「燥ぎすぎたなあツム」
「…せやなサム」
負けた。春高。1試合目で。相手は宮城の烏野高校。飛雄くんのチーム。IHも好成績、優勝だって狙えるチームで、この春高やって俺も含めてみんな調子も何も悪くなかった。それでも負けた。結果は変わらん。3年生は引退で、これからは俺たちがチームを率いていくことになる。目標も変わらん。やることも変わらん。今までと同じように、ただひたすらにバレーボールに打ち込むだけや。
「どや俺の仲間すごいやろって、もっと言いたかったわ」
北さんの言葉を聞いた時、自分でもどう言葉にしてええのかわからんような感情が腹の底から溢れ出てきて止まらんくなった。もっとバレーがしたい。したかった、このチームで。でももうそれは叶わん願いで、俺たちは俺たちで、新しく進んでいくしかない。
こうやってやるせない気持ちになるから負けは嫌なんや。他にも負けたくない理由なんて山ほどある。やっとるからには勝ちが欲しい。どんなに好成績だろうが誰が褒めようが1度でも負けてしまえばそこで終わりや。バレーボールに同点なんてもんはない。勝ちと負けがハッキリしたこの世界で、勝利以外の何を望むというんや。
次の日の烏野の試合を観戦して、それから兵庫に帰った。目をつぶっても頭から消えん最後のあの一点、飛びついてきた飛雄くんと翔陽くんのバケモンじみた勝ちへの貪欲さに、負けながらも高揚した。負けてよかった試合なんて1つもあらへん。今回もそうや。後悔はない。それでも悔しさと少しの悲しさとやるせなさはある。それと同時にわくわくしとる気持ちも。
兵庫に帰ればいつも通り練習があって、すぐに始まる新学期ではクラスのみんながお疲れ様、放送見たで、現地凄かったなと言葉をくれる。それに悪い気はせんけど当たり障りのないように返事をして寝るふりをして机に伏せた。
目を閉じれば蘇る、地鳴りのような叫び声と試合終了の笛の音。時間が止まったみたいに一瞬動けんくなって、飛雄くんと翔陽くんに飛びつく烏野のやつらの動きがスローモーションのように見える。そこまで思い返して思考を止めた。何も考えたくないのに勝手に頭ん中に現れるその光景がウザったくてムカつく。この悔しさも何もかも全部全部糧にして俺はこれからもひたすら前に進むだけや。それもわかっとるのに。
「お前、なんでここにおんねん」
「呼び出されるならもうそろそろかなって思って。それなら場所はここかなって」
ビュウビュウと吹く冷たい風が全身を震え上がらせる1月の夜。ロードワークがてらいつもの公園に寄って、ベンチへと向かえば先客が1人。たった今作成画面を開いたメールを消去して眉間にシワを寄せる。呼び出してやろうと思っとった女はすでにそこに座って空を見上げとった。
「俺はまんまとお前の考え通りに動いたって訳か」
「そうだね」
「…腹立つなぁ」
スっと立った女はゆっくりとちらへ歩みを進めてきて、冷たい両手で俺の頬を包んだ。ひんやり刺すような痛みを感じるその冷えた指先に思わず目をつぶって「嫌がらせか」とぶっきらぼうに言い放てば、違うよとニッコリ笑ってその両手をさらに強く押し当ててくる。
「お疲れ様。見たよ、試合。凄かったね」
目を閉じてあの日を思い出すようにしみじみと話す女に顔を歪ませる。「…嫌がらせか」ともう一度女に問いかけると、やっぱり笑いながら違うよと言葉を返してきた。
「負けたんやぞ」
「うん、見てたよ」
全部見てたよと真っ直ぐに向けられる視線からフッと目を逸らした。その体に一歩近づいて距離をゼロにする。俺の頬を包んでた冷たい指はいつの間にか後ろに回っとって、丸まった俺の背中を引き寄せて頭を撫でる。丁度良え位置にあるこいつの頭に俺のそれを乗せて体の力を抜けば、俺を撫でていたちっこい手は今度は垂らしたまま行き場を失っていた俺の両手にそっと触れた。
「こんなこと言うと宮くんは怒るかもしれないけど」
「内容による。話してみぃ」
「勝敗とか、私は別にどっちでもいいなって」
風に舞った女の髪の毛がサラサラと視界に揺れる。ロードワークで温まっていた体は、こいつの冷えきった体温と真冬の空気のせいでとっくにどっかに飛んでった。急にどこかに行ってしまった暖かさを求めて、目の前の冷たい体に腕を回す。俺よりも冷えたそれは俺の体温をもっともっと奪い取っていくのに、その手を降ろすことはしなかった。
