十月。あの前撮りの日から一ヶ月ちょっとの月日が流れた。もう少し待って欲しいとの私のお願いを北はやはりしっかりと守ってくれている。北のことは好きだ。好きだけど、どうしても怖さが勝ってしまう。
北に感じている感情は新しい感情だ。高校生の時の気持ちがぶり返している訳では無い。私はあの時の北が本当に大好きだった。それは事実だ。でも、また新たに、今の北に恋をしている。
結婚まで決めた相手と別れて半年ちょっと。そんな大きな失恋と考えると、半年という時間は傷を癒す時間としては決して長くはない。きっとあの人との交際や結婚の話を知っている東京の友人たちに、今はもう新しい好きな人がいるのだと言ったら驚かれてしまうだろう。
それでもこの半年間、絶えず側にいてくれた北に惹かれてしまうのは仕方がないことで、あの相手との月日は限りなく最悪な思い出として蓋ができるようになったところまで来た。
「そろそろ行こか」
珍しくスーツに身を包んだ北はとても似合っていて格好良い。胸元には髪の色と同じシルバーグレーのポケットチーフが覗いていて、センスの良さを感じさせる。その姿を目にして高鳴る胸はまさしく恋心というやつだ。ボルドーの控えめなフィッシュテールのワンピースドレスを揺らして、その横へと並んだ。
「二人ともおめでとう!」
「すえ先輩が泣いてるの見てたら、私まで泣いちゃいそうで大変でした」
「侑くんもめちゃくちゃ泣いてたよ」
「ほんとに、二人とも涙腺に悪いです」
純白のウエディングドレスを身にまとって、何一つの濁りもなく治くんの横へと並ぶ彼女の姿を見たら自然と涙が溢れていた。前撮りを見たあとの涙とはまた別の涙だった。私ももしかしたらあんな風にしていたんだろうか、という考えはもう無かった。
私もあんな風に、流れでそうなった相手ではなく、心から好きだと思える人と、私自身が選んだ人と、私を選んでくれた人と、あの場所で笑い合いたいと思った。
ブーケトスの準備するのでまた後でお話しましょうと言って去っていった彼女は、後ろ姿まで綺麗で、眩しくて、清らかだ。
「あれ、ブーケ受け取ったの侑の彼女か」
「女の子の気配無いって言われてたのに、急に連れてくるんだもん、ビックリだよね」
「あいつらしくてええな」
彼の方を見ながら、二人して一歩踏み出そうとしたその時、急に彼女の前で跪いた侑くんがその場でプロポーズをして会場が一気に盛り上がった。
「侑くん、すごいな……やっぱりただものじゃないよ」
「侑まじで行動読めないウケる」
「さすがの俺でもビックリしたで」
「北でもこれは驚きやわ、確かに」
恥ずかしがって侑くんの後ろに隠れる彼女を支えながら、盛り上がるギャラリーにピースをしている彼の、高校の時から変わらない突拍子のない行動になんだか安心する。主役よりも目立つなという治くんからの叫び声に、侑くんはいつもの様に調子の良い言葉で返しながら言い争いを始める。この双子のやりとりも何だか懐かしい。
大好きな人達に囲まれて、自然と笑顔になる。私はやっぱりこの人達といると強くなれる気がして、こんな私でも何でも出来るんじゃないかと思わせられるのだ。
私も、もっと強くなりたい。
あの人が離れていってしまったのはとても悲しいことだ。私の人生はもう終わったと本気で思ったし、誰も信じられなくなった。次なんて考えられなかったし、この傷が癒えることなんてあるんだろうかと泣き腫らした。
それなのに、こんな私にプロポーズをしてくれた北に救われた。怖くて、北のことまで疑ってしまうくらいにトラウマになってしまっていたけれど、それでもあの日の私は心のどこかで期待したんだ。困惑と不安と、わずかな期待。この人なら、北なら。私は変われるかもしれない。そう思わせてくれる北が、私は昔から大好きだ。
二次会、三次会も終えてヘトヘトになりながら帰宅する。泣きすぎから来る頭痛とお酒でぼーっとする頭を何とか動かしてシャワーを浴びて、ベッドへと沈む。
目を瞑れば、昨日の事のように思い出せる。
全てが終わったあの日。でも、あそこで全てが終わってしまったからこそ今があるのだから、運命というのはとても残酷で、意地悪なものだ。
あんなに絶望したのに、良かっただなんて。そんなふうに思える日が来るなんて思ってなかった。それもこんなに早くに。いつか過去にできる日が来るかもしれないとも思ったけど、それは数年後の未来だと思っていた。
ベッドの端に置いたはずのスマホを手探りで探し出す。暗闇の中で光る画面は眩しくて思わず目を細める。光の中映し出されるその名前を見るだけで、何だか心があたたかくなってしまう。
ねぇ北。こんなにももう私、北のこと、ちゃんと好きみたいだ。
その名前をタップしてスマホを耳にあてる。プルルルとコールが数回鳴った後、それは途切れた。
『どうした?こんな時間に。何かあったか?』
「ううん、声、聴きたいなぁって」
『さっきまで一緒におったやん』
「そうなんだけどさぁ……」
規則正しい生活の北が、いくら一緒に三次会まで参加していたとはいえこんな時間まで起きているのは珍しい。もう日付はとっくに変わっている深夜。部屋の中は静寂に包まれていて、耳元で笑う北の声だけが鮮明に響いた。
「ねぇ北、結婚しよ」
『……は?』
「え?北が言ったんじゃん、何でそんなに驚いてるの?」
『せやけど、お前、』
タイミングっちゅーもんがあるやろと焦った声が聞こえる。それを言うなら、結婚破棄されたばかりの私にプロポーズしてきた北だって、タイミングっちゅーもんがあったやろ、なんて茶化してみる。
『電話じゃ埒が明かん、こんな時間やけどそっち行ってええか?』
「いいよ」
『すぐ行くから、暖かい格好して待っとれ』
すぐにブチッと切れてしまった通話画面を見ながら、そんなに急がなくってもいいのにと笑う。きっと私には暖かい格好でいろと言ったのに、自分は急いで薄着で来るんだろう。十月といえど夜はもう大分冷え込むのに。
せめて温かいお茶でも用意しておいてあげようと、電気ケトルの電源を入れた。