どんなどんな時も決まって君の味方

ドが付くほど寝坊したテスト最終日。起きて10分後には家を出ないとマジで間に合わないというギリッギリな時間に目覚めてしまった。

いつも家を出る1時間半前には起きているし、最低でも1時間前には起きているのだ。それが、たったの10分前。

しかもいつもは学校到着時間も1時間目の授業が始まる20分前にしているので余裕がある。でも今は10分後に家を飛び出して電車に乗って走っても、最初のテストが始まる2.3分前に教室に駆け込めるんじゃないかという、マジでとてもギリッギリな時間である。

悲しみ嘆き叫ぶ時間すらなくとりあえず歯を磨き、顔を洗い、昨夜遅くまで勉強していたためまだ机に散らばっている教科書とペンケースをカバンにぶち込む。

ダッシュで駅に向かい時刻表を確認すると電車が来るまであと6分。駅のトイレに駆け込んで、せめてこれだけでもと引っ掴んで持ってきたメイク道具の中から、下地とファンデーションとアイブロウを探し出す。急いでどうにか肌だけは作り上げ、いつもは5分ほど時間をかけて描く眉毛も超スピードで仕上げた。

電車に駆け込んで、空いている席に座る。教科書を開いて最後の追い込みをしようという気はもう起きない。電車に乗ってしまえばたった2駅でついてしまう音駒高校への最寄り駅の案内を車内で聞きながら、いっその事もう休んでしまおうかなとも考えた。

テスト。テストなんだよな。最終日なので2教科のみだが、科目が科目なのでテスト0点なんてことは避けたい。普通の日なら申し訳なくなりながらも1時間目はサボったかもしれないけど、さすがにテストはサボれない。

音駒高校へと続く道を走りながらどんどん気が重くなった。校門が見えて泣きそうになる。ギリギリの時間のため昇降口にはもう人はほとんど居ない。教室へと続く廊下を歩くと、テストやべぇよと話す人々や、教科書片手に友達同士で最後の確認をし合う人達が沢山現れる。

1歩を踏み出すのが怖い。夏で暑いけどマスクでもつけてくればよかった。でも余計に目立つかな。ドン底の気分で教室に入ると、目ざとく私に気がついたドア付近で話し込んでいた男子が声をかけてきた。


「お前、館?」

「…………おはよ」

「スッピン初めて見た」

「うん、まぁ。ファンデと眉は書いてるけど、そうだよね」

「なんかスゲー違和感」


ケラケラと笑われる。たぶん彼に悪気はないし、別に貶されてもいないけれど、それでもとんでもなく恥ずかしい。

ギリギリ過ぎていつもみたいにメイクをする時間なんてなかった。目元は何も出来てないし、いつもはノーズシャドウで強調している鼻筋も、ハイライトもない。お気に入りのリップグロスは赤が強いし、このメイクを施してない顔には浮いてしまうので、電車で塗ったほんのり色が着く色つきリップだけだ。

スッピンで出歩くのが出来ない訳では無い。コンビニやスーパーはもちろん、1人で近所のドンキくらいはいつもスッピンで行ってしまう。

でも学校にはいつもしっかりとしたメイクできていた。メイクは私の戦闘服で、自分の気持ちを盛り上げてくれる超最強の味方だったのだ。

孤爪くんには見られたくない。こんな姿、とまでは言わないけど、かなりショックというか、怖い気持ちがある。スッピンと全然顔違うね、と色んな人から言われるくらいに顔を盛っている自信があるから。

毎日メイク後の自分の顔を見ながら、自分のメイク技術を褒めている。普段バキバキにメイクした姿しか見せてない人達に、ほぼメイクを施していない顔を晒すという恐怖心は計り知れない。

おはようも何も言わずに席に着いた。夏だけどやっぱりマスクとか持ってくればよかった。横目で確認した孤爪くんは、テスト前だと言うのに教科書も出さず、消しゴムとシャーペンを用意して準備万端な様子で机に顔を伏せていた。

1時間目のテストが始まる直前、顔を上げた孤爪くんが口を開こうとこちらを向いた気配がしたけどそっちは見なかった。先生が来て問題用紙が配られテストが始まる。どんよりとした気持ちで受けたテストは、2教科とも多分赤点はないと思うけれど、問題内容もそんなにもう覚えてない。


