Strawberry demanded that Death should help him.9



「ぐっ!」
 白い鎧を纏った左腕・“悪魔の左腕(ブラソ・イスキエルダ・デル・ディアブロ)”による攻撃を翼で跳ね返され、それは使い手の彼の足元に炸裂した。翼によって威力が上がっていたためか、自分が放ったものより数倍の威力を有しているように感じられる。
 数歩後ずさるチャドの傍らにいた石田は、人間離れした跳躍を見せ、“銀嶺弧雀”を構えた。
「“光の雨(リヒト・レーゲン)”!」
 霊子で形成された矢を上空から放つが、鎧のような肌をもつ従獣にはかすり傷程度しか負わせることはできず、さらには牽制しているうちに超速再生されてしまう始末だ。
「ギゥアアアアッ!!!」
 空気が震えるような雄叫びをあげて、口を開く。綺麗に並んだ鋭い牙が露わになった。口内に、赤黒い光は集積されていく。戦っていて分かったことは、白い光よりもずっと、赤黒い光の方が強力であるということだ。身構えた二人だが、ずっと後方から椿鬼を用いて援護していた織姫が、慌てて走ってくると、花形のヘアピンをかざした。
「『椿鬼、火無菊、梅厳、リリィ! “四天抗盾”! 私は拒絶する!』」
 早口に言霊をのせると、無言で能力を解放した際よりも勢いよく、ピンから「攻撃」と「防御」の力をそれぞれ担う六花が現れる。彼等が、三人の正面に正四面体を生み出してすぐ、従獣による赤黒い光の閃光がぶつかった。
 揺らいじゃだめだ、と織姫は自身に言い聞かせる。絶対に跳ね返せる、と心の内で何度も念じる。すると、自然と彼女の能力は力を増し、より強い光を放つ。
 ところが、そこへ、もう一体の従獣が、全く同じ閃光を“四天抗盾”へと走らせた。ふいに強まった相手方の閃光の威力に、織姫は目を見開く。四面体に、亀裂が入る。思わず息を呑んだ瞬間、四面体の表面で一度拡散された閃光が、一層威力を上げて従獣へとうちかえした。が、
「きゃああっ!!」
「うわっ!?」
「むっ……!!」
同時に四面体は崩壊し、織姫や石田、チャドにも、多少となれど被害は及んだ。爆風に飛ばされた彼等は何度か川辺を転がり、地に伏したまま、二体の従獣を見上げる。爆煙が晴れた先に見たのは、これまでに彼等が与えてきた技よりは傷を負わせることができている、従獣であった。やはりあの強大な力をもつ閃光は、放つ側が受けても甚大な被害となるらしかった。
「あれだけの閃光を直に受けて……一撃とは、いかないのか……!」
 悔しそうに歯噛みする石田に、チャドは少し頷く。
「だが、あれだけのダメージを与えられるのなら、あと二回くらい繰り返せば勝機はあるんじゃないか?」
 尤もな発言ではあったが、石田は織姫を見た。
 案の定、彼女は小さく首を横に振る。
「ごめん。今ので、椿鬼たちもダメージを受けてるの。次に張る“四天抗盾”は、跳ね返す前に破られちゃうかも……」
「くっ……なかなか厳しいな……」
 よろりと立ち上がる石田にならい、二人も立ち上がった。
 せめて、と織姫は、石田とチャドに両掌を向ける。
「“双天帰盾”」
 傷が癒えていくのを感じながら、どうしたものかと二体の化け物を仰ぐ。と、そこで、チャドが愕然と呟いた。
「奴等の、傷が……!」
 彼等の目先で、折角負わせた傷が、めりめりと音を立てながら肌に隠されていく。超速再生といっても、いくら何でも速すぎだ。
「このっ!」
 “銀嶺弧雀”を化け物に向けるが、すぐに気付いた従獣はすかさず、口を開いた。赤黒い光が再び、集積される。しかも今回は、二体同時だ。
「あっ!」
「まずい!」
 今度は、織姫にかわってチャドが二人の正面に立ち、“巨人の右腕(ブラソ・デレチャ・デ・ヒガンテ)”の能力を引き出す。髑髏を模したような模様の入った、盾の形状に変え、全身に力を込めた。「防御」の力を担うこの腕でも、かつて虚圏に乗り込んだ際には、十刃のノイトラ・ジルガによって一刀両断されてしまった。しかし、あれから四年の月日が流れており、彼とて、一護の霊力が無くなったからといって、遊んで過ごしていたわけではない。皆の力になれるようにと、密かに特訓を続けてきた。
絶対に防ぎ切ってみせる。自分に宣言して、前髪の間から、従獣を見据える。
辺りが光に包まれたと、錯覚した。先ほどまで以上の閃光の大きさに、彼等は目を見張る。
「茶渡くん!!」
 二人に叫ばれた気がしたが、もう退けない。しかし、まだ受けていないにも関わらず肌に感じる、その閃光の力に、思わず目を瞑った。
「“月牙天衝”オオォォォオッ!!!!!」
 空に、声が突然響いた。
 あらぬ方向から飛ばされてきた恐るべき威力の月牙を受け、従獣は二体揃って横転する。彼等は今まさに放とうとしていた閃光を空に向けて炸裂させたが、簡単にかわされてしまった。
 響転で、三人の前に現れた破面。
「一護……!?」
 答えるでもなく、一護は背負っていた夏梨と、左脇に抱えていた遊子とを織姫の前で下ろす。
「遊子、夏梨。お前等はここで待ってろ」
「うん!」
「分かった」
 織姫を真っ直ぐ見て、言う。
「井上、こいつらを頼む」
 あまりに自然に喋る一護に、うっかり織姫は、彼が記憶を失っていることを忘れそうになった。呆けかかった自分を叱咤し、頷く。
「うん! 任せて!」
「さってと……」
 斬月を肩にかついで、彼は化け物二体を見上げた。
「こりゃまた、凄げぇの出してきたな、バートンは……。大丈夫か? お前等」
 あまり心配した風ではない問いかけにチャドは小さく肩を竦め、石田は眼鏡を中指で押し上げる。
「見ての通りだ。奴等に決定打は与えられていない」
「何より、あの鎧のような肌が固すぎる」
「なるほど。まぁ、難しいわな」
 一護は、眉を顰める。
 この従獣も、であった。この従獣も、間違いなく、偵察級ではなく襲撃級に分類される、攻撃型のものだ。一体二体に留まらず、既に、一護のところに来た従獣も含めれば五体で、恐らくクロサキ医院の周辺でルキア達が戦っている相手もまたそうであろうから、現世に送り込まれたのは合計六体だ。
 十体にはまだ満ちていないとはいえ、現世に自分がいなければ、恐らく現世を滅ぼす程度の力は有していたはずだろう。護廷十三隊の隊長格が総動員されればまた、話は別であろうが。
 おかしい、と思った。自分を捜す為だけにしては、やり方が荒すぎる。しかもこの従獣が受けている命令は、どうやら無差別で殺していくというものらしい。あぶりだすのだとしても、やはりやり方が荒かった。
(バートン……お前、何を考えてんだ……?)
 俺を殺そうとも、考えてるのか?
 息を吐く。どれだけ思考を巡らせようとも、今はまだ、何もわからない。
「兎に角、急いで片付けるぞ。朽木と阿散井も、結構苦戦してるみてぇだから助けねぇといけねぇしな」
「だが、急いで片付けると言っても……」
 チャドが言葉を濁す。
「いや、たしかに、茶渡が言いたいように、こいつら強えぇんだけどさ」
 苦笑いをして一護は髪を掻く。でも、と続けた。
「それでもこいつらは、俺らの『ペット』でしかねぇ」
 ブラウンの瞳が、剣呑に帯びる。思わず顔を引き攣らせた石田であったが、それほどに、彼からは力を感じた。
 一護は、斬月を構える。その斬魄刀と、先ほど一護の放った技を思い返して、そっと石田は呟いた。
「……“護る”ための力の使い方だけ、思い出したか……君らしいよ、全く」
 走り出した彼に、石田もチャドも続いた。