「…全国いってまで死ぬ気で勝負しとるやつの前でよくそんなこと言えんな」
「勝っても負けても死ぬことはないでしょ?」
「死ぬ思いはすんねん、わかっとらん」
そっかぁ、そうだよね。と納得したのかしてへんのかわからん曖昧な返事をしながら、再度俺の背後へと手を回して控えめに俺の腰を支える。その頼りない腕の回し方にイラッとしてその手をグッと引っ張って、やっと背中へと大きく回ってきたその腕と更に近づいた距離に満足した。
「ごめんね。でも私にはやっぱどっちでも良いよ」
「…………なんやのムカつく」
思いっきり背中を曲げて覆い被さるようにギュッと、抱きつくと言うよりも縛り付けるように力を込めた。
「宮くんの周りはみんな一生懸命勝つ為に頑張ってるし、それを応援してるでしょ」
「当たり前やん、普通そうやろ。どっちでもええなんて言うお前がおかしいんや」
「でもさ、1人くらいそういう考え持ってないと、逃げ場失った時に辛いじゃない」
少しだけ苦しいのかモゾモゾと体を動かしたのを見て、俺もちょびっと力を抜いてやる。女が顔を上げて、あと数センチでくっついてしまうんやないかってくらいの至近距離で視線が絡み合った。俺も女も逸らさない。というより、逸らせないのほうが正しいのかもしれん。
「俺がそんなに弱い男に見えるんか」
「宮くんは強いよ、すごく」
「…せやな」
「でもずっと強くあり続けるためにはどこかで力を抜かなきゃならない場所も必要だよ」
「………せやな」
「だから、私が唯一の逃げ場になってあげるの。他の人の前ではいつだって強くいられるように」
ニッコリ笑った女がフッと目を伏せた。自然と唇を寄せて重なり合った。冷えきった上に少しだけカサカサしとる俺とは違って、冷たいのに全然乾燥しとらんこいつのそれはいつもと全く変わらんかった。いつでもどこでも変わらん感触のそれは、何もかもが変わり始めとるこの瞬間でも唯一ずっとここにあるような気がして何度も確かめるように重なりあわせた。
「変な女」
「うん」
「お前みたいな変人他にはおらん」
「うん」
もう一度背中を丸めてこいつの肩に頭を乗せる。子供をあやすみたいに頭を撫で始めるこいつにガキ扱いすんなやと言ってみても、ケラケラと笑うだけでその手を止めようとはせんかった。
体も指も何もかも冷たいのに、腹の底に溜まっとったようわからんもんは口から吐き出す白い息に乗っていつの間にやらどっかに行ってしまったみたいや。
この女の考えてることなんて何もわからんのに、わからんからこそどうとでも捉えられる今の関係も悪くは無いと思った。アホみたいに俺のことばっか考えとるんか、それともただのアホなんかは知らん。そんな訳もわからん女をこんなに頼りにしとる今の俺も訳が分からん。
「アホみたいに俺に利用されてろ、泣いても知らんで」
「泣かないよ。いつも泣きそうなのは宮くんじゃん」
「うっさいな。前から思ってたけど結構ウザイなお前」
ぐいっと額を押し付けた。頭を撫でていた手が止まって、両腕が首に巻きついてくる。冷えきった女の髪の毛が耳にあたって痛みに変わる。それを避けるように横を向けば、これまた冷たくなっとる女の耳に唇が触れてそれに反応した女がこちらを向いた。
「寒いよね」
「今更やんな」
「うち来る?」
「………ええ、ここで。今日はもう帰るし」
そっか。多分いつも通りのその言葉を言おうとした女が口を開いた瞬間、その言葉を飲み込ませるように勢いよく噛み付いた。支えた後頭部に添えた指先に絡みつく髪の毛が風に舞う。ぴったりくっついとった距離をほんの少しだけ離した瞬間に漏れ出す白い空気はどちらのものかなんてわからない。
バラバラの体がもう一度重なって、バラバラの場所から吐き出された空気が交ざりあって夜に溶ける。試合が終わって、今年度が終わって、メンバーが変わったって、バラバラになんてならん何かもあるんやないかなんて、重なり合ってふわふわ泳いで消えていくその白く曖昧なもんを見ながらそんなことを思った。
こいつと変な関係になってからまだ間もない1月の始め。俺の中の何かが動きだした日。