a man of his word.1 穏やかに細められていた目が、見る間に険しくなっていく。老爺はゆっくりと踵を返したかと思えば、改めてこちらを振り向いた。 じわじわと重くなる、彼から発せられる『もの』。そこに、怒りの滲んだものが混ざっていることに気付くことは、そう難しいことでもなかった。 「もう一度、言うてみよ」 どすの利いた声にも、彼は恐れることなく口を開く。 「脱獄した朽木ルキア九番隊副隊長は、恐らく現世だと思われる。ゆえに、再度捕えること、難しくはありますまい。そこで、日番谷先遣隊を現世に送り込むことを、許していただきたい」 「何故日番谷先遣隊を送り込む? 罪人の捕獲は隠密機動に命じる。そなたらは、破面の奇襲に対応すべく、待機じゃ」 睨まれ、念を押すように、 「良いな?」 しかし白哉は、かすかに息を吐くと、常時帯刀許可がおりているゆえに腰帯にささる、斬魄刀の柄に、手を添えた。 元柳斎が、ピクリと反応する。 彼の、総隊長の前でのその行動は、まるで反逆か何かを匂わせるかのようなものだった。 「成程。よほど私のいうことは信用できぬと見える。……いつの間に、周囲をこのような警備で固めたのか」 目を巡らせなくとも、既に隠密機動第三部隊・檻理隊が控えていることは、微量の霊圧ですぐに気付くことができた。言うまでもなく、今ここにいる自らを罰するためにいるのだろう。既にいたという時点で、白哉が対面を申し出たときには、謀反らしきことを口にすることは目に見えていたようだ。 「朽木白哉。ぬしは、一人、儂に交渉をしてきた。では、肝心の日番谷先遣隊は、今――」 「総隊長」 白哉は、一歩さがる。斬魄刀を抜くと同時に、 「私はこれを、是とする」 瞬歩で消える。伴い、周囲にいた檻理隊が、慌ただしく動き始めた。しかし何人かは、言葉もなく倒れこんでしまう。あの白哉が、こうも突然行動に移すとは思わず、油断していた結果といえた。 「総隊長っ」 遅れて入ってきた雀部に、元柳斎は言った。 「雀部。――――警鐘を」 * * * 手慣れた様子で再び一匹の虚を昇華する。そこへ、「一護!」と呼びながら長髪を揺らして、ルキアが走ってきた。 「朽木」 目を丸くし、軽く手を挙げて見せている彼に少し脱力しながらも、睨みつける。しかし、その眼力にも僅かにまだ眠気が宿っていた。起きてすぐにクロサキ医院を飛び出してきたのだろう。 「驚くではないか、勝手に一人で外に行きおって!」 斬月を肩に担ぎ、一護は顔を顰めた。 「だーかーらー、今更逃げたりしねーっての。何処まで俺はお前らから信用ねえんだ?」 「たわけ。昨日の今日だぞ。貴様の身を案じてやったのではないか!」 「その割にがっつり寝てたけどな」 「一護!」 「あー、めんどくせぇな。ごめんって。ありがとうございますー」 まったく、と起った素振りを見せる彼女だが、顔はとても穏やかで、かすかに微笑んでさえいる。虚退治を当たり前のようにしているこの破面が、どうしようもなく眩しかった。 「……何か思い出したか?」 一護が斬月を背に収めると、その刀身には、シュルシュルと蛇のように晒布が巻き付いた。目を伏せ、小さく首を横に振った。 「悪りぃ」 「謝るな。謝ったら思い出せるのか?」 言葉を返せず、一護は澄み切った朝空を見上げ、目を細めた。 「……やっぱりさ。わかんねえことだらけなのは、変わらねえ」 静かな彼の口調に、表情を曇らせる。 「……まだ、信じられぬか? 己が……」 「違う。そうじゃねーんだ」 疼く仮面に触れる。本来は、この仮面はあってはならないのだ。どんなになじみ深いように思えても、どんなに自分の体の一部のように感じられても。これは、本当の自分にとっては、幻と同じものだ。 「俺、覚悟はちゃんとしてた。でも、それでもまだ捨てられねえんだ。破面の自分を」 季節の順番は変わらない。もうすぐ夏がやってくる。しかし、早朝の風はとても冷たく感じられる。 「ガレットもユウもティファニーも……やっぱり、俺の大事な仲間なんだ。