お気に入りの店の店主に気にいられる


一週間を乗り越えた金曜の夜。疲れた体を癒すには美味しいものを食べるのが一番だ。ここ最近毎週金曜日の仕事帰りに必ず訪れる店がある。おにぎり宮という名前のおにぎりやさん。地元の常連たちで溢れ返っている店内で、カウンター席に座りわいわいと騒がしい声をBGMにおにぎりを頬張るのがもっぱらの楽しみだった。


「いらっしゃい」


今日もいつも通りに店へと向かっていつものカウンター席に座る。毎回頼む私の中で定番と化した具を一つと、今日の気分で選んだもう一つ、それと新メニューとして張り出されている三つのおにぎりと簡単なおつまみと、お酒を一杯。普段はあまり飲まないけれど、ここでこうしてゆっくり過ごしながら時間をかけてお酒を飲むのが少し前から気に入っている。

はいよーと私の注文を受けた店主はまだ若く、私とそこまで年齢も変わらなそうだ。大きな体はこのカウンター内では窮屈そうに見える。体格が良いので力が強そうだけど、この人の大きな手のひらで優しく握られるおにぎりは、お米が潰れることなくふっくらとしているのにしっかりと形を保ち崩れることがない。絶妙な柔らかさで口の中に溶けていく。


「はい、ひとつめ。今週もお疲れさんです」

「え、あ、りがとうございます。いただきます」


びっくりした。いつもはこんなことは言われないから。まぁ金曜日だし、みんなお疲れだもんなぁと客への対応の良さに感心しながら出てきたおにぎりにかじり付く。その美味しさを堪能しつつ口に含むアルコールがまた何とも言えない。こんなものでと思われるかもしれないけど、これが幸せの瞬間だと心から思う。

ここのおにぎりは何度かテイクアウトもしたことがあるから冷めても美味しいことはわかっているけど、やっぱり握りたてが一番だ。美味しいものは美味しいうちに食べるに限るので、二個目が出て来ないうちに一つ目のほとんどをいつも平らげてしまう。


「ほい、にこめ。お姉さんほんま良え顔して食うなぁ。いつも見てておもろいわ」


笑いながら二つ目のおにぎりをお皿に乗せてくれた店主は、そんなことを言いながら「今ちと混んどるから三つ目はも少し待ってなー」と言って他の客のおにぎりを握り始める。

いつも、見られていたのか。恥ずかしい。というか私のこと覚えてくれてるんだ。週に一度、必ず決まって同じ曜日の同じ時間にここに来るから覚えやすかったのだろうか。常連でひしめく店内で、私もその仲間入りを果たせているのだとしたら少し嬉しい。

二個目のおにぎりもいつもと同じように美味しく食べた。でもいつもよりも少しだけ気分がいいからか、今まで食べたどのおにぎりよりも美味しいと思えた。

大きな体で忙しなく働く店主のお兄さんをぼーっと見つめながらゆったりとした時間を過ごす。今まで手元しか見てなかったからあまり顔をよく見たことはなかったけど、よく見たら相当のイケメンだ。この歳で自分の店を持ってるのってすごいなぁと感心しながらアルコールの入ったグラスを傾ければ、カラカラと氷の音が鳴るだけだった。もう飲み終わってしまったのか。いつもよりもだいぶペース早かったなぁと空いたグラスをテーブルに置くと、もう一杯飲む?と声がかけられる。それに一杯だけで大丈夫ですと返事をすると同時に「じゃあ、はい、さんこめ」と新たなおにぎりが出てきた。


「お姉さん、俺のことむっちゃ見てくるから恥ずかしかったわ

「え、すみません。そんなに見てました?」

「おん。良え男やろ?」


ニコニコと笑いかけてくる少し下がった目尻が良いなと思った。……ところで、良いなって何だよと心の中で自分にツッコミを入れる。冗談っぽく聞かれはしたけど実際他の誰が見てもきっとお兄さんは良い男の部類なので、逆にどうやって返せば良いのか迷ってしまって適当に笑って誤魔化すと「すまん困らせたわ」と今度は少し眉を下げて笑った。その表情を見たら、この人はこんな顔ができるからこのおにぎりの優しい味を引き出せるんだなというのを実感できた。


「まぁ、俺はいつでもお姉さんのこと見てますけど」

「……え?」

「あ、今の聞こえた?」


ボソッと呟かれた言葉に思わず顔を上げるとバチりと視線が合う。困惑しながら「そんな冗談……」と口に出してみれば、冗談でこんなこと言わんけどなんて返ってきてさらに混乱してしまった。


「早く食べんと冷めるで」

「え、あ、はい」

「フッフ、そんな慌てて食べんでも良えよ」


大きく笑ったお兄さんの顔を見上げることはできなかった。目の前の大きなおにぎりにかじりつく。口の中に広がるそれはいつもと同じでとっても美味しく、ごくんと飲み込むと全身に幸福感が広がっていく。


「やっぱお姉さん、めっちゃ幸せそうに食べるから好きやわ」


お気に入りの店だっただけ。ここのおにぎりと店の雰囲気を気に入っていただけ。今まで店主のことなんか気にしたことはなかったのに。幸せな味と時間を届けてくれるおにぎりを握る、この店の店主であるお兄さんのことを、今この瞬間から、意識し始めてしまった。


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