色っぽいビスケット

「あなたがひそかちゃん?」

「………!!!は、はは初めまして館ひそかですっ!!」


私の体ってこんなに折れ曲がるんだ!って自分でもびっくりするくらいに深く深くお辞儀をした。いつものように孤爪くんの家のインターホンを鳴らして、ガチャっと開いた扉から出てきた人物に「お邪魔しま〜す!」と声をかければ、そこに居たのは見たことの無い女の人。

孤爪くんと良く似た顔立ち。でも孤爪くんとは違ってハキハキとした印象のある、女の人。時が止まったように動けなくなった。けれど思考が繋がった瞬間にビュッッと風を切るように素早い動きで頭を下げた。そして冒頭にもどる。


「おおおお母様ですよね!?」

「うん、研磨がいつもお世話になってます」

「う、ぁ、こづめく……研磨くんの方がいっつも私のお世話してます」

「え?」


ぷッと吹き出すように笑いながら「面白い子ね」と笑ったお母さんは、「そんなに堅くならなくて大丈夫だから上がって」と優しく声をかけてくれる。


「……館さん」

「孤爪くん!」

「ごめん、捕まった」

「捕まったって何よー、研磨に彼女だなんて、一目見ないと出かけられないに決まってるでしょ」


ひょこっと顔を出した孤爪くんはとても不機嫌そう。というか、気まずそうな顔をしている。けれどツンと尖らせた下唇がとても可愛い。そんな彼の様子を見てケタケタと愉快そうに笑った孤爪くんのお母さんは、孤爪くんのことを軽く肘で小突きながら「あんたもやるわね〜」と楽しそうにしていた。


「私もう行くけど、ひそかちゃん、ゆっくりしていってね」

「はい!ありがとうございます。いってらっしゃいませ!」

「研磨〜、ひそかちゃんに乱暴しちゃだめだからね」

「しないに決まってる」


今度またゆっくりお話しましょうね、と手を振って出ていった孤爪くんのお母さん。残された私たちはしばらくその場から動けなかった。

はぁ〜びっくりした!孤爪くんとお母さん、すごく似てた。性格はちょっと違う感じがしたけど。孤爪くんはお母さん似なのかぁ、なんて頭の中で色々と考えていると、ハァとため息を吐いた孤爪くんが「ごめん、一目見たいってきかなくて」とだるそうな声を出した。


「全然平気!だけど緊張した……ねぇねぇ、今日の服変じゃないかな、メイクも変じゃないかな、変なこと言ってなかったかなぁ」

「変なことは言ってたけど、あとは平気だよ」


貸して、と私の荷物を奪った孤爪くんはそのままトントンと階段を上っていく。もう見慣れてきつつある孤爪くんの部屋にいつも通り案内されて、いつもの場所と言えるようになってきた位置に座り込んだ。


「なかなか外でれなくてごめん」

「いいのに、孤爪くん部活忙しいでしょ?」


それに孤爪くんは部活がなくてもインドアそうだしね。私はすぐいろんなところに遊びに行くけど、別に家で過ごすことが苦な訳ではない。

いつも通りに私が最近面白いと思った話や、ドラマの話、なっちの新しい名言やなおぴのやらかした話をペラペラと喋る。孤爪くんはそれに静かに頷きつつ気まぐれに相槌を返して、たまにふっと軽く息を吐きながら笑って聞いてくれた。

場所なんか関係ない。私は孤爪くんがいて、こうやって二人で過ごすことが出来ればそれがどこだって構わないのだ。


「孤爪くん!」

「うわっ、いつもいきなりは来ないでって言ってるじゃん」


タイミング悪く飲み物を飲もうとしていた孤爪くんが、口の端に垂れたそれをグイッと拭う。慌てて「ごめんなさい」と謝りながらもその仕草にドキドキとしていると、こちらを向いた孤爪くんがコップをテーブルの上に置いてそのままゆっくりと体を倒してきた。

ぽすんと私の肩に頭を乗せた孤爪くんの方を向いて話しかけようとしたその瞬間、グッと顔を動かした孤爪くんが大きく口を開けて喉元に噛み付いた。痛くはない、けれどピリピリと僅かに痛覚が刺激されているのがわかる。

