私の人生の大部分は彼で出来ていると言っても過言ではない。まだ何も知らない中学生だったあの日から、私は常に彼のことを考えながら生きてきた。

私の全ての初めては彼に捧げてきたし、彼以外のことを今後知る必要もないと思っている。少し異常なほどの執着だという自覚もある。それでも私はもうこの考え方も生き方も変えられはしないことを悟っていた。


「みなー!!」


大きく手を振る親友たちの元へと駆け寄った。彼女たちは久しぶりと大きく笑って私のことを迎え入れる。仙台駅には人がまばらだった。まだ朝早い時間帯。通勤や通学の利用が少ない今日は、駅の中よりも駅周りの方が人が多い。


「帰りの新幹線何時だっけ?」

「まだ取ってないけど、夕方には帰るかな」

「もーせっかくなんだから一泊していけば良いのにさ!」

「そうなんだけどね」


もう少し余裕を持てる日程にずらしても良かったかもしれない。でも早く二人に会いたかったのだ。それを伝えると「なになに」「嬉しいこと言ってくれる」と照れたように身を縮めながら私の背中を軽く叩いた二人が、「いくよ!」と張り切りながらあらかじめ予約しておいたカフェへと向かって歩き出した。


「で、噂の彼とはどうなんですか」

「特に変わりはないんだけど」

「えー?でも悩みとか不安とかないの?なんたって初彼氏でしょ!」


恋愛の先輩に何でも相談しなさい。そう言って彼女は大きく自身の胸元をドンっと叩いた。


「うん、じゃあ……相談ではないんだけど、一つ報告が」

「何?」

「なんでも言って!」


結婚するの。少し緊張気味に私が言ったその言葉に彼女達は思い切り眉を顰め、黙り込んだまま顔を見合わせた。そして次第に「え」「は」「どういうこと?」「結婚?」と途切れ途切れに言葉を発し、しばらくしてやっとのことで理解が出来たのか、大きな声で「はぁ!?結婚!?」と声を合わせた。


「スピード婚にも程があるでしょ!」

「でも中学からの同級生だって言うし相手のことは分かりきってるわけだ」

「だからって、付き合う前と後じゃ印象なんてだいぶ違うじゃん!!」


頭を抱えながら二人が喚く。私はここで変に口を挟むのもなぁとその様子を静かに伺っていた。


「結婚詐欺とかにかけられてない?」

「あんたなら頼めばオッケーしてくれそうだからとか思われてない!?ずっと好きなの利用されてない!?」

「……そんなことする人ではないよ」

「詐欺師の大半があの優しい人がまさかって言われるのよ!!」

「本当に騙されてたらどうすんの?」


落ち着きのない彼女たちは会話が店内に響き渡るのも構わず大きな声を出した。結婚詐欺がどうとかの話題だ。流石に気になるんだろう、周りの視線が痛い。

詐欺師。なんだか宮くんからは遠く離れている場所に存在するような言葉だと思った。彼はいつだって真っ直ぐに本心を伝えてくる。良くも悪くも繕うことが苦手だ。私にも、チームメイトにも、誰に対しても。そのせいで学生時代周りから少し疎まれていた時期があることも私は知っている。

あの再会した日の宮くんの言葉と涙が嘘だとしたら、それは確かにもう立派な立派なプロ詐欺師だ。彼の大切な兄弟の華々しい式の最中に行った私に対してのプロポーズが、もしも騙すための嘘だったのなら、彼はチームメイトどころか周囲の全ての人達からの信頼を失ってもおかしくはない。

彼がそんなことをするわけがない。し、私も彼女たちの言葉に対して特に真剣に考えているわけではない。けれど、でも。

もしものもしもで、彼の行動が、言葉が、全て嘘で私が騙されているだけだとしても。


「……それでも、いいんだ」


自傷的に微笑んで見せた。あの全てが嘘だとしても彼の隣にいれるのならばそれでも構わないと思っている。でも、私のそんな異常なほどの執着よりも、彼への信頼度の方が高い。だからこうして笑っていられる。