バートンだってそうだし……凄げぇ、信じてた。あいつらのこと」 でも、と続ける。 「本当はもう……信じたくねえんだ、あいつらのこと。心からそう思うのに、それでも俺はまだ、あいつらにすがってる」 近所の植物が、風に煽られて揺れている。葉が、乾いた声で鳴いている。 「たぶん、それは俺が、全部の記憶を失って、全然前とは違う視点をもってるからだ。わかってても、当然しんどいし……何で俺だけがこんな目に・って、俺自身の現状を嘆いたりもした」 正面のルキアを、まっすぐに見つめた。 彼女と自分とは、正反対の色の服を身にまとっている。死神と破面。相対する存在。しかし、己のいるべき場所は白ではない。黒だ。死神の側なのだ。 「不思議なもんでさ? 全然思い出してねえのに、遊子と夏梨だけは、初めて会ったときから何が何でも護らなきゃ・って思ったんだ。俺の記憶をたどるとすれば、人間と接したことなんかないはずなのに。それで、そのあたりから思ったんだよな」 少しずつ、彼らの影がのびる。太陽が、町の最果てからやっと姿を現そうとしている。 「俺は思い出さなきゃいけないって。破面じゃねえ、本当の俺を」 迷いない言葉が、胸に響く。 ルキアは美しく笑んでみせ、オレンジ色の髪をした青年を見上げた。 「お前ならできる、一護。私たちも、力になる」 彼は瞳を瞬かせた。死神が、軽く胸を反らして腕組みをする。 「尸魂界のことなら気にするな。私たちはもう今更、命令など聞かぬ。尸魂界が貴様を殺しに来ても、私たちが護る」 ふっ、と。息を吐いてすぐ、一護は口角を吊り上げた。 「ありがとな」 徐に差し出された手を、ルキアはしっかりと握り返した。 * * * 空に、桜色の刃が合図のようにして舞ったのは、けたたましい警鐘が鳴り響くよりも少し早い時間だった。見るやいなや、彼らは全力で駆け出す。 「ちっ、やっぱりダメだったか……!」 走りながら呟く日番谷の傍らを、乱菊が駆ける。 「朽木隊長なら総隊長を口説き落とせるかと思いましたけどねー」 「なんだ口説き落とすって? ……まあ、ほとんどこうなることを予想しての準備だけどな」 すると、瞬歩で目の前に、多数の隊士が現れる。 「日番谷隊長、松本副隊長!」 「お戻りください!」 口々に言う彼らに、迷うことなく接近する。 「縛道の四、“這縄”!」 乱菊の腕を這うように流れて放たれた光の縄は、簡単に隊士達を縛り上げる。喚く彼らの間を、容易に駆け抜けた。 言葉での説得は無理だと判断したのだろう。再び二人の前に立ちふさがった席官の隊士達は、日番谷と乱菊に向け、滅茶苦茶に“赤火砲”や“蒼火墜”、“白雷”を打ち込んでいく。 しかし、二人の方は彼らを傷つける気は毛頭なく、今度は日番谷が走りつつ、手を構えた。 「縛道の六十――」 「『弾け! “飛梅”!!』」 彼の言葉を遮った叫び声とともに、空から火の玉が降ってきて、大量の鬼道は二人にぶつけられる前に、たった一つで相殺されてしまう。 「雛森!?」 目の前に降り立った彼女は、始解した斬魄刀・飛梅を携えて、隊士達に視線を向ける。 「雛森、あんた、どうして!」 「乱菊さんが提案してくれたものはもう準備ができてます。大丈夫、ちゃんと上手くいきます」 不敵に笑って見せ、日番谷に転じる。 「ここはあたしがなんとかするから、日番谷くんたちは早く穿界門に!」 「だが……」 七支刀のような形の飛梅を構えた。 「隊長命令。例のものの準備が終わった後のあたしの役目は、鬼道の使い手の死神をおさえることだから」 夜光は、前者の役割を彼女に担わせることにも逡巡していた。そこからさらに新たな役目を担わせることをするとは思えない。多分、雛森が詰ってきて、やむを得ずといったところだろう。あるいは、五番隊内での分裂を避けるために、あえて五番隊の隊長と副隊長に同じような行動を起こさせたのかもしれない。 「悪い……頼むぞ」 「気をつけなさいね、雛森」 彼女が深くうなずくと、二人は再び走り始めた。