ゾクゾクとする感覚が背中を這った。体を固め驚いていると、何を思ったのかそのままそこに猫のように舌を這わせた孤爪くんが髪の毛で隠れた僅かな隙間から覗かせた瞳でまっすぐにこちらを射抜いた。


「ぅ、うわぁぁああ!!」

「わ、」

「なななな、なに!なにっ!?」


何今の変な感じ!!感じたことない感覚に体を震わせながら、思わず孤爪くんを突き飛ばしてしまった。転がった孤爪くんはキッとこちらを軽く睨みながら「何すんの」と不機嫌そうな声を出す。いやいや、何すんのはこっちの台詞なんだけど!!


「なんか今、ゾクってした!!変な感じになった!!」

「へぇ」

「ううううっ」


体を手でさすりながら前屈みに縮こまる。上体を起こした孤爪くんがふふっと笑いながら少しだけ顎を上げて、自身の喉を指さした。


「ここ、弱いんだ」


卑しく目を細め、面白いものを見つけたかのような顔をして再度こちらへとやってくる。未だ縮こまる私を見ながら口角を上げ首を傾げた孤爪くんは、はらっと落ちた髪の毛をゆっくりと耳にかけた。


「う、うわぁぁこっち来ないで!!」

「声おおきい」

「色気!ダダ漏れじゃん!!」

「なに言ってんの」

「わー!ストーップ!!ストップ止まってください!半径3m以内に近づかないでください!!」


ギャーギャーと喚きながら立ち上がり、孤爪くんから一番遠い所にある壁にぴったりと背中を合わせてしゃがみこむ。「それじゃあお互い部屋の端から動けないじゃん」と呆れたように眉をひそめた孤爪くんは、「まぁ別にいいけど」と呑気に言いながらその場でぐっと伸びをした。……え、いいの!?私からそう言ったけど、もう少しくらい嘆いて欲しかったよ!

チクタクと時計の針が時間を刻んでいく。孤爪くんは本当に何も思っていないのか、いつものように手持ちのスマホでアプリを開き、こちらを見もせずにずっとずっとゲームをしている。


「…………」


タンタンと孤爪くんがスマホをタップする音が響き渡る。じっとそれを見つめている私。もうどのくらいの時間が経ったんだろう。集中してる孤爪くんはとても格好良い。時折顔にかかった髪の毛を後ろへと払う仕草はやっぱりとっても素敵だと思う。


「…………」

「…………」

「…………こ、孤爪くん」


ソワソワ、うずうずしながら恐る恐る声をかけた。何も言わない孤爪くんは未だゲームに集中したまま。


「孤爪くん〜………」

「なに」

「……そっち、行っても良い?」


ゆっくりと顔を上げた孤爪くんは、片側の口角をニヤッと上げ、不敵に笑いながら「いいの?こっちに来て」とわざとらしく確認をとる。


「だって……寂しい」

「来るなって言ったのはそっちなのに」

「そうだけど〜!」

「まぁ館さんが我慢できなくなるのはわかってたけど。思ったより早かったね」


片腕を広げて「おいで」と微笑んだ孤爪くんのそこに耐えられずに勢いよく飛び込んだ。言われた通り、同じ空間にいるのにこんなに離れているなんて我慢できない。孤爪くんの膝の上に乗っかって正面からガシッと抱きつく。今まで寂しかった分を埋めるように目一杯の力で。


「孤爪くん」


大きな瞳をじっと見つめて視線で訴えかける。孤爪くんは何をして欲しいのかを察したかのように「……わがまま」と小さく一言呟いて、私の後頭部を引き寄せ触れる程度の軽いキスをした。



「もっと」
 
「……欲しがり」


さっきよりも強く押し当てられたそれに応えるように首元に腕を回した。グッと近づいた距離にはまだまだ完全には慣れてない。ドキドキと主張し出す心臓の音が孤爪くんに伝わってしまいそうで少しだけソワソワした。角度を変えて数回、少しだけ唇を離して、もう一度、そして……


「ひぃぃいあぁぁああ」

「あぶなっ」


またゾワッてした!鳥肌が立つみたいな!なんかすごい変な感じのやつ!

