あの子が来たのは、凍える雪の日だった。妻の兄夫婦が馬車の事故で亡くなり、乳母に預けられていた乳飲み子が遺された。妻は体質的な問題から、子は望めないと医者に言われていた為、私たちはあの子を喜んで引き取った。
「今日から貴方はうちの子よ」
 そう言いながら襁褓にくるまれた赤ん坊に頬ずりする妻ごと抱きしめると、あの子は嬉しげに笑って私の顔に手を伸ばした。ぷくぷくと小さなてのひらは温かく、私は愛しさが込み上げるのを抑えられなかった。
「やあ、ダルタニアン」
 私はその手に指を差しだし、それを短い指が意外な強さで握るのに感動した。
「それにしても、なぜ男の子の名前を?」
「この子が生まれる前に、お義姉さんが夢を見たのですって」
 義姉の夢に美しい女性が現れ、こう言ったそうだ。生まれてくる子供には、ダルタニアンと名付けて欲しい、どんな困難に遭っても前を向いて乗り越えていけるように、と。
「この子は天使に守られているのかも知れないわね」
「ああ……」
 生き残った赤子を、妻は愛しげに揺すった。
 それがやがて運命の歪みを――私の娘という事が、彼女を不幸に巻き込んでしまうことを私はまだ知らなかった。



 冬休みが終わり、私は学園に戻った。
「お帰りなさい。休暇はどうでしたか?」
「ああ。すばらしかったよ」
 私は荷物の中から、妻とダルタニアンを描いた新しい肖像画を取り出して飾った。
 それを目にした途端、トレヴィルの表情が変わった。
「子どもが生まれたんですか?」
「ああ。可愛い子だろう?」
 身内の事ということもあり、私は彼に詳しいことを話さなかった。これは妻と決めたことだが、あの子が大きくなって辛い思いをしないように、対外的には妻が生んだことにしていた。その方が何かと都合が良かったし、そう思う事で私たちも一層あの子に対する愛情を強めた。
 ただ単にそれだけの事だったが、思い返せばあの時の彼の目は尋常ではなかった。彼は黙って肖像画を手に取ると、食い入るように見詰めていた。
「トレヴィル?」
 呼ぶと、彼はいつも通りの気安い笑みで振り返った。
「子どもが生まれたなら、もっと早く教えて下さいよ。名前はなんと言うんです?」
「ダルタニアンだ」
 その瞬間の彼の笑顔を、私は忘れる事が出来ない。
「ダルタニアン」
 噛み締めるように、彼はその名を繰り返した。
 まるで長年追い求め、夢にまで見た極上の美酒を手に入れたように、その響きは甘かった。うっとりと、酔ったように彼は肖像画に見入った。
「早速お祝いをしなくては。ありがとう、カステルモール」
「おいおい、礼を言うのはこっちの方だろう」
「そうでしたね」
 トレヴィルはかつて無いほどの上機嫌で言うと、愛おしいほどの目で肖像画のあの子を撫でた。
「ダルタニアン……やっと」
 その先の呟きは、小さくて私には聞き取れなかった。
 喜ぶ彼の態度に、些か奇妙なものを感じたものの、それは新学期が始まる忙しさに紛れ、いつしか忘れ去られた。



 妻が懐妊したのを知ったのは、そのすぐ後だった。春を告げる駒鳥と共に舞い込んできた嬉しい知らせに、私は歓喜した。ダルタニアンのことは勿論愛していたが、自分の血を継ぐ子どもはまた別格だ。前回の事もあり、私は喜び勇んでこのことをトレヴィルに伝えたが、彼の反応は淡泊なものだった。ダルタニアンの時にはあんなに喜んでくれたのに、まるで興味がないという風に。
 私は違和感を感じたが、自身の幸福感に酔っていたのでさして気にも留めなかった。ダルタニアンを引き取って以来仕事を辞めた妻に代わって、しっかり稼がなくてはという思いもあり、私は仕事に打ち込んだ。何もかもが順調に進んでいるように思えた。
 しかし、いよいよ腹が大きくなりだした頃から、妻が奇妙な事を言い出した。
「窓の外から、誰かが見ている気がする」
 妊娠中は神経が過敏になると知り合い達から聞いていた私は、妻の訴えに真面目に取り合わなかった。妻は美しかったし、昔の仕事のつてを辿ってやってくる訪問者も多かった。ある時、その中の一人が連れてきたイギリスの自称霊媒師がこんな事を言った。
「その腹の赤子は呪われている。今すぐに堕ろした方がいい。さもなければ捻れた運命が貴方とその子をも殺すだろう」
 霊媒師は、ゆりかごで寝ていたダルタニアンを指さした。私は憤慨して、その女を叩き出した。
 私は天文学者だが、占い師ではない。勿論、星の神秘を感じなければ、この学問を志したりはしないのだが、それをイギリス人の無節操なオカルト好きと一緒にされては困る。
 その事を話すと、トレヴィルは薄いくちびるを歪めた。
「遙かな昔から、星々の運行には未来や運命が隠されている。それを読み解き、人々に説き明かすのが天文学なら、天文学者はいわば預言者だ」
「だとすると、彼女はさしずめトロイの女占い師というところか?」
「あるいは魔女か。もっとも、魔女なら悪魔と契約して人を惑わすためにそう言うのかもしれないけれどね」
 悪魔。
 何気なく言われた単語に、私はなぜだか不安を覚えた。


 その予感を裏付けるように、その年の冬、生まれた赤ん坊の鎖骨には奇妙な痣がついていた。赤ん坊の白い肌に烙印のように赤く浮き上がるそれは、今は無きブルボン王朝の百合の刻印に似ていた。日が経つに連れ、それは薄く、赤から薄い灰色へと変化していったが、私の不安は消えなかった。
 妻の反対を押し切り、私はその子を人伝に養子に出した。パリでブティックを開いている若夫婦に引き取られたと、風の噂に聞いた。
 知り合いには、妻が産んだ子は死産だったと伝えた。
 トレヴィルは尋ねもしなかった。




 


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