 クロサキ医院の前を通る道路に、突如として煙が舞い上がる。コンクリートに亀裂が奔り、ごく一般人が目撃したならば、超現象以外の何者でもない。煙が晴れると、黒装束の少女の姿が露わになる。真っ白の刀を地面に突き立て、それによりかかるようにして体を起こした。
「姐さん!」
 家の中から、コンが飛び出してくる。
「大丈夫だ! まだ行ける!」
 大声で答えることで、走りよってきそうな彼を止めた。今、コンが近くにきても、彼を護りながら戦えるような余裕はない。ならば、彼が無意味に傷つくことは避けるべきだ。残念ながら、コンで対応できるような相手でもない。
 震える足で立ち上がり、血と汗に塗れた己の顔を拭う。
(何なのだ、あの化け物は……!?)
 脳裏に、一太刀でそれを斃していた、一護の姿が蘇る。たしかに彼は今、破面の力を全面的に使用しており、かつて死神であったときよりも強い。しかし、たった、一太刀だったのだ。ルキアは、無意識のうちに従獣のことを甘く見ていたことを悟る。
「蛇尾丸――――っ!!」
 生き物の如く波打つ刀身で、従獣の首元を斬りつける。血は出るが、“攻撃された”ことに対するそれらの反撃の方が、
「ぐあぁっ!!」
「恋次!!!」
 ルキアや恋次の放つものより遥かに、力は大きかった。
 肩を鋭利な爪で切り裂かれた恋次が、そこから血がしぶくのを防ぐ為に手でおさえる。彼は、治療の鬼道は使えなかった。痛手を受けたことで動きが鈍くなり、従獣はここぞとばかりに猛進する。
「『初の舞・“月白”』!」
 一瞬で描かれた円から、白い光が空へとつき上がり、氷柱を生み出す。中で、従獣が固まっていた。
 地を蹴り、恋次のすぐ近くへと舞い上がる。
「無事か、恋次?」
「ああ、すまねぇ」
 二人の表情が、再び凍りつく。ルキアの袖白雪の能力による氷柱に、見る間にヒビが入っていく。
「卍解して、狒骨大砲撃ったほうが良かったか?」
 ぎこちない笑みを浮かべ、蛇尾丸を構えなおす恋次に、ルキアは肩を竦めた。
「たわけ。この程度の敵に、卍解な使えぬ。よく考えてみろ。こやつは、破面の『ペット』なのだぞ」
 氷柱の中が光り、そして、派手な音を立てて氷が消し飛ぶ。
 怒りからか、先ほど以上に目を血走らせた従獣が、こちらを見た。
「ま、それもそうか。じゃねぇと」
 不意に表情を改め、にらみつける。
「バートンって奴は、倒せねぇな!」
 二人の死神は、それぞれの斬魄刀を構えて跳ねた。
「翼を切って、地上戦に持ち込む!」
「おう!」
 瞬歩で従獣の背後にまわり、強固な鱗肌に覆われた翼の付け根に、全力で刀を振り下ろす。
液体が噴出し、従獣は叫びをあげた。ところが、あと少しで翼を切り落とせるというところで、太い尾が滅茶苦茶に振るわれてきた。
「がはっ!」
「ぐっ!!」
 ルキアは腹に、恋次は腰に打撃を受け、激痛にその場を離れる。続けざまに、化け物の口から白い閃光が放たれた。虚閃ほどの威力はなく、しかし虚弾よりは強力なものだ。
「“施嵐尾(せんらんび)”!!!」
 恋次が上空に向けて蛇尾丸を勢いよく突くと、刃節が離れ、二人の周りで刃が旋風の如く走り出す。蛇尾丸の刃で作られた竜巻に阻まれ、閃光はルキアにも恋次にも届かない。
 やがて閃光がやむと、天へと差し上げていた蛇尾丸の柄を握る手に力を込めると、周囲を踊っていた斬魄刀の刃節が再びつながっていき、元の姿に戻った。