やはり隊士は、その行く手を阻もうとしているので、 「縛道の六十二、“百歩欄干”!」 純白の光で形成された複数の棒が彼女の手に現れる。二人が通るための道だけを避けて、沢山の光の棒を飛ばし、突き立てていくことで隊士の動きを封じ込める。 彼らの顔が、つい引き攣る。五番隊副隊長が鬼道の達人であることと、その相手をして到底勝ち目のないことは、誰もが知る事実であった。 二人においてとにかく要領が悪く、ここまで普通に走ってこれている方が奇跡に近い。十一番隊の隊士に囲まれたときは、まさかの一角の“ツキツキの舞”で抜け出すことに成功したのだ。あまりの滑稽さに白い眼を向けてきた隊士達に、一角は何かと抗議しようとしたが、「そんなことしてる暇ないでしょ」と弓親に窘められた。しかし、 「うおっ!?」 「うわっ……!」 目の前に降ってきた、巨大な影。 「よう」 さすがに、奇跡ももう起きないだろう。「この男」が、現れれば。 「隊長……!」 「はは……今回は、道、迷わなかったんですね……」 更木剣八は、鬼の形相のまま、軽く頭を掻く。 「テメーらもグルかよ。何やってんだ?」 「………一護の野郎をひっぱたいて、目、覚まさせてきますよ」 一角が笑う。弓親が肩を竦めた。 「彼のこと、尸魂界(こっち)より現世(あっち)の方が色々分かりそうですしね。で、日番谷先遣隊の僕たちが行くことになったんです」 刃毀れした自らの名もなき斬魄刀の峰で、自分の右肩をトントンと叩く。 「だが、爺さんの許可は得られなかったんだろ?」 「そーだよつるりん! 剣ちゃんまでヒッツー達捕まえるためにさっき呼ばれて、大変だったんだよ!」 剣八の左肩から顔を出したのは、言うまでもなくやちるだ。 瞬歩で突っ切ろうと、一角と弓親は足に力を込め、揃って前傾姿勢になった。彼との言葉のやりとりは無駄であることは、初めから分かっている。 「すみません、隊長」 「通してください」 真っ直ぐにこちらを見つめ、前傾姿勢を保つ二人を順に見、 「……なんだ。久しぶりに、オメーら良い目してんじゃねぇか」 ニヤリ、と笑う剣八に、長くついてきている二人の頭の中で、危険信号が点滅する。これは、まずい。 「いいぜ。通れよ。ただし……」 霊圧が、一気に跳ね上がる。一角と弓親は、顔を顰めた。 「その前に、俺と殺し合いをしようじゃねえか!!!」 今回は、ふざけている場合ではない。事実を述べるしかない。 剣八と殺し合い = 死。 「……やるしか、ねーか」 呟いて、一角は刀を抜く。弓親も倣って抜いた。 彼らが睨み合いを始め、やちるが剣八の背中から離れ、双方が動き出そうとしたその時。ヒラリ、とピンク色のものが、視界に舞い込んだ。 「なっ……!」 「一角、こっち!!」 弓親が腕を引っ張り、脇にそれた瞬間、そこにピンク色の波が押し寄せた。 暫し呆けた二人だったが、はっと我に返ると、弓親は立ち上がった。 「一角、行こう。今のうちに」 「……はあ」 頷くかわりに、浅い溜息をよこした一角に、彼は呆れたようにかすかに首を振った。 わかっていた。彼が今、何を考えて吐息を漏らしたのか。 言うまでもないが、彼らは十一番隊三席と五席。あの荒くれ者の中、常に剣八の後ろを歩こうと、他の隊士には疎まれない上位席官なのだ。その死神が、焦ろうが恐れようが、当然、隊長と相対した際には、こう思う。 ――斬り合いたい、と。 それは、更木隊にいる以上は誰もが抱く自明のもの。彼らは戦いをこよなく愛した。“喧嘩に負けたときは死ぬときである”。それさえも、最早誇りに近い形で胸に秘めた。 だから、憂鬱にならざるを得ないのだ。 今、彼らは、一時の混乱に乗じて逃げ出す。そうしないと、計画は全て水泡に帰す。とはいえ、この行為は、言わずもがななタブー。十一番隊として、恥じて当然だ。 「……ツイてねえ……」 呟いて、走り出した。 ピンク色の刃を、力だけで振るった斬魄刀が追い払う。顔を上げてみると、そこには相変わらずの無表情で、六番隊隊長が立っていた。 