ちょっと侑、その人って。そう言った角名くんの言葉に指先がひんやりと冷えた。
「覚えとる?同じ高校やった筑波みなや」
宮くんが私の名前を出した途端に小さなどよめきが起こった。銀島くんも私のことを覚えていたようで、大きな瞳をまんまるに見開いている。先輩達もみんな私ことを物珍しそうに見てきて、どうにも落ち着かずただただ宮くんの隣で縮こまることしか出来なかった。
「えと、あの、久しぶりです。筑波みな、です」
絞り出したその声はしっかりと届いただろうか。宮くんのスーツの裾を握り締め俯く。二人ってどういう関係なの。そう聞いてきた角名くんの言葉にグッと息が止まった。
「えー、どういうって、こういう関係〜」
私の手を取って恋人繋ぎにして見せた宮くんに全員が驚きの声を上げた。そしてもちろん私も。信じられないという周りの反応に、私もそうだと言いたかった。はっきりと言葉にされたわけではないけれど、こうして紹介してもらえる立場ではあることに驚くしかない。ついこの間までそんなこと絶対にないと思っていたのだ。驚くのも無理はないだろう。
心臓がバクバクと音を立てるのを落ち着かせる暇もなく式はすぐに始まった。治くんの隣で微笑む彼女を見たのは高校生ぶりだ。当たり前だけれど二人ともあの頃よりも随分と大人びて、慌ただしかった雰囲気はどこに行ってしまったのか、仲睦まじく寄り添っている。
素敵だ。とても。当時宮くんが大切に想って、幸せを願ったその子は、今もしっかりと治くんの隣に立っている。
隣で涙を流す宮くんを横目で確認してしっかりと前を向いた。宮くんの大切な兄弟。そして昔好きだった人。そんな二人を純粋に祝福できる彼のことが私は好きだ。
相思相愛。その言葉が誰よりも似合う二人。ここまでの数年間、お互いがお互いを何よりも大切にしてきたんだろう。そしてそれはこれからもきっと続いていくのだ。私は、彼女達のそういうところを尊敬していて、そして憧れていた。
記念撮影の最中、やってきた治くんと話している宮くん達の後ろで一人立っていたらポンポンと肩を叩かれた。振り向いたそこにはニッコリと笑った銀島くんがいた。私は在学中も彼とは特に絡んだ記憶がない。少しだけ戸惑いながらも、静かに笑い返した。
「まさか侑が連れてくるのが筑波さんやとは思っとらんかったから、びっくりした」
「そうだよね」
「驚いたけど、疑問には思わんよ」
「……?」
「筑波さんやろ?ずっと侑の隣に居ってくれたんは」
銀島くんのその言葉に驚いて顔を上げると、彼は「侑のこと支えとんのは誰なんやろって、ずっと気になっとった」と言って声を顰める。
「あいつが色出さんから手引いた時から、筑波さんはずっと側におったんとちゃう?」
「……え、銀島くんは、宮くんが彼女のことが好きだったって、知ってるの?」
「多分俺だけ。やから俺と筑波さんだけの秘密にしてやらんとな」
太陽みたいに笑った彼に微笑み返す。宮くんのことをこうして見守ってくれている人がたくさんたくさんいるのだ。優しい人の周りには優しい人が集まる。ひょこっと銀島くんの後ろから宮くんが「何の話しとんの」と顔を覗かせた。なんでもないと首を振った私たちに不思議そうな視線を向け、変なのと呟いた彼にバレないように銀島くんと笑い合った。
「おわ、すご。女の戦いや」
そう言った宮くんの視線の先には、ブーケトスのために集まって行ったたくさんの女性達の姿があった。本気半分ふざけ半分といった感じではしゃぐ彼女達はみんな笑顔で楽しそうだ。宮くんの隣でその姿を眺めていたら、斜め後ろにいた方が私の腕を取った。急なことに戸惑っていると、「あなたも参加しなさいよ」と言って手を引き歩き出す。慌てながら宮くんの方を向くけれど、彼は私を引き止めることはなく、おもしろそうに笑って「いってらー!」と大きな声で手を振った。
無理やり連れてこられたは良いけれど、一体どうして良いかわからない。加わった輪の中で身動きも取れずその場に佇む。とりあえず、ここで大人しくしていよう。そう思いながら笑顔でやってきた色出さんを見つめた。
