ぐつぐつと沸騰するお湯にザァッと一束の蕎麦を入れる。菜箸でゆっくりと丁寧にほぐして、茹で上がった麺を素早くザルに移し替えて水で洗った。同じタイミングで隣でつゆを作っていた信介がお玉で一口味見をして「出来た」と言うので、2人でお皿に移したそれらを食卓へと運ぶ。

時刻は23時30分。あと30分ほどで年が明けてしまう。本当はもっと早い時間から年越しそばを食べようとしていた。けれど、いつも通りの時間に夕飯を食べて年末恒例の人気番組を見ながらいつもよりもゆっくりと夜の支度をしていたら予定していた時間をだいぶ過ぎてしまった。年越す前に食べれれば何時でもええやろと意外にも信介もその辺は緩くて、じゃあお腹がちょっと空いてくるタイミングまで待とうかとなり、結局この時間になったのだった。


「食い終わったらちょうど年越すくらいやないか」

「そうかもね」


いただきますと2人して手を合わせて食卓を囲んだ。蕎麦なんてしょっちゅう食べているけれど、やっぱり年越しそばというのはちょっと特別感がある。先程夕飯は別でちゃんと食べたし、特に何かが乗っているわけでもおかずがある訳でもない質素なものだけど、いつも以上に美味しく感じるのは今日が大晦日だからなのか、目の前にいる信介が「美味いな」と笑うからなのか。


「今年はいろんなことがありすぎて、こうやって今信介と二人で年越しそばを食べてるだなんて夢みたい」

「ほんまや。俺やってまだ信じられん」

「ふふ」

「長く細くなんて言うけど、こうやって毎年すえと居りたいな」

「なに?急に」

「末永くよろしくってことや」


食べ終わった頃にはもう日付が変わる10分前で、慌てて台所でお椀を洗った。今年の手間は来年には回さないようにということで、空いたお皿をいつもみたいに後でいいやと下げっぱなしには出来ない。そう言うと信介も感心したように「せやな」と頷いて、洗った食器を拭くのを手伝ってくれる。


「もうすぐやな」


窓の外には上弦の半月が夜空にぽっかりと浮かんでいて、ぼやぼやとその存在を主張している。傍らに畳まれていたカーディガンを手に取ってカラカラと窓を開けた。冷たい夜の風がスゥッと私の横をすり抜けて部屋を冷やしていく。寒いやろと奥から毛布を持ってやってきた信介が窓際に腰かけて、私のことを手招きした。

ピッタリとくっつくように信介の隣へと座るとそっと毛布をかけてくれる。その流れのまま肩を抱き寄せられて、二人で顔を寄せ合いながら遠く目の前に浮かび上がる月へと目線を移した。無数の星が瞬く夜空は何だか現実味を感じなくて、この空間が非現実な世界なんじゃないかと思えてくる。

フと隣へと目を向けると私の視線に気づいた信介がどうしたと優しく問いかけてきた。その声があまりに優しすぎてやっぱり幻想なんじゃないかなんて思ったけど、ぴとっと私の頬に触れた少し体温の低い信介の手のひらがこれが現実であることを証明してくれる。

そっと自分の手を重ねてゆっくりと目を閉じた。ゆっくりと落ちてきた唇の温もりに安心を感じる。部屋の中のテレビからはカウントダウンが聞こえて、年明けを祝うたくさんの人のお祝いのコメントが流れてくる。窓の外からはどこからか除夜の鐘が絶えず聞こえている。去年がどこかへ行って、今年がやってきた。現実と幻想の狭間で信介と二人、ゆらゆらと漂うみたいにその温もりに浸った。


「あけましておめでとう」

「今年もよろしくね」


寒いから風邪ひく前に中入ろかと信介が私を引っ張って、冷えきった部屋を温めるように暖房を強にした。冷たい空気に包まれた部屋は確かに寒いけれど、信介が持ってきてくれた毛布にくるまっているから暖かい。ベッドの縁への座る私の隣に腰かけた信介が毛布を自分にもかけて、私の手のひらに自分のそれを重ねた。


「初詣はどこにいく?」

「とりあえず世話になっとる近所の神社やろ、あとは…」


何かを考えこむように信介は口を閉ざした。まっすぐ前を向いていた視線がスっと細められて、目だけがこちらを向く。ぱちぱちと瞬きを繰り返してそれを見つめると、首ごとこちらを向いた信介が「あそこ、行こうや」と少し楽しそうな声を出した。


「……あの学校の近くの小さいとこ?」

「やっぱりあそこは外せんやろ」

「ちゃんと挨拶行かなきゃね」


ははっと楽しそうに信介が笑った。信介は普段は確かに無表情だけど、周りのみんなが思っている以上に笑う。嬉しそうに、楽しそうに、意外にも結構プラスな感情を表に出すのだ。これを言うと侑くんとかにはホンマか?と疑わしい目で見られるけど、私が知る限り信介はそうなのだ。


「去年の今はすえとこんな風になっとるなんて想像もしとらんかった」

「……そうだねぇ」

「これからはこうやって毎年二人で年越せるんかなって思うと、今でも正直信じられん」

「さっきも同じようなこと言ってたよ」

「せやなぁ。俺にとってはこうやってすえが隣にいること自体全部夢みたいやって感動するからな」

「………そっか」

「照れとるん?」

「…うん」


フッと満足そうに笑って、そろそろ寝るかとベッドへと潜り込んだ。まだ薄ら寒い部屋の中でお互いの体温を求めて体をピッタリと寄せ合う。スルッと背中へと回ってきた腕の重さに安心感を覚えて、すぐに睡魔が襲ってきた。


「初夢ん中でも会えたらええな」


落ち着いた大好きな声が耳に入ってきて、ゆっぱりそれが幻か現実なのかわからなくなった。ゆらゆらとした夢と現実の狭間でそっと目を閉じる。信介といると何時だって、幻想の世界に浮いているみたいに幸せな気持ちになれるのだ。

来年も、そのまた来年も、夢の中でだって二人で過ごせたらいいな。

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