選手交代や!倫太郎!


目の前で揺れるポニーテールを目で追う。右に左にふわふわと動くそれがゆっくりと動きを止めたと思ったら、振り返った苗字が「ここでいい?」と少し気まずそうに笑った。


「…………」

「…………えっ、と」


部活が終わるまで待ってろと一言だけ送ったメッセージ通りに、暗くなった昇降口で俺を待ち続けていた苗字と、学校じゃなんだからと近くの公園に移動をして早数分。お互いになかなか口を開かないこの空気に先に耐えきれなくなったのは苗字で、いつもうるさいくらいによく動いているはずのその唇を震わせながら「あの…………ごめんね」と口にするけど一体何に対しての謝罪なのか。


「何か悪いことでもしたわけ」


もっと違う言い方をすればいいのに、口から出る言葉は刺々しく相手を攻撃するようなものばかり。むしろ悪いことをしたのはこっちの方だろ。迷惑だとか邪魔だとか言って突き放して、傷つけたのは俺の方だ。それを謝らなきゃならないのもこっちで、今日はそのために呼び出したんじゃないのか。


「私ね、角名くんのバレーが好きなの。本当に。だからそれを伝えたくてずっと応援してたし、何言われてもめげずにきた。でも、この間の帰り道に角名くんに迷惑だって言われた時に、もしかしたら私が勝手に期待とか、好きな気持ちとかを押し付けすぎてプレッシャー与え続けちゃってたのかな、とか、思って」


まとまらない考えをそのまま言葉にするように、ポツポツと呟くように話した苗字の膝の上に置かれた手のひらは少し震えていて、俯いているためにここからだと表情がよく見えない。

こいつの過度な期待が少なからずプレッシャーになっていることは否めないし、調子が悪い時に向けられるその気持ちが重くのしかかって身動きが取れなくなる瞬間はあった。この前の帰り道にこいつを傷つける言葉を投げつけてしまったのもそれが原因でもある。


「たしかに、お前の馬鹿みたいな押し付けるような期待に息が詰まる時はあるよ」

「…………ごめん」

「でも、それがあるから頑張らなきゃって思う時だって、あるよ。たくさん」


ほんとに?と、驚いたように顔を上げた苗字の瞳にはうっすらと膜が張っていて、情けないことに直視できなくて顔を逸らした。


「迷惑とか邪魔だとか言って、ごめん」


お前がいるから調子が戻らないとか言っておきながら、いなくなってからの方が散々な結果だった。こんな個人的な感情で左右されてちゃ失格だろうなんて呆れ返った。けれど、バレーを始めてすぐ、気がついたらいつの間にか隣にこいつがいたんだ。もうそれが当たり前のことで、それすらも俺のバレーの一部だということにハッキリと気がついてしまった。


「また応援行っていいの」

「うるさくしなければ」

「大丈夫!角名くんに迷惑かけたくないから、観戦マナーは守ってる!」

「出待ちはするのに?」

「え、と、それは……!」


あの時はいてもたってもいられなくて!といつもの調子を取り戻した苗字が頭を抱えながら唸る。それを見ていたら今までこんなに気を張っていたのが馬鹿らしくなった。フッと笑った俺を見ながら嬉しそうににっこりと苗字も笑う。


「私やっぱりさ、角名くんのバレーは世界で一番すごいと思ってるから、自分でその強さに気付いてないの勿体ないよ」

「………世界で一番は言い過ぎだと思うけど、まぁ強いとは思ってるよ」


自分で言うのもなんだけど。スカウトも貰えたし強豪でもレギュラーを勝ち取ってるくらいだから、それなりに実力があることは自覚しているけどいきなりなんなんだろう。疑問に思いながら苗字の方を向くと、先ほどよりも目をまん丸に開いてポカンと口を開けながらこちらを見つめていた。


「え、角名くん、なんか自信なさそうだったのに」

「は?俺がいつ自信なさそうにしてたわけ」

「だって私がどんなにバレーのこと褒めても、何言っても微妙そうな顔するじゃん!」


混乱したような表情で訴えかけてくるけれど、その顔をしたいのはこっちの方だ。


「確かに、してたけど」

「ほら!」


してた。確かに言われてみれば。でも、俺は別に自分のバレーに対して弱気になってるからあんな顔をしてたんじゃない。俺が、こいつに何かを言われるたび、自信を無くしていたのは。


「バレーのことじゃなくて、いつまでたってもお前が俺に興味を向けないことに対してだよ」


少しだけ、大きな声が出た。苗字はわけがわからないと言うように黙り込む。俺もそのまま言葉を止めた。あー、言ってしまった。引き返せない気まずさを感じて、全身に緊張が走る。なんだこれ。全国大会に初めて出場した時よりも今の方がガチガチに体が固まっている。