突然首の後ろを撫でられて思わず反り返った。後方に転がりそうになる私を慌てて支えた孤爪くんは、焦ったような声を出しながらも私の様子を見て吹き出し「いくら何でも弱すぎ」とまた喉を鳴らして笑っている。

「いじわる…!」と言いながら胸元をぽかぽかと叩いた。その手を掴んだ孤爪くんはそのままゆっくりと指を絡めてくる。真っ赤な顔を隠すように孤爪くんの肩に顔を埋めた。ふふっと控えめに笑った孤爪くんは、きっと頬と同じくらいに赤く染まっているだろう私の耳元に口を寄せ、小さく掠れた声でそっと囁いた。


「そんなこと言うなら、おれのも触れば」

「……本当に触るよ?」

「どうぞ」


ほら、と顎を上げた孤爪くんが見下ろすように視線をこちらへと向ける。ありがとうございます、この角度最高ですと心のシャッターを切ってまた思い出のアルバムに追加したあと、恐る恐る手を伸ばす。


「くすぐったくない?」

「別にふつうだよ」


触れたそこは思っていた以上にゴツゴツと骨ばっていて、あまり目立たないのにしっかりと喉仏の存在を確認できる。チラッと視線を上げて孤爪くんの目を見る。スッと細められたそれに心臓がドキッと大きく跳ねた。

ごくりと息を飲み込んだ孤爪くんのそこが上下して思わず咄嗟に指を離す。孤爪くんの顔も上手く見れない。しっかりとわかっていたはずなのに。孤爪くんは私とは違って男の人なんだ。それを再確認してしてしまってなんだか上手く顔が見れない。


「そんな顔して、どうしたの」

「き、緊張してる……!」

「今更?」

「う、なんか、孤爪くん男の子だって思って……!」


「当たり前じゃん」。そう言いながら顔を近づけてきた孤爪くんは口の端に自身のそれを押し付けて、「ちゃんと意識してくれないと困る」と少しだけムッとしたような声を出した。

……頭の中が一気にパニックだ。

「でも取って食べたりしないから安心して」と耳元で囁いた孤爪くんが、そのままゆっくりと肌を這うように移動して首筋に唇を押し当てる。肩を跳ねさせた私を安心させるように強い力で包み込み、「館さん」と私の名前を呼んだ。


「おれたちはおれたちのペースで、ゆっくり一つ一つ慣れていこ」


その優しい声に、グッと固まっていた体が解れていく。無意識に止めていた呼吸を再開して肺に酸素が巡ってきた。


「孤爪くん……ほんとに好きっ」

「うん」

「好き〜っ!!」

「うわ、ちょっと、首絞まる」


最近は孤爪くんが忙しくて、二人きりでこうやって過ごせる時間がそんなにない。邪魔したくないから練習を見に行くのも控えている。会えるのは教室と、私のバイトがない日の部活終わり。それだけ。それなのに不思議と寂しいだなんて思わない。孤爪くんへの熱はぜんぜん冷めなくて、むしろどんどん大きく強くなっていって、この気持ちに上限とかないんじゃないかなって思うくらいに無限に広がっていく。


「そういえば、昨日翔陽から連絡きた」

「あっ!そうだ、宮城の代表決定戦!」

「勝ったって」

「……!!!!」


孤爪くんの表情はとっても柔らかい。いつもより少し楽しそうな気がした。私も釣られて同じ顔になる。「良かったね!!」と笑えば、それは翔陽に言ってあげてと言われてしまった。

日向翔陽くん。まだ直接は会ったことがないけれど、孤爪くんのお友達。珍しく孤爪くんが自分から話を聞かせてくれる、おもしろい人。


「春高行きたいな」

「おれより張り切ってる」

「だって翔陽くん会ってみたいもん」

「それが理由?」

「え?……あ!違う違う!一番の理由は音駒が全国に出て欲しいからだよ!」


バレーしてる孤爪くんいっぱい見たい!そう言ったら、館さんって物好きだよねと言われながら背中へと腕が回ってきてふんわりと引き寄せられる。


「楽しみだね」

「ほんと、館さんが一番楽しそう」


東京にたくさんたくさんある学校の中で、上位三校。その少ない枠をかけた東京都代表決定戦まで、あと半月。


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