「驚いたな。まさか、あんたから俺に喧嘩を売ってくるとは思わなかったぜ」 嗜虐的な笑みを浮かべる鬼を黙視する間に、彼の周囲にはピンク色の波――斬魄刀・千本桜が集まる。 「聞いたぜ。お前、爺さんと直接掛け合ったんだろ? それで今、こんだけの騒ぎになってるらしいな」 「私は己の心に従ったまでだ。恥とは思わぬ」 「さあな。俺は、んなことはどうでもいいんだ。朽木白哉」 斬魄刀の切っ先を、白哉に向ける。 「俺と、殺し合いをしに来たんだろ?」 無感情な目で見返し、わずかに霊圧を上げる。気付いた剣八は、笑んで上がっていた口角をさらに吊り上げた。 「兄と殺し合いをするほど、私は暇ではない」 「お前から喧嘩を売ったんじゃねえか。固いこと言うなよ」 「喧嘩を売ったのではない。ただ、我々の邪魔をしていたがゆえに、排除しようとしただけのことだ」 隊首羽織が揺れる。あくまで静かな白哉の瞳が、少しでも剣呑に帯びていることに気付いた剣八は、柄を握りなおした。 「お前と殺り合うのは、四年ぶりだな」 「三日ぶりだよ、剣ちゃん」 いつから再び背中にとびついていたのか、やちるは剣八の耳を引っ張る。 「口喧嘩はカウントしねーよ」 「嘘つきはダメだよ剣ちゃん! びゃっくんの家一部壊したくせに!」 「あれは喧嘩じゃなくて事故だ」 ピク、と白哉の眉が動く。 「……そうか。離れを壊したのは兄であったか……」 余談であるが、三日ほど前、剣八と白哉は、破面と化した一護のことについて論争となった。内容は大したものではないのだが、ルキアの悪口(剣八はごく普通に一護を探しに行った恋次を、「一護の場合、なんだかんだでどうせ戻ってくるのだから探しに行くのは阿呆だ」と口にしただけなのだが、白哉の耳には同行しているルキアへの悪口にしか聞こえなかった様子)に対して怒った白哉が刀を抜いた。無論大喜びした剣八は彼と刀を交えたわけなのだが、ある約束の時間となった白哉は早々に退散(志波空鶴の家へ赴いたときである)。その後、いずこへといなくなった白哉を捜し求め、剣八はあぶりだそうととりあえず、朽木邸に向けて刀を振るったところ、力みすぎて離れが一つ崩壊したのであった。ちなみに、この四年で剣八は一体何を学んだのか、後ろめたいことが起きても後ろめたくないことが起きても、とりあえず残留霊圧は綺麗に消していくという技を身につけていたため、流魂街から戻ってきた白哉は犯人もわからず絶句する羽目になった。修理費用は数百万にものぼる。 霊圧に怒りを滲ませた白哉に、「お?」と剣八が刀を構える。 「そういえば、ルキアのこともまだ話はついていなかったな……」 剣八を睨みつけた。 「そのことは正直俺よくわかんねえから、とりあえず戦えばいいってことだろう!? なあ! 朽木白哉!!!」 二人の隊長が、よくわからない理由で、激突した。 白哉と剣八が刀を交えるのを、遠くから眺めていた檜佐木の後ろに、一人の死神が佇む。 「……行かぬのか?」 声と霊圧ですぐに誰か分かった檜佐木は、少し肩をすぼめる。 「おぬしにも、出ておるだろう? 元柳斎殿の命令が」 「出てはいますけどね。そういう貴方も、行かないんですか? 狛村隊長」 言われて、狛村はどこか困った様子で小さく唸る。 「……動かねばとは、思うのだが」 「動きたくない、でしょ? 俺もです」 「儂は、元柳斎殿に忠誠を誓ったはず……なのだがな」 自嘲気味に笑った。 かつて、ルキアの処刑に関する事件が起きたときも、狛村は言っていた。皆が何が正しいのかわからないと喚く中、「元柳斎の言うことならば死すらも是である」と、断言していた。しかし、どうしてか今回、他でもない総隊長の命令であるにも関わらず、動くことのできない自分がいた。 「更木隊長はともかく、みんな、変な気持ちで動いてるみたいですよ」 本当は、檜佐木もちゃんと、動こうとした。変な気持ちでも、総隊長の命令は絶対だからだ。しかし、彼はそれよりも、自身の中にある正義に従うことを選んだ。