「初めまして。芸術の教師として赴任したトレヴィルです」
 差し出された手を握った瞬間、奇妙な悪寒が私の背に走った。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。私の名はカステルモール。天文学を担当している」
「お会いできて光栄です。カステルモール先生」
 極上の葡萄酒の様な美しい瞳に見詰め返され、私は内心の動揺を押し隠した。
 シュバリエ学園で教鞭を執るようになって、五年目の秋だった。
 肺の病を患って退職した老齢の芸術教師の代わりにやってきた彼は、まだ学生と言っても通りそうな若さだった。繊細な外見に反して気さくな性格らしく、前任者の気難しい性質に些か辟易していた私は、気の合いそうな年下の同僚が出来たことを純粋に喜んだ。
「そちらは奥様ですか」
「ああ」
 しばらく雑談した後、彼はローボードに置かれた肖像画を指さした。
「お綺麗な方ですね」
「ありがとう。実は、今年結婚したばかりでね」
 妻は裕福な商家のひとり娘で、私とは恋愛結婚だった。彼女は私が赴任した年の銃士隊の副隊長で、生徒達の憧れの的だった。そんな彼女が、一回り近く年上の新米教師などに入れ込んだものだから、大変な騒ぎになった。
 当時の私はやっと掴んだ就職口を守ることに必死で、彼女の求愛を受け容れるなどもっての他だった。学生にありがちな、年上の男性への憧れによる一時的な感情だと思っていたこともある。だが、彼女の猛烈なアタックは卒業後も続き、五年に及ぶ奮闘の末、私は観念して彼女の手を取るに至った。それが半年前のことだ。
「では、奥様もこの島に?」
「いや。この島は不便だからね。今は実家の商売を手伝っているよ。その代わり、休みには必ず帰るとにしている」
「新婚なのに、大変ですね」
 揶揄うような彼の視線に、私は控えめに微笑した。



 トレヴィルは度々、私の部屋を訪れた。彼は天文学についての造詣が深く、私たちは星図の解釈についてよく議論した。
 議論は放課後に止まらず、深夜に及ぶ時もあった。そう言うときは大抵パトリックを交えて酒を呑みながらの雑談に変わっていった。
 酒の合間の冗談に、私は何度か彼に言った事がある。
「それほどまでに詳しいなら、私が休みの時に代わりに授業をしてもらおうか?」
「またまた。私のは趣味止まりですから、他人に教えるのには向きませんよ」
 到底趣味止まりの知識では無かったが、そこは立ち入って聞くような雰囲気ではなく、私は黙って酒杯を傾けた。
「趣味…というより、ライフワークと言った方がいいかも知れません」
 真夜中のエトワールの降るような冬の星空を眺めながら、彼は独り言のように呟いた。その真紅の瞳が見詰める先はあまりに遠く、私は一瞬、彼がひどく年老いた男のように見えた。普段から、彼には年齢にそぐわぬ老獪さが見え隠れする事があったが、この時ほど彼が別人のように見えたことはない。
 過ぎ去った情熱を再び取り戻そうとする執念のようなものが、その双眸に暗く燃えていた。




 


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