 恋次は藍染らとの戦いの中で、自身の能力に最も欠けているのは、防御の力だということに気付いた。ただでさえ、恋次の斬魄刀は広範囲が攻撃できる分、隙も大きい。元十一番隊としては邪道ではあるかもしれないし、攻撃こそが最大の防御という教えも間違ってはいないと思う。しかし、全てを力で押し切れるほど、甘くもなかった。
『いいんじゃねぇの。お前、別にもう、十一番隊じゃねぇんだし』
 葛藤はあったが、相談した一角の答えは、あっさりとしたものだった。
『たしかに、その考え方は戦士としちゃ合ってるが、十一番隊としちゃ糞みてぇなもんだ。でも、お前は今は六番隊の……ああ、もう六番隊でもねぇのか。どっちにしろ、お前はもう十一番隊とは無関係だよ』
 面倒臭そうに、欠伸を噛み殺して、
『そうだろ? 阿散井隊長さんよ』
 隊長になってから、護るものが急激に増えた。友人であるとか上司であるとか言ってられず、今では彼は、加えて部下を護りたかった。
 護る為の力は、攻撃だけではない。一角に背を押されて、ようやく断言できることだった。迷いがあるのとないのとでは、鍛錬による効果が自然と違ってくる。そうして生まれた技が、“施嵐尾”だった。