いつであったか、東仙要に教えてもらったように。 「では、儂らもまた、朽木隊長らと同じ立場か……」 「わかりませんけど、少なくとも、尸魂界側ではないのかもしれません」 ようやく振り返った檜佐木は、あれ、と目を丸くする。 あまり予想していない反応に、狛村も小首をかしげた。 「……どうした?」 「射場さん、いないんですか? こういう緊急事態のときはいつもいるじゃないですか、一緒に」 「……鉄左衛門は昨日、瑠璃谷隊長のもとへ行って、少し話をしてきたようだ。……あやつの忠誠心には驚く。正直に儂に言いに来た」 『すいやせん、狛村隊長……! 明日、恐らく何か起こるやもしれやせんが……儂は、総隊長がもし、長としての命令を下した際……総隊長には、従えやせん……! すいやせん!』 何度も狛村の前で土下座をする射場を、不快には思わなかった。しかし、同時に、狛村は己の副隊長を羨ましく思った。迷いなく自分に従うことのできる強さをもっている、射場を。 「俺、もう朽木を連れ戻すのはいいかなって思ってます」 檜佐木は、ルキアの脱獄に手を貸した死神を探すことに躍起になっていたが、それも数日間の話だ。次第に、自分が愚かに思えてきた。今は脱獄に手を貸したのが誰であろうと、どうでもよかった。ただ、九番隊の副隊長が、再び無事な姿で自分の前にまた、戻ってきてくれることを何より願っていた。 「総隊長の命令には従わない。だけどあいつらの手助けもしない。俺は、状況がはっきりするまで、傍観者でいいです」 不思議な物言いに、狛村が彼を見つめる。 言わずとも何を聞かれているのかすぐにわかった檜佐木は、言葉を続ける。 「総隊長が、『黒崎一護の救出』に命令を変えない限り、俺は今回動きません。もう九番隊の奴らにも、そう指示しました。責任は全部俺が被るって言って」 改めて、狛村と視線を合わせる。金色の目が、驚いたように見開かれていた。 「狛村隊長も、本当はそう考えてるんじゃないですか?」 一番隊隊舎を出たところから、瀞霊廷を見つめていた元柳斎は、杖をもつ手に力を込めた。 どうして、こうなる。 苛立ちから、つい舌打ちをしそうになる。どうやら、彼らの動きを止めるべく奔走している死神たちは、悉く何かしらの妨害にあっているらしい。霊圧は忙しなく動き回っている。尸魂界の平穏を乱すことがあってはならない。やむなく、元柳斎は自らの手でこの状況を収束させようと考えた。 一歩足を踏み出して、止まった。元柳斎が、ゆるゆると顔を上げる。 その視線は、一番隊集会場への渡り廊下を支える、丹塗りの太い柱に注がれている。 「……春水か」 一拍遅れて、柱の陰から姿を現したのは、案の定、八番隊隊長・京楽春水だった。 「さすがだねぇ。すぐにバレちゃった」 「そこで何をしておる。日番谷先遣隊に組み込まれている死神を捕えよと命令を出したはずじゃ」 京楽は、おどけたように肩を竦める。 「いやね? ちょっと思ったことがあるから、山じいに聞きにきただけなんだけど」 二人の間には一定の距離が保たれている。どちらからも、距離をつめようとはしない。 「……言うてみよ」 編み笠に手を触れ、わずかに前におろすと、目元が全く見えなくなる。それは表情を読み取られることを恐れてのものかもしれないが、こういった所作は常日頃京楽が行っているものなので、わからない。 「日番谷隊長がどれだけ慎重な死神か、山じいもわかってるでしょ? きっと、今回のことも考えがあってのことなんじゃないかなぁと思って」 「だからといって命令に背いて良いということにはならぬ」 「自分の正義を貫けっていう教えは、もともと山じいのものじゃない」 五年前。ルキアの処刑を妨害したときに相対して、京楽が言ったものと同じだ。ならばあのときと同じように返そう、と元柳斎は口を開く。 「世界の正義を蔑ろにしてよいと言った覚えはない」 「でも世界の正義が正しいものだとは限らないのさ。そう思わない? 