「館さん」


テストが全て終わり、1秒でも早く教室を去ろうと席を立つと同時に横から声が飛んでくる。今は話したくない。けれど、彼から呼ばれてしまったら私は無視できない。


「な、何でしょう」


下を向いて俯きながら返事をする。こっちを見ないでくれ、頼む。


「おれも今まで気づかなかったんだけど、この前ヘアピン落としていったでしょ」


そう言って手渡されたのは孤爪くんの家にお邪魔した時に付けていたものだった。私もすっかり忘れていたので気づかなかった。


「ありがとう」

「うん。じゃあ今日から部活あるから」


またね。そう言って教室を出ていってしまった孤爪くんに呆気に取られる。1人取り残された私は顔を隠すのも忘れてぼーっと突っ立っていた。

えっ、それだけ?それだけなの?孤爪くん私のこの顔みたの初めてだよね?何か一言ないの?いや、言われても困るし恥ずかしさで死にたくなるだろうけども。1人悶々としていると、後ろの席の男子が話しかけてくる。


「館、いつものギャルじゃなくても可愛いじゃん」

「なんでそれをお前が言う!」

「あ?孤爪に何か変なこと言われたんか」

「言われてない!何も!言われてません!!」


顔を両手で覆いながら後ろ向きにフラフラともう一度着席する。一刻でも早く帰りたいのに、なんだか気が抜けてしまってハァとため息をつく。


「俺こっちの方が好き」


薄い私の顔を見てそう言い放つ。たぶんその言葉に悪気はない。貶されてもいない。けれど、やっぱりこれを言われてしまうのかとどこか悲しくなった。

ありがとうと一言返し席を立つ。とぼとぼと歩きながら先程言われた言葉を思い返した。「こっちの方が好き」。そりゃメイクが薄い方が男子からしてみれば好きなのだと思う。もちろんギャルが好きな人だっているし、濃いメイクが好きって人もいる。比率の話だ。男というと主語が大きいけれど、多分そうなのだろうなと思う。

昇降口で靴を履き替え校門までの道を歩いていると、部室から出てきたのであろう孤爪くんと鉢合わせた。


「孤爪く、お、お疲れ様…!今日も頑張ってね!じゃ!!!!」


なんでいつもいつもタイミング良いんだ!と思いながらそそくさとその場を去ろうとするが、そのまま左手を捕まれ体が前につんのめった。

じっ…と見つめられるのに耐えきれずに下を向くと、普段と変わらない声色のまま「珍しいね」と告げられる。


「あんま、見ないでください…」

「なんで?」

「恥ずかしいから〜!」


掴まれていない腕で顔を覆うと、その手まで掴まれて無理やり下ろされる。相変わらず無表情のままな孤爪くんはいつものように何を考えているのかわからない。


「たしかに、いつもメイクした顔でいたらスッピン見せるのって抵抗あるのかな。おれはメイクしないから解らないけど」

「恥ずかしい、本当に恥ずかしいです。孤爪くんには1番見られたくなかった…」

「なんで」

「なんでって!好きな人には一番盛れてる顔で会いたい!」


そっか。そう言って片手を離した孤爪くんは、そっと私の頬に手を添える。思わず添えられた方の目を瞑ると、何も施されていないその目を親指がなぞる。


「おれは別に、どっちでもいいと思うけど」

「え?」

「あー、でも、どっちでもいいって言い方は毎日ちゃんとしてる館さんに失礼なのかな」

「うーん?」

「おれはあんまりメイクしてない顔も良いと思うけど、館さんは自分の好みでいつもの顔にしてるでしょ」

「うん」

「なら、自分の好きなようにしてる館さん見てる方がいいと思う」

「え」

「だからおれはどっちも好き」

「え、え」


頬から手を離して、繋いでいた手も離す。もう行かなきゃと時間を確認した孤爪くんは、そのままバイバイと後ろを向いて行ってしまう。

何か言わなきゃと口を開こうとした瞬間、足を止めた孤爪くんは、何かを言い残したのを思い出した様子でもう一度こちらを振り向いた。


「なんか今日落ち込んでたから、これだけは言っておこうと思って」

「うぇ、」

「それだけ。またね」


すたすたと歩いていってしまった孤爪くんに、聞こえるか聞こえないかという声で「ありがとう」というと、首だけ振り向いてフッと笑う。

体育館に消えていった姿が完全に見えなくなると、途端にドキドキと激しく動き出す心臓が苦しくなる。

どちらの否定もせずに、好きなのを認めてくれる孤爪くんの言葉が何より嬉しかった。嬉しくて叫び出しそう。私の彼氏はいつだって100点満点の答えをくれますって、みんなに自慢して周りたい。

孤爪くんの事がもっともっと好きになった、そんな夏の始まり。


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