ここにいるから来て。

そんなメッセージが届いたのは、いつもの如く練習時間も終わり、私の就業時間も終わった外も暗くなっている頃だった。よし帰るぞと荷物を持ち上げたと同時に来たそれに、ため息を吐きながら『行きません』と返す。

ブルっともう一度震えたスマホ。キリがない。この人は私のことを召使いかなんかだと思っていそうだ。もうこうなったら、今日こそ人の弱みを握って好き勝手するような外道なやり方はやめろとガツンと言いに行こう!!


「角名さん!」

「来てくれたんだ」

「今日こそは言いたいこと全部言いに来ました!」

「ごめんね、その前にこれやってもらってもいい?」

「話聞いてください」

「これ終わってからちゃんと聞くから」


ふぅと軽く息を吐いた角名さんの空気が、いつもとほんの少しだけ違うことに何となく気がついた。何も変わらなくないかと言われれば確かに変わらないような気もするけど。彼は普段から大きな声は出さないし、無駄に騒ぎもしない。テンション的には通常通りだ。

だけど何となく感じてしまった違和感を曖昧なままにしたくはなくて、ジッと疑うように彼のことを見つめてみた。


「……なに」

「こっちのセリフです」

「その目、ヤな感じ」

「角名さんにだけは言われたくないんですけど」


彼の嫌なところなんて正直私からしてみたらいっぱいある。そりゃもう山ほどある。人を召使いのように扱き使うところも、人の弱みを握って好き勝手するところも、全部全部大嫌いだ。

でも私が一番嫌いなのは、角名さんはこう見えて人当たりも良くフレンドリーで話しやすいのに、言葉や表情の奥にある本心を決して覗かせてはくれないところだ。


「ここ代わりに書いておいて。俺あっちで残ってることしなきゃならないから」

「これって角名さん自身で書かなきゃダメなやつじゃないですか。サイン欄とか特に」

「大丈夫、ミョウジさんに後で書かせるってもう特別許可とってあるし」

「……はい?」


スポーツ選手だからといって、練習だけしていればいいわけではない。その人個人の契約の仕方とかでもちろん内容にも差は出てくるけど、全員に同じように選手は選手としてのたくさんの役割がある。

広告塔としての仕事はもちろん、運営に関してのいろんな契約もあるし、自分たちのチームのことだってある。ここに招集されている以上、この期間内はそこまで大掛かりな外部の仕事はないけれど、合宿中といえど必ず設定されている練習が休みの日には、選手によってはインタビューを受けたり撮影に行ったりと休む間もなく忙しそうにしている。

パッと見ただけでもきっと大事なものなのだろうとわかるものに、私が勝手に同意の記名をしてしまっても良いのだろうか。別の部屋で他のことをやってると角名さんは出て行ったけれど、どう考えてもこっちを本人にやってもらったほうが良い。

それを伝えに行こうと席を立ったところでスマホが鳴った。メッセージではなく着信だ。しかもこのタイミングで黒尾さんからだから、これは無視できない。


「もしもし、ミョウジです。何かありましたか?」

『おー、お疲れ。角名選手のやつ頼むなって確認の電話』

「ああ……これって私が書いていいものなんですか?どう考えてもダメですよね」

『本来なら御法度なんだが、今日までにって早急な話だから仕方ないね』


そうは言われても、モヤモヤするものはモヤモヤする。


『ま、通常なら突き指なんて珍しくも何ともないし、そんくらいじゃそんな扱いにはならなねぇんだけど、今はいつも以上に大事な時だから周りもみんな神経質になってんの。ミョウジも協力してやって』