「こいつらの強さ、反則の域だぜ」
 閃光を防がれたことが意外だったのか、従獣はどこか狼狽しているようにも見られた。
「なぁ、あいつの翼、斬る以外で落とせねぇか?」
 言われてルキアは暫し沈黙したが、袖白雪に視線を落とし、
「……できるかもしれぬ……いや、できる」
「よし。じゃあ、頼むぜ、副隊長殿」
 軽く言う恋次に、ルキアはわざとらしく顔を顰めた。
「五月蝿いわ、面白眉毛隊長殿」
 恋次は地上へとおり、ルキアは瞬歩でかき消える。
(背後では、すぐに翼を狙っていると感づかれる……ならば……)
 従獣の正面に現れ、純白の斬魄刀を横に流すようにして振るった。
「『肆の舞……“風白(しはく)”』」
 ルキアが斬魄刀から、一本ずつ指を解くようにして手放すと、袖白雪そのものが空気に溶けるようにして消えた。白い霞のようなものが、周辺に満ちる。その中で、螺旋状の白光の帯が流れ、風のように従獣の背後へ回り込んでいく。
「ギゥゥ!!?」
 大きな翼が、余すところなく凍り付けにされた。氷の内側では、着実に凍傷の範囲を広げている。

 ルキアは戦いの中で、自身の力に無駄が多くあることに気付いた。「初の舞・“月白”」「次の舞・“白漣”」は、使う際の霊力の消耗と、要する時間が大きい。「参の舞・“白刀”」も、刀が折れている時は相手の油断をつくことができるが、自在に刀身の長さを変えられたところで、使い勝手が良いとはいえない。鬼道を用いても、全体を通しては戦闘向けではなかった。
『刀身の長さ……ひょっとして、朽木の斬魄刀の霊質は、空気と似ているんじゃないか?』
 悩んでいた時、つい、ルキアは雨乾堂に出向いてしまった。幸い浮竹の病状も良くなっており、彼は快く彼女を受け入れてくれた。話をしてみると、彼はそんなことを、小首をかしげながら口にする。後ろを向いているので、表情は分からない。
『例えば、松本副隊長の灰猫は、刀身が灰になって霧散するっていう能力だろう? 朽木隊長の千本桜は、刀身が桜の形をした無数の刃になる』
 ずっとルキアに背を向けていた彼は、こちらに向き直ったかと思えば手元の湯呑みを彼女の前に差し出した。
『つまり、斬魄刀の能力っていうのは、斬魄刀自体の質によるんだ。朽木は、刀身が折れ飛んでも、すぐに“白刀”を使えば修復が可能だろう? それは、空気中の何かで刀身を形成しなおしている・ってことだ』
 それは、使い手の彼女が気付かなかった事実だ。否、当たり前のように「技」として使っていたからこそ、気付けなかった。
『その能力を最大限に引き出せれば、もしかしたら、大きな力になるんじゃないかな』
 分からないけれど、と付け足す浮竹であったが、彼の言葉には確信めいたものがあった。以降、ルキアは義兄の白哉の手助けなどを得て、最終的に新たな技を見出した。それこそが、「肆の舞・“風白”」であったのだ。