山じい」 「戯けるな」 周囲の空気が、びりびりと振動する。一般隊士であったなら、既に泡をふいて倒れているところだろう。元柳斎の霊圧は静かに高まっていた。 「退け、春水」 「どこに行くの」 「儂の手で日番谷先遣隊を捕える」 「じゃあダメだ」 軽い口調であるにも関わらず、京楽からは殺意と似たものが流れ出る。 「そういう用件なら、僕は退けないよ」 「ならば退かすまでじゃ」 杖が姿を失い、中から斬魄刀・流刃若火が姿を現す。柄を握った。 「今一度言う。退け、春水」 しかし、京楽は何も答えず、ただ溜息を吐いて、己の斬魄刀・花天狂骨を抜いた。 どうして、こうなる。 元柳斎は目を伏せ、斬魄刀の解号を紡いだ。 雛森の助けもあって、二人は以降それほど手間取ることもなく、着実に穿界門に近づいていた。日番谷にしろ乱菊にしろ、もともと戦うつもりはそれほどないので、斬魄刀はほとんど抜いていない。 「意外とあっさりですね。総隊長が来たらどうしようとか、思ってたんですけど」 「どうやら、知らねえとこにも力を貸してくれる奴がいたみてぇだな」 走りつつ、日番谷はちらりと一番隊隊舎の方に目を向けた。遠目でもわかる、強大な炎が広がっている。視線を前に戻した。 「兎に角、長居は無用だ。急ぐぞ」 言ってすぐ、二人の表情に緊張が走った。 素早く視線を巡らすと、屋根の上を疾走する砕蜂が視界に入る。そのスピードは異常だった。 「砕蜂……!」 瓦屋根を蹴って、砕蜂は日番谷と乱菊の前に降り立った。仕方なく二人は立ち止まる。 「日番谷、松本。総隊長のご命令だ。大人しくしろ」 冷たい声に、一瞬、身が竦む。しかし、こうなることも想定はしていた。 「残念だが、その話にはのれねーな!」 「だろうな。刑軍も黒崎一護のおかげで全く機能がしない。そんなタイミングでこのような行動を起こすとは、護廷十三隊にも落ちぶれたものがいたものだ」 にこりともせずに言い放つ彼女もまた、どこか複雑そうな表情をしている。 砕蜂が、斬魄刀の柄に手をかけた。そして、 「“剣舞”」 彼女の鼓膜をその言葉が震わせたのと抜いたのは、同時だった。 振り向きざまに激しく振るわれる斬魄刀・雀蜂は、キンキンと音を立てて星陰冠を全て受け流した。砕蜂がそらを睨みつけて数秒、じわじわと、そこに溶けていた彼女の姿が現れ始める。“曲光”の持続時間が切れたのだ。 「すごいなぁ。全部止められるとは思わなかった」 「……やはりな」 悪びれた様子もなく、始解した星陰冠を握りしめた夜光に、砕蜂は溜息を吐いた。 「朽木ルキアを脱獄させたのも、お前だな」 「そうだよ」 「雛森も、だな」 「いーや、あの子はあたしが、無理矢理手伝わせたの。見逃したげてよ」 「それを決めるのは総隊長か四十六室だ」 夜光はこめかみを掻いた。 同じことを、恋次に言ったことがあるなと思い出し、成程なんて不愉快な言葉だろうと思った。 斬魄刀を水平に構え、そのまま両手を頭上に持っていく。紫に染め上げられた星陰冠が、淡い色を仄かにに吐き出し、明滅を繰り返す。 「夜光!」 乱菊に叫ばれ、頷く。 「わかってる!」 刀の周りを謎の文様が躍る。 光の粒が刀からこぼれ、順にそれらは夜光のもとを離れて、砕蜂の周りで円を描き始める。 「“流天星”」 そう言葉が紡がれたと同時に、爆発的な霊力が一気に解放され、つい先ほどまで蛍さながらであった光の一つ一つが牙を剥き、砕蜂の上から滝のような具合で襲い掛かった。 「すごい……!」 乱菊が呟く。ところが、そこに出来上がっていた光の滝の中から、白い光が漏れていることに気付く。夜光は、ギクリと顔を強張らせた。知っている。この光は――瞬閧だ。 そして、瞬時に“流天星”は霧散した。のこったのは、死覇装の肩部分が弾け飛び刑戦装束となった砕蜂だった。強大な霊圧を身にまとった彼女は、卍解状態同等の力を有していると言っても、過言ではない。 「……瑠璃谷。卍解はしないのか?」 刀の柄を握り直し、明らかに始解のまま砕蜂を止めようとしている夜光が、この瞬間においては残念ながら滑稽だった。 