じゃあ俺まだ仕事残ってるから切るわ、あとはよろしく。なんていつも通りの軽さで言ってのけて、黒尾さんはそのまま通話を切った。

何で、本当にあの人は大事なことをいつも教えてはくれないのか。


「書けた?」

「書けました。書きました全部!」

「何でそんな怒ってんの」

「角名さんがなにも言わないから!!」


手!!それだけ言っただけで彼は全てを理解したようで、ほんのわずかに気まずそうに眉を顰め渋々右手を見せる。

最初の会話時にはうまく隠されていたそこは、負傷箇所であろう指と、隣接している指をギブス代わりにまとめて包帯でぎっちりと巻かれ、到底ペンを持ち何かを書けるような状態ではなかった。


「別にこのくらいバレーやってれば珍しくもなんともないのにね」

「でも、今は少しでも安静にして一刻も早く治すのが一番ですよ」

「それはそうだけどさ」


はぁとため息を吐いた角名さんは「動かしにくいったらない」なんて薄く笑いながら、巻かれた包帯でまるまると太った指先を見つめる。


「私も小中学生の時、跳び箱とかバスケの授業で突き指しました」

「あー、あるあるだ」

「……確かにバレーしてる人にとっては慣れっこなのかもしれないですけど、私からしてみれば、あの痛みが何でもないものみたいな扱いされるの、意味わからないです」


毎日毎日、いつだって当たり前に使っている指が動かせない程に痛むのは、たった数日の辛抱であっても多少なりとも生活に支障が出る。利き手なら尚更。なのにそんな指のままでもバレーをする人たちは軽く処置をして試合や練習を続行しようとするとも聞いた。こっちからすれば頭がおかしいとしかいえない。

今は大事な時期だからなんて言わないで、いつもそのくらいに大事に思って欲しいけれど、私たちの常識とは少し違う扱いなことも理解は一応できる。


「角名さんにとってはもう慣れた怪我なのかもしれないですけど、慣れてても慣れてなくても、怪我は怪我なんだから、素直に他人を頼ってくれていいんですよ」

「だから、頼ったじゃん」

「確かにそうですけど、でも言ってくれなかったじゃないですか!呼び出す時点で伝えてくれていれば断らずにすぐに来たのに!」

「怒んないでよ」

「怒ります!もっと自分を大事にしてください」


角名さんとはこの合宿で出会ったばかりでまだかかわりは少ない。なぜか絡むことだけは多いけれど。そんな私でもわかるものはわかる。角名さんはきっと、他人に素直に頼れない。はっきりとした意見は言うけど、秘めた本心は伝えない。

そしてちょっとだけ、自分の扱いが下手くそだ。こんなにも器用に何でもこなすくせに。


「というか、角名さんが日頃私を扱き使ってなければ、呼び出された時点でなんか様子変だなってすぐに向かうんですよ。でもいつもあんなだから、今回もまた何かされるって思いましたもん。信頼がないのは日頃の行いですよ」

「でも結局来るでしょ。あんたこそそういう人種だよ」


大きな荷物を肩にかけた角名さんに続いて私も自分の荷物を持つ。そして空いた方の手で、彼の手持ちのバッグを奪い取った。


「それ重いよ?」

「このくらい大丈夫です!舐めないでください!」

「今日はずっとご機嫌斜めだ」

「残念ながら、角名さんといるときはいつもこうです」


キッと首だけ後ろに向けて彼のことを睨みつけながら、部屋のドアを代わりに開いた。VIP待遇じゃんと言って調子に乗ったように茶化してくるのは無視をする。


「……それ、どのくらいで治るんですか」

「軽いからこのままいけば二、三日でしょ。それに心配しなくてもその間もちゃんと練習はできるよ。明後日は練習休みだし」

「調子乗ってバンバン止めてさらに痛めたりとかしないでくださいね」

「調子乗ってって」


ははっと笑って目尻を柔らかくした角名さんの横顔が、なぜか印象に残った。


「ずいぶん大事にしてくれんだ、俺のこと」

「当たり前じゃないですか」


なんでこの仕事を選んだと思っているのだ。

私の応援しているバレーボール競技は、選手の皆さんがいないと絶対に成り立たない。角名さんだって、憎たらしいけど私の大好きな世界を作ってくれている大事な一人の選手なのだ。


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