 翼が使い物にならなくなった従獣は、空中に留まっていられず、無様な落下を彼等の前で披露することとなった。よろつきながらも体を起こした化け物の正面に控えていたのは、恋次だ。
「終わりだ! 『咆えろ! “蛇尾丸”』!!!」
 渾身の力を込めて、彼は蛇尾丸を振るった。落下の衝撃で、まだ充分な体勢となっていなかった従獣の顔面に、いっそ可哀想なほど斬魄刀の刃が叩き込まれる。
「ギゥアアアアァァ!!!!!!!」
 絶叫をあげ、痛みに悶える。間もなく、従獣はその姿を薄れさせ、そして消えた。
 刃節を引き戻し、始解を早々に解くと、恋次は膝をついて肩で息をする。
「大丈夫か?」
 斬魄刀を鞘におさめたルキアが、上空からおりてきて彼に近づいた。顔を上げてみれば、尋ねてきた彼女もまた、負けないくらいボロボロだ。
「おめーこそ、大丈夫かよ」
「ああ。…………だが」
 彼女が、従獣の消えていった場所を見つめた。言わんとしていることは、恋次にもすぐ分かった。
「……勝ては、したけど。偶然勝てた・って感じだよな、正直」
「うむ………。正直、卍解を使っていても苦戦していただろう。あのような化け物が、一体ならず何体も虚圏にいると思うと、さすがに気が滅入るな」
「朽木さん、阿散井くん!」
 ふいに飛んできた声に、二人は首をひねる。
 走ってきたのは、まず織姫で、その後ろに石田とチャド、夏梨と遊子が続いている。
「大丈夫!?」
 言いながら彼女が二人に向けて手を出せば、ヘアピンから舜桜とあやめが飛び出し、ラグビーボール状の光で覆う。
「案ずるな。何とか斃せた。……一護?」
 ルキアが眉を顰めた。妙に歩く速度が遅いなと思えば、彼は両脇を石田とチャドによって支えられ、遊子と夏梨に何度も顔を覗き込まれているような状態だった。一護の顔色は、あまり良くない。
「どうしたんだ?」
 じんわりとした温かみを感じながら恋次が尋ねると、石田は小さく頭を振る。
「さっきまで、川辺で普通に従獣と戦ってたんだけどね。途中から妙に青白い顔してるから、変だとは思ってたんだけど、斃して君たちのところへ急いでる最中に、辛くなって止まったみたいなんだ」
「大したこと、ねぇよ……」
 顔を歪めてはいても抗議をする程度の意識はあるようで、そのことには安堵する。
 治療を受けているルキアに夏梨が近寄り、小声で言った。
「川辺って、お母さんが死んだとこなの。……多分、だからだと思う」
 嗚呼、と小さく声を出す。それなら納得がいった。生前も長いこと、母の死に関しては自責の念を抱き続けていた者だ。心の奥底で眠っていた記憶もまた、母の死んだ川辺でかすかに蘇ったのかもしれなかった。
「……朽木……阿散井……」
 かすれた声を出した一護は、ゆっくりと顔を上げる。光の奥で座っているルキアと恋次に焦点を合わせて、口角を吊り上げた。
「俺、ちょっと……進歩したぜ……」
 彼の腰に今朝まであった斬魄刀は、姿を消している。代わりに、身の丈ほどある斬魄刀・斬月を、背負っていた。

   *   *   *

 虚圏にある白い建築物内の、集会場。
 そこに、一人の破面の姿があった。彼の手の甲には小型の従獣が乗っており、それが現世で見てきたものを映像化し、壁に映し出しているところだ。
 彼等がここ数日、血眼になって捜しているナリア・ユペ・モントーラが、以前とは違う斬魄刀を携え、そして二人の人間の子供に、優しげに語りかけている。
【心配すんな。お前らのことは、俺が必ず護る】
 バートンは無言で腕を組んだ。彼の眉間には、深い皺が刻まれている。
 カツン、と床を足で叩く音がして、彼は映像を消した。
「バートン〜」
 集会場に入ってきたのは、ガレット・スミザーハースだ。
「どうした? ガレット?」
「ナリア、まだ見つからねーのー?」
 彼の顔は悲惨で、目の下の隈はとくに酷い。背中に遊び疲れて眠ったようであるユウをおぶっている。完全に、育児に疲れた父親の様だ。
「まだだ。……ちゃんと寝てるのか?」
「いやそういう優しい言葉かけてくれるなら、かわって! ユウの世話!」
「遠慮しておく。ロリに頼んだらどうだ?」
「やだ! それなら俺が世話する!」
「じゃあいいじゃないか……」
 含み笑いをするバートンに溜息を吐いて、淋しい足取りでガレットは来た方向へと戻っていく。彼はナリアを心配していて、折に触れて尋ねてくる。
 ガレットの足音が聞こえなくなってから、彼は無言で、掌の中に隠していた小型の従獣を、床に叩きつける。「ギゥ」と、情けないほど小さなうめき声が漏れた。躊躇わず、その従獣を真上から足で踏み潰す。もう死んだであろうに、幾度も、爪先を回す。バートンは、終始表情を変えなかった。