「ど、どういうこと?」

「バレーボールをしてない時の俺自身にも、ちゃんと興味持って欲しいってこと」


こうなりゃヤケだ。どうにでもなれ。引き返せないのなら突き進むしかない。こいつは馬鹿だから、遠回しに伝えようとかそんなことは恐らく通用しない。


「こんな言い方あれだけど、私ちゃんと角名くんに興味あるよ!?」

「嘘だよ」

「あるよ!今日は楽しそうだなとか、悲しそうだなとか気になるし!嬉しそうにしてると私も一緒に嬉しくなるよ」

「……それは俺のファンとしてでしょ」


へ?と眉を八の字に下げながら、苗字は困惑の表情を浮かべる。お前が俺のことを気にかけてる理由は選手のファンとしてだよ。はっきりと苗字の目を見てそう言ったら、先ほどよりももっと不思議そうにした。鈍い。苗字の肩を掴んでその顔を覗き込む。グッと縮まった距離に少しだけ心臓が跳ねた。それでもじっとこちらを見つめる苗字からは絶対に目を逸らさない。


「俺は、お前のことちゃんと好きなんだけど」


自分の気持ちをはっきりと伝えることには慣れていない。あまり自分のことを周りには話さないし。いつもこいつが俺の代わりにたくさん話してくれるから、わざわざ俺が言う必要もなかった。だけど今このタイミングで伝えずに逃げることは出来ない。逃げるつもりももうない。


「……私も角名くんのことちゃんと好きだよ」

「俺の好きとお前の好きは違うものだよ」

「そんな、」


あーもううるさい。うだうだこのやりとりを続けるのもしんどい。それにこのまま一方的に伝え続けるのはさすがに恥ずかしさがある。何かを言いたそうな苗字の言葉を遮って、掴んだままの肩をぐっと引き寄せた。

わからないなら、わからせてやる。

急に引っ張られて驚いた苗字が目を瞑ったその瞬間に唇を合わせた。びくりと跳ねた肩に力が入ったのがわかる。触れた柔らかい唇が言葉を発しようとわずかに動くけれどそうはさせない。後頭部を押さえつけて角度を変えて何度かそれを繰り返す。伝われ。俺の気持ち全部。これでもわからないとかは無しだからな。

ゆっくりと唇を離して、少しだけ息が上がっている苗字の後頭部に添えていた手でその頭をそっと撫でた。俯いた苗字は何も言葉を発さない。


「俺の好きはこういう意味だよ」


応援してくれるのは嬉しい。期待をしてくれるのも嬉しい。たまにうざい時もあるけど。いや、結構うざい時多いな。それでも苗字の存在は力になる。それに気がついたのはいつだったか。たしか中学の時だ。あれからもう何年も経つ。

地元を離れて、当たり前だけど苗字とも離れた。自分の意思で、バレーボールをやると決めてこっちに来た。今年の初めにお前もこっちに来ることになっただなんて聞いた時は信じられなかった。こっちでも変わらず声援を送り続けてくれる苗字の存在に感謝をしながら、どれだけ月日を重ねても何も変わらないこの関係性に少しずつ嫌気がさした。

もっと近くを歩きたい。その手を取って歩いてみたい。小さな体を抱きしめたい。それでそのままキスがしたい。俺にも人並みに欲はあって、恋愛だとかキャラじゃないけどそれなりに興味もある。でも誰とでも良いってことはない。苗字じゃなきゃ、ダメなんだよ。


「お前、ホントにうざいけど」
 

いつだって俺のバレーを信頼して、だるいくらいに期待して、俺の未来を信じてる。馬鹿だろ。正真正銘の馬鹿。純粋に、本気でそれをやり続けられてみろ。大切に想うに決まってる。離したくない。絶対にもう離れたくない。


「もう苗字が側にいないとか考えられない」


背中に腕を回してギュッと抱きしめた。何も言わないままの苗字の手がそっと俺の腕に触れる。ここから先はどうしていいのかわからない。ずっと片想い拗らせてきたんだ、上手い恋愛の仕方なんて知るはずがない。

誰にも言ったことのない気持ちを初めて打ち明けた。治も、侑も銀も知らない。中学の同級生も、今のクラスメイトも。あぁ、初めてっていうのは違うか。そういえばこの間おじさんに知られちゃったんだった。

柄にもなく緊張しているのを誤魔化すように、あの日のおじさんとのやりとりを思い出した。


 前の記事 l 記事一覧へ戻る I 次の記事 

- ナノ -