「お前は、全ての能力において私に劣る」 「知ってる」 彼女が端的に答えを返した。 愛想も無駄話もなく、このように返すときは、夜光が怒っているときか、機嫌が悪いとき。あるいは、本気であるときだけた。 砕蜂は、夜光がしばしば下を見ていることから、日番谷らが穿界門まで行くのを待っていることに気付いていた。 (足止めさえできればいい、ということか) また莫迦な奴がいたものだ、と思った。日番谷先遣隊のメンバーが、現世に赴くべく穿界門へと向かっていることはわかっている。しかし、手助けをした死神は一体そのあと、どうするのだろうか。脅されて仕方なく協力した、などと言えたわけがない。甘んじて罰を受ける単なる日番谷達の捨て駒なのか。どう考えても、このまま瀞霊廷にいることなど、牢屋に入る以外にできるはずがない。 そのとき、星陰冠が鈍く光るのを目にする。 「『踊れ! “星陰冠”』!!」 振るわれた刀身から、2000の光の針が噴き出す。 しかし、それが通って行ったときには、砕蜂の姿はなかった。いや、あったとは言えるかもしれないが、あったのは彼女の残像だ。 背後に、気配を感じた。振り向く暇もない。また、日番谷と乱菊を視界の端にとらえた。二人は足を止め、こちらを見上げていた。緊張した面持ちだった。時が妙に、遅く流れていた。 「はあ!!」 気合いの一声と、強烈な打撃が、夜光の背中を襲った。 「――――っ……?」 世界がまわる。何が起きたのか、判断できない。まとわりついてくる強い風に、自分が落下している事実には気付いた。 そこに瞬歩で乱菊が現れ、小柄な彼女を受け止める。 「夜光!! 大丈夫!?」 「……、………」 小さく唇は動くが、夜光の声はそこから発せられない。しかし、何を言っているのかはわかる。 どうせ、“大丈夫”と言っているのだ。 「……?」 砕蜂が眉間に皺をよせ、抱きかかえられている夜光を見下ろした。 「『“氷輪丸”』!!!」 氷の飛龍が、乱菊、夜光と自分の間を、まるで目隠しをするかのように通っていく。ほんの一瞬、されど一瞬。その龍が通過している間に、日番谷と乱菊、夜光の姿は、何処へと消えていた。 「ちっ……!」 足に力をこめかかり、慌ててやめた。 正面に突如現れた彼女を目にして、反射的に走ることに対する急ブレーキがかかったのだ。 「相変わらずじゃのう、砕蜂」 「夜一様……!」 黒い肌の女性は白い歯を見せて笑った。 「命令に忠実じゃな、おぬしは」 軽い口調で言われたにも関わらず、砕蜂は言葉を詰まらせた。妙に、呆れのようなものを滲ませた声であったような気がした。「自分で考えては動かないのか」と責められているような気分になってしまったのは、日頃から自分で考えているからか、あるいは本当に、夜一がそういった意図をもって口を開いたからか。 「おぬしは一護の処刑命令に関して、何も思わんか? 異論はないのか?」 「っ……」 歯を食いしばり、彼女は夜一を見返した。 「……夜一様、行かせてください」 「…………」 「私にはまだ何もわかりません。ですが、一つ確かなことは、総隊長殿が我々に命令を下しているということ。……日番谷達を、止めます」 「それがおぬしの考えか」 大きな瞳がただ、向けられてくる。 砕蜂は、ゆっくりと頷いた。すると、夜一は成程と肩を竦め、 「そうか。では、儂も儂の考えを貫くとしよう」 構えるのを見て、彼女は密かに、拳に力を込めた。 「おぬしを行かせはせん」 「何故ですか!」 怒鳴ったところで、夜一は何も表情を変えはしない。 「何故も何も、儂はただ信じたいだけじゃよ。一護をな」 「黒崎一護は我々に刀を向けたのです!」 「それがなんじゃ。あやつがどう動こうと、こちらが信じるかどうかはまた別の話じゃ。……おぬしも、そう思ってはおらぬのか? 砕蜂」 砕蜂の顔が、泣きそうに歪む。 夜光を抱え、乱菊は穿界門に向けて走りつつ、必死に声をかける。 「夜光、しっかりしなさい! 