩く。私と宮くんには、その言葉はどこか不釣り合いだ。


―――――――――――――――


「就活とかしたことないけど、やっぱ大変なん?」

「そうだねぇ、それなりに。でも私は数社あった候補の中から内定もらえそうな気がするし、他の人よりは全然楽だと思うよ」


眠そうに瞼を擦った私の顔を覗き込んだ宮くんが少し心配そうにそう問いかけてきたのは数ヶ月前のことだ。就活、大学、レポートに論文、いろんなものが重なり合って、さすがの私も襲いくる睡魔に打ち勝てない日も出てくる程に、その時期は心も体も疲れ切っていたと思う。


「みな、はい、これ。やる」

「……え?」

「後ろ向いて」


言われた通りに背中を向けると、首元へと回された宮くんの指先からシャラッと音がして僅かな重みが首元へと纏わりつく。満足そうに「似合うわ」と笑った宮くんが後ろから私の顔を覗き込んだ。


「………なんで」

「なんでって、卒業に就職に、お祝いやろ?」

「…………」

「なに?なんか不満?」

「いや、違くて」


嬉しい。ありがとう。そう伝えるとニッコリと笑った宮くんが後ろから腕を回して丸まるようにくっついてくる。そのまま体重をかけられてコロンと転がるように横になれば、首元のチェーンをなぞるように唇を当てられてなんだかとってもくすぐったい。

今までにも宮くんが気まぐれに何かをくれることはあった。でもそれの殆どが地方に行った時に買ったというお土産雑貨とかで、こうして何かのお祝いにとくれたものはこれが初めて。プレゼントとしては決して安くはない、しかし貰い手が萎縮するほど高級なわけでもない。人気のブランドのそれは、毎日つけるのにちょうど良い見た目と値段のものだ。周りの人にはあげるなら何が良いのかと聞いたりとかもしなかったんだろうから、自分でネットでいろいろ調べてくれたりしたのだろうか。


「こっち向いて見せて」


シャラっと手で掬ったそれに宮くんが口付けを落とす。「これでどんな事あっても頑張れるな」と強気に笑った宮くんに同じように笑い返した。

これとその言葉があれば、私はこれからもきっと大丈夫。しっかりとそう思える。



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