   *   *   *

 窓を通して、ぼんやりと浮かんでいる白いつきを見つめた。じきに夜が明ける。さすがに従獣との戦闘で霊力を消耗したからか、恋次もルキアも、起きる気配は一向になかった。少し横になっていただけで一護は回復したが、その点、やはり二人もかなりの激戦を強いられたらしかった。
 頭の後ろに手を組んだままベッドで寝ていた一護が、薄汚れた天井に視線を移した。多少の予定外はあったものの、墓参りから帰ってきてから、一心はクロサキ医院には戻ってこなかった。探査神経(ペスキス)を用いて捜すと、どうやら現世にはいないらしいことが分かった。自分の父親は、医者である前に何者なのだろう。それを、あの双子は知っているのだろうか。
 そして、一体バートンは何のつもりで……。
「……っ!」
 突如、霊圧が出現したので、思わず顔が強張った。しかし、極小であったので、大したことのない虚が出ただけのようだ。ホッと息を吐く。
 体を起こし、机に立てかけていた斬月をとり、背負った。床に視線を落とすが、毛布に包まった赤髪の死神は、延々と鼾をかいている。
 窓を開け、縁を蹴って外に出た。霊圧の出所を探りながら、夜空を駆ける。
(虚は、……っと。あいつか)
 まだほとんど人のいない商店街に、のっそりとした体躯の虚が見える。斬月の柄に手をかけると、刀身を覆っていた晒し布が瞬時に解けた。
 虚が、こちらに気付く。ゴム状の玉を、一護に向けて連射してきた。彼は落下しつつ、いとも簡単にその玉をかわし、斬月で顔面を叩き割った。
「ガァァァアァア……ッ!」
 叫びを残し、消えてゆく虚。妙な、気分だ。
 ふと、電信柱の陰に、一人の少年がいることに気付いた。整(プラス)の霊のようで、胸の「因果の鎖」は、かなり危険なところにまで短くなっていた。どうやら、先ほどの虚はこの少年を探していたようだ。
「よう。大丈夫か?」
 声をかけただけで、少年は体をびくつかせた。
「お……お兄ちゃん……誰……?」
「俺か? 俺は、ナリ」
 ――――黒崎一護
「……、いや、別に、誰でもねーよ。それより、お前どうしてこんなとこいんだ? 成仏しねーと、さっきのバケモンみてーになっちまうぞ」
 少年は、弱弱しく顔を俯かせる。
「僕……事故にあって……おねえちゃん、いなくて……それで……」
(……事故……?)
 何か言葉にひっかかりを覚え、しかし平静を装い、微笑する。
「多分、そのお前の姉ちゃんは、先に向こうに行ったんじゃねぇか?」
「そう、かな……」
「きっと、姉ちゃんも向こうで捜してんぞ。お前のこと」
 不安そうに見返してくる、少年の瞳には、見覚えがあった。いつ、何処でなどと覚えてはいないが、こう言えばいいのだ。
「大丈夫。尸魂界は……こわいとこじゃねーから」
 尸魂界のことなど、欠片も思い出してはいない。しかし、何となくあそこは、自分達破面とは違い、彼等にとっては決して危険な場所ではないように思えた。
「ありがとう……お兄ちゃん」
 心底安心した様子の少年が、薄く、輝き始める。
 少年が空を見上げて目を閉じると、消えてしまった。尸魂界へと、自ら旅立ったらしい。
(……こんな、風に……俺は死神代行をしてたのか?)
 天を仰いで、消えた少年を捜すように視線を動かす。記憶を同じように巡らせても、何も合致しない。魂は覚えているというが、脳は知らないと信号を発する。どちらを信じるのかといえば――言うまでも無い。
「……早く、思い出してぇなぁ……」
 呟く彼の声は、何処となく、捨て犬の遠吠えに似ていた。

   *   *   *

 尸魂界の隅々に、警鐘が鳴り響く。
 斬魄刀を携えた死神達が、瀞霊廷中に溢れかえるようにして現れる。全ての隊士が外に出てくると、驚くほどの人数だ。
 カンカンカン、と屋根の上を走る死神がいる。下にいる死神達に気付かれる前に、その姿を消した。
 堂々と、道を疾走する、二人の死神がいる。彼等は、隊士を傷つける気はないらしく、斬魄刀を抜かずに鬼道ばかりを用いた。
 大量の隊士の猛攻をかいくぐって、走り続ける二人の死神がいる。彼等は、現状にただ顔を顰める。そこへ、大きな影が覆いかぶさる。
 方々から、刀を交える音が聞こえてくる。爆発音。電気の、弾ける音。
 瀞霊廷を包んでいたのは、驚愕と緊張の空気だった。




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