夜光!!」 しかし、彼女の瞳は堅く閉じられたままだ。 日番谷も、顔を顰める。まぐれだろうが、砕蜂が蹴りを放ったのは見事なまでに、夜光が大怪我をしているところだ。余命とまで言われている傷の上からあの打撃を受けては、激痛は避けられたものではない。 「隊長、このままじゃ……!」 「現世に行って、井上織姫の力を借りるしかない。それまではどうにか辛抱してもらうしかねえ」 「ですが……」 「たしかに現世に瑠璃谷を連れていく予定はなかった。だが、仕方ねえだろう」 予想しなかった事態ではあるが、逆を言うと予想できない事態でもなかった。そのことに今の今まで気付くことができなかったということは、 (俺も……焦ってるな) そして、ようやく穿界門の手前の広場にまでたどり着く。 周囲を見回すと、ちょうど、一角と弓親も駆けてきているところだった。彼らを順繰りに見回す。 「よし、全員いるな!?」 「あれ、瑠璃谷隊長……ですか、その子」 弓親が眉間に皺をよせ、首をかしげた。 「ちょっといろいろあってね。仕方ないから、瑠璃谷隊長もつれていくわ」 説明はまたあとで、と乱菊が言うと、一角と弓親は互いの顔を見合わせ、浅く頷く。そのとき、瀞霊廷の方から、壮大な爆発音が響いた。 「朽木隊長とかはいいんスか?」 一角の問いかけにも、乱菊はすぐ首肯した。 「今回助けてくれたみんなの、この後の行き場所もちゃんと確保してある」 瞬間、周囲から死神たちの声が聞こえていることに気付く。振り向けば、既に多くの死神に、穿界門周辺を取り囲まれていた。全員の掌がこちらに向けられており、日番谷たちが動くと同時に、鬼道を使って足止めをする様子だ。見たところ、一番隊の死神が総動員されているらしい。 「元々穿界門周辺に固めておいたわけだね……さすが、総隊長……」 弓親が頬を引きつらせる。 「ちっ! あと一歩だってのに!」 苛立たし気に舌打ちをして、一角が斬魄刀を抜く。が、その彼らの目の前に突如として降り立った死神がいた。死覇装のところどころが焼けこげたりしており、なかなかの戦闘を繰り広げたことは分かった。 「ごめん、ちょっと遅くなっちゃった」 疲れた顔で振り向く彼女に、日番谷は首を横に振った。 「大丈夫だ。頼めるか?」 「うん。……隊長は、大丈夫なの?」 「平気よ、雛森」 顔を曇らせた雛森だが、今心配してどうしようもなかった。頷いて、始解した飛梅を構える。 「雛森、いいか。お前はこの後、ちゃんと瑠璃谷の言っていたように動けよ」 「わかってるよ、シロちゃん」 「シロちゃん言うな!」 彼らは暫し沈黙し、そして、雛森が出し抜けに飛梅を持ち上げる。死神達が身構えた。彼女は斬魄刀を己の副官章の前にまで持っていき、小さく唇を動かす。 「――――『弾け』」 小さな火の玉が刀身に生まれ、ポンッ、と音を立てる。 すると、宙で点いたと思われていた火が、見えない糸に伝うように広がっていく。 「な……っ!?」 死神達の間に、動揺が広がる。 おお、と一角や弓親は、感嘆の声をあげた。これは、以前見たことがあった。記憶が正しければ、レプリカの空座町の上空で破面と戦ったときだ。鬼道の達人の彼女であるからこそできる、合わせ技。縛道の二十六番、“曲光”と、破道の十二番“伏火”。霊圧を蜘蛛の巣状に張り巡らせ、“曲光”で見えなくし、飛梅の力を加えて焼き尽くす。自身の斬魄刀の特徴もうまく生かしたもので、今の護廷十三隊に鬼道をここまで使いこなせる者はいないとみていい。 今回、霊圧は穿界門の周囲に張り巡らされていた。炎は大きくなり、少しずつ、火が穿界門を隠していく。 「日番谷くんたちが入ったら、“鏡門”で穿界門を火から守るから、早く!」 一発、死神達に威嚇の意味で“赤火砲”を放った雛森は、早口で言った。 彼らは一様にうなずき、日番谷は彼らを振り向いた。 「行くぞ!!!」 炎の間を抜け、日番谷先遣隊はとうとう、穿界門を通った。 仲間を、護るために。 前へ 次へ 目次 |