彼がそんなことをするはずがない。決めつけだと言われようが、私は今までずっと彼のことを見てきた。自分の目で捉え続けてきた彼を私はただ信じるだけだ。

宮くんのバレーボールの向き合い方を見ている限り、不安に思うことは何もない。

宮くんがコートに立ってボールに触れる。その行為がとても神聖な行いに思えることがある。心酔しすぎだと馬鹿にされたって何だって、本当にそう思える瞬間があるのだから仕方がない。宮くんとバレーボールの間には、嘘は一つも存在しない。


「あんたのその心意気に天晴れだわ」

「恋愛の先輩とか言っておいて余裕で抜かれたんですけど」

「でも本当にまだ何も決まってないの」

「何にしても、あんたが幸せそうでよかった」

「ほんとほんと。こーんなに長年片想いしてた相手といざ付き合ってみたら全然理想と違くてすぐに別れましたーとかだったら切ないからね」

「でも本当にあるからなーそういうの。ほんとに良かったよ」


笑いながら「おめでとう」と言った二人は、すぐに話を切り替えてじゃあ次はこっちの話ねと手を挙げ、また私には経験のない色んなことを聞かせてくれる。彼女たちには直接顔を合わせて報告したかったから、今日は本当に来れて良かった。

最寄り駅に着いた頃には外はもうとても寒くて、街灯がないと歩けないくらいに暗くなっていた。


「おかえり〜」

「ただいま」


宮くんはいつものようにソファの上で寛いでいて、帰宅したばかりの私のことを迎え入れるように両腕を広げた。コートを脱ぎ、すぐさまその腕の中へと引き寄せられるように収まる。「冷たっ」と声を荒げた宮くんは、しかし私を突き放すこともなく、むしろもっと力を込めて抱えながら「風邪ひいてまうやろこんなん」とか細い声を出した。


「寒いから、お風呂入ってくるね」

「だと思って、入らんで待っとった」

「あれ?まだ入ってないの?先入る?」

「今の俺の話聞いてた!?待っとったって言ったやん」


一緒に入ろ。突然そんなことを言う彼に顔を歪める。何も言わずにその場に佇んでいると、宮くんは「なんで風呂はそんな照れるん?ベッドの上も水ん中も何も変わらんやん」なんてことを言い出した。


「……何も変わらないなら一緒に入らなくても良いんじゃない?」

「あーさっき俺なんて言ったかなー。もう忘れたわ。なんやっけ?風呂で見るみなはいつにも増して可愛えよなぁって話?」

「じゃあもうベッドの上では見なくていいね」

「待って待ってすまんて俺の言い方が悪かったって!せめてこっち向いて!なぁ!」

「……ふふっ」


背を向けて黙り込んだ私に覆い被さるようにして宮くんが抱きついてくる。こんなやりとりをしている人が、私のことを騙そうとしているかもしれないと思われていたことに沸々と笑いが込み上げてきた。


「宮くんはどう転んでも詐欺師にはなれないよね」

「詐欺師?なんの話?」

「私へのプロポーズ、結婚詐欺なんじゃないかって言われたの」

「はぁ!?そんなこと誰が言ったん!?」

「今日会ってきた友達」

「俺も直接会いに行ったろ!むっちゃラブラブなとここれでもかってくらい見せつけたるわ!…………あれ、みなって友達おんの?それほんまの友達?もしかして騙されとるんちゃう?……いだぁっ!今本気でどついたやろ!」


脇腹を押さえながらぎりぎりと睨みつけてくる宮くんに私はまた大きな声を出して笑った。こんなにも楽しい毎日が、嘘なわけがあってたまるか。

きっとこれが人気小説の物語だったら、宮くんが本当に詐欺師で、私はただ騙されているだけの哀れな女である方がきっとストーリー性があって面白いんだろう。でも残念ながら私は物語の主人公になるような人物ではない。だから、たとえ他人から見て面白味に欠けたって、特別な出来事がなくたって、誰も気にはしないだろう。

私はこの先もこの人とずっと幸せに暮らしていければそれで良い。ただひたすら、今この瞬間も心を満たしてくれているありきたりな幸せをこぼさずに噛み締めながら。



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