彼女の着ている純白のドレスは、純粋で何の濁りもない彼女の存在をとてもよく引き立てている。陽の光で淡く縁取られる彼女の眩しさに目を細めた。
あの教室で、彼女の背中を押した宮くんの、小さくなった大きな後ろ姿に声をかけた。それが宮くんと私の全ての始まり。
あの時あそこで宮くんが一人にならなければ、彼女に自分の想いを告げることなく大切な彼女と兄弟の幸せを優先しなければ、私は宮くんに接触を試みることもなく、きっと今も一人で彼の活躍をこの日本のどこかで願っていただけなのだろう。
ある意味で、私と宮くんを繋いでくれたのは彼女なのだ。
ふわりとドレスの裾を舞わせて後ろを向いた彼女が頭上に腕を掲げる。彼女の手に持ったブーケが太陽と重なってとても神秘的なもののように思えた。
そのあまりの美しさに息を飲み、ゆっくりと目を閉じる。スローモーションのようにゆったりと時が流れていくような不思議な感覚。感嘆の息を吐き、またゆっくりと瞳を開けた。見上げた太陽の眩しさに目を細めると、風と共に綺麗な弧を描いて彼女の手から放たれたブーケがこちらに向かって飛んきていた。
気づいた時にはもう私の腕の中にそれはあった。止まっていた時間が動き出したみたいに急に世界のスピードが速くなる。おめでとう、良かったねと肩を叩かれるもすぐには事態が飲み込めずにただひたすら頷くことしかできなかった。
「みな、やったやん」
「……私が受け取っちゃって良いのかな」
ウエディングブーケを受け取るなんて少し気恥ずかしい。そしてなんだか申し訳ない。綺麗やなと感心するように宮くんが小さく呟く。治くんも色出さんもセンスがあるねと笑いながらそれに答えた。色とりどりの花がバランスよく配置されている。柔らかなその配色に心を奪われながら、抱えたそれを顔の近くまで持ち上げた。
「いや、みなが」
不意に耳に入ったその言葉に、へ?と随分間抜けな声を出し宮くんの顔を見上げた。
真剣な眼差しの宮くんがこっちを見ている。逸らされることのないそれは、とても柔らかく包み込むような雰囲気を醸し出していて思わず顔が熱った。その言葉になんて返せば良いのかわからない。うんともすんとも言えずに、ただひたすら薄く口角を上げる柔らかな表情の宮くんを見つめていれば、彼はブーケを持ったままの私の両手を包み込むようにして大きな手のひらを重ねた。
「……み、やくん?」
そのまま手を引き寄せられて宮くんに一歩近づく。彼はその場でしゃがみ込んでブーケにキスを落とした。
「宮くん!?何してるの、みんな見てるよ」
私の焦った様子など気にもせずに、彼が片目を開けてこちらを見上げる。とても絵になる姿だが、そんなことを呑気に考えられるわけがない。
絶対に真っ赤になっているであろう顔を隠したいのに、残念ながら両手は宮くんに捕まっているためそれは叶わなかった。ドキドキと心臓が早鐘を打つ。私たちの不可解な行動に周りも気がつき始めたのか、少しだけ周囲がざわつき始めたのがわかった。
慌てる私と、どこか落ち着いているようにも見える宮くん。いつもとは立場が真逆で、何だかそれも不思議な感じだ。
思考回路が麻痺してしまったのだろうか。さっきまで周りのことが気になっていたのに、今はまるでこの場には私と宮くんしかいないような気さえしてくる。もう私たち以外の何もかもが気にならなかった。私と宮くんだけにスポットライトが当たっているようだ。治くん達の結婚式で、今日の主役は私でも宮くんでもないはずなのに。おかしな話だとはわかっている。
それでも、ここがどこでも、誰がメインだとしても、私の世界はいつだって宮くんが中心にいる。彼だけを見つめてここまでやってきたのだ。ずっと、もう何年も。そしてきっとこれからも。
私の瞳に映るのは、いつだってただ一人きり。
「結婚しよ、みな」
そう言って笑った宮くんは、私と彼がまだ中学生の時、初めて彼の姿を目にしたあの日からずっと変わらない。私にとって唯一の光だった。