あの日から数週間。すっかり飲み友達と化した北とは頻繁に会う仲となっていた。


「お疲れさん」

「お疲れー、ちょっと遅れた。ごめん」

「平気や。行こ」


手を繋いで歩くことに最初は戸惑いもしたけれど、今となっては少し馴れも出てきて自然と受け入れてしまっている。なんだか北の良いように流されているようで少し悔しい気もするが、嫌なわけではないので結局何も言わずにいる。

今日は尾白くんがちょうど関西にいるというので、久しぶりに三人で集まることになっている。予定より早く着いたということで先に飲み始めているという尾白くんに、「あいつも意外と待てが出来んやつや」とスマホを見ながら苦笑いした北にフッと微笑み返せば、もうすぐ着くからと繋いでいた手を離された。

寂しい。一瞬そんな感情が生まれたけれど、フルフルと首を振る。急に温かさを失った手のひらに春の風が吹き付ける。そのほのかな冷たさに胸がぎゅっとなった。北の気持ちに答えられないのは私なのに、一丁前に切なさを感じるなんて、とんだ我儘だ。


「やっと来よった」

「いらっしゃい北さん、すえさん」


おにぎり宮ののれんを潜れば、懐かしい顔が迎えてくれる。といっても治くんはこの間も会ったばかりだし、尾白くんにだって角名くんの結婚式で会ったから二ヶ月ぶりくらいだ。


「お前らが二人で並んどると高校の時思い出すなぁ」

「そうか?」

「ずっと一緒におったやん」


日本酒をトポトポとお猪口に注ぎながら、懐かしむように尾白くんが口を開く。高校の時は確かに私は北と一緒にいることが多かった。練習内容の確認やら、連絡やらをすることが多かったというのもあるし、私が北の隣にいるのが一番心地よかったからだ。


「お前らはてっきり部活引退と同時に付き合うんかと思っとったわ」


滝川もどうぞ〜、と私の分のお猪口にもお酒を注がれながらそんなことを言われる。ありがとうと言ったけれど、少し声が固くなってしまったような気がした。


「あー、アランくんは知らんのか」

「何?」

「もうさすがに言ってもええんちゃう?」

「えー?まさかお前ら付き合うてたとか?」


しのぶちゃん経由で、治くんは私が北に告白して振られたのは知っている。けれど、その他には誰にも言わないで欲しいと北にも告げて逃げたから、北と仲の良い尾白くんでさえもその事は知らないみたいだ。

てっきりいくら誰にも言わないで欲しいと言ったからって、尾白くんくらいには話しているもんだと思っていたので、きちんと約束を守っていた北に驚きが隠せない。


「……言ってもええか?」

「まぁ、うん。私の事も話さなきゃいけないしね」

「せや、滝川も結婚するんやもんなぁ。感慨深いな」

「あー、えっと、その事なんだけど」


結婚の話は無しになったの。そう簡潔に伝えると、一拍置いてエエッ!?と店内に響き渡るような大きな声を出し、尾白くんがこちらへと顔を向けた。


「な、なんでなん……」

「いろいろありまして……」

「……まぁ、結婚の話無しになるくらいなら、いろんなことあったんやろなぁ……滝川大丈夫か?元気そうやから全然知らんかったんやけど、なんかごめんな」

「大丈夫。今は別れられて良かったとも思ってるし」


お猪口を傾けお酒を飲みながら、反対の手でポンポンと頭を叩かれる。そういえば高校の時にも私が何かに落ち込んだり躓いたりした時、尾白くんはこうやって大きな掌で励ましてくれたのを思い出した。


「すえさんは別れてすぐに他の人にもプロポーズされてるもんなぁ」

「ちょ、ちょっと待って治くん、話していいのは高校の時の話でその話はまだちょっと!」

「え、え、何?滝川そんな男弄んどんの?」

「ほら!ちょっと!どうするの!」

「俺がプロポーズした」

「へ〜北がなぁ…………は!?」


信じられないという顔で再度こちらを振り向いた尾白くんは、私の隣に座る北を見ながら「何でそんなこのになっとんねん!」と額に手を当てて驚きを表現する。カウンター越しでゲラゲラと笑う治くんはとても楽しそうだ。


「あと部活引退と同時に俺は滝川のこと振った」

「……待て待て!それも衝撃やのにさっきのが強烈すぎてへぇ〜そうなん程度にしか思えん!何なんや一体!」

「誰にも言うな言われとったから今まで言われへんかった。すまんな」

「別にええけど!……えっ、それで、プロポーズしたってことは今は付き合うとるんか?」

「付き合うてない」

「何でやねん付き合うとけや!!」


ガンッと握りこぶしをテーブルに叩きつける尾白くんは、大きな体をワナワナと震わせている。黙ったまま客観的に話を聞いていると、自分が思っている以上にとんでもない話だよなぁと思えてくる。


「知らんうちにえらいことになっとる……」

「びっくりさせてごめんね」

「ええけど、え、お前ら結婚はせんの?」


顔を覗き込まれて思わず動きを止める。結婚。北には悪いけれど、まだそんな考えは沸かない。プロポーズは確かにされたけれど、そもそも結婚に対して今は前向きな方向に考えられない。

こんな気持ちを抱えながら北の隣からも離れられないことに罪悪感を感じた時もあったけれど、「そう思うんも当たり前やろ」とついこの前言われてしまった。俺がやりたくてやっとるんやからと繋がれた手を、握り返したのは私なのだ。利用していると思われても仕方がない。


「結婚する」

「北えらい強気やん」

「高校卒業からずっとすえさんのこの好きやから北さんも大分こじらせとるで」

「ちょ、ちょっと私を置いて話を進めていかないで……」


北の言葉に恥ずかしくなりながら頭を抱えた。尾白くんは感心したように北を見つめている。ハイよと治くんが出してくれた追加のおにぎりに三人でかじりつくと、今度は治くんが口を開いた。


「まぁ今日は俺からも伝えたいことがあるんですわ」

「なんやなんや」

「俺も結婚します!!」


治くんの結婚報告には三人揃って「おめでとう」の声が重なった。ついにかー!お前らこそ長かったもんなぁと尾白くんは涙目になりながら祝福している。


「角名の式見てたらええなーってなって。この間ツムにも話してきました」

「侑の方はどうなん」

「あいつは女作る気ないですわ」

「侑は結婚報告より先にスキャンダルが来そうやな……」


ついに、治くんたちも結婚するんだなぁとこちらまで感慨深くなる。当時私の北への気持ちを一番知っていたのも、応援してくれたのもこの2人だった。


「あんなにちっこかったのに……結婚やなんて感動するわホンマに」


残りの日本酒をぐいっと煽る尾白くんは、泣いているせいなのか酔いが回ってきたせいなのか分からないが真っ赤っかだ。北も珍しく笑いながら追加の日本酒を傾けている。


「幸せにするんやで、泣かせたらあかんよ」

「すえさんに言われると大分重いなぁ」

「はは、まぁ治くんなら心配いらへんわ」

「滝川急に関西弁に戻ったな」

「滝川は酔いが回ってくると関西弁になる」

「……お前らしっかり仲ええやん」


結婚。結婚。最近その話題ばかりだ。私も周りも。でも結婚という言葉にもはや恐怖を抱いていた私にとっては、この治くんたちの幸せそうに語られる結婚という文字に少し救われつつあった。

結婚は、本来は幸せな言葉であるのだ。

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