Beginning is ZERO of number.3



 ガレットの科白に、一護は放心してから、まるで子供のようにぶんぶんと、激しく首を横に振った。
「冗談じゃねぇ! 何で俺が!」
「知らねーよ、俺じゃなくてバートンに言え」
 バートン=ヒャド・レニツァは、彼等破面のリーダー格で、他の者とは比にならないような大きい霊圧の持ち主だった。彼に逆らえば、間違いなく殺される。そんな強大な力を有している。
 しかし、バートンは破面を大切にしてくれ、皆からも信頼されていた。ゆえに、わざわざ逆らおうと思う者もいない。
「大体、尸魂界に行くって、俺を殺す気か!?」
「いや、バートンはお前のこと買ってるし、実際かなり強ぇーじゃん。大丈夫だよ。多分」
「超他人事だな。すげー腹立つ」
「おっと」
 投じられてきたクッションをかわす。一護はガレットにそれが当たらなかったことに対し、盛大な舌打ちをしてからベッドの上に寝転んだ。どうやら今日の彼は、随分虫の居所が悪いらしい。
「んだよ。らしくねーな。ナリア、死神が怖ぇのか? 実力はどう考えても、お前の方が上だろ」
 たしかに自分一人でも、尸魂界を半壊させる程度は訳ないだろう。死神の隊長格にも、少なくとも引き分けるくらいの力を持っていることを、一護は自覚していた。しかも今回は、尸魂界側の戦力を分析するための偵察だ。ある程度のことが分かれば、ささと帰ってくればいい。現世のときなど、霊圧のある人間を、探査神経(ペスキス)を研ぎ澄まして何人いるか確認するためだけに出向いたのだ。実際は、少々邪魔が入ったが。
「現世のときは、ユウにせがまれたから仕方なく行っただけだ。尸魂界にはガレットが行ってくれよ」
 元々、虚圏からわざわざ外に出るのは面倒だった一護は、現世の偵察も他の者がやればいいと考えていた。しかし、ユウが「現世を見てみたい!」と騒ぎ始め、終いには一護にすがりついて泣き始めたので、仕方なく「自分が行く」と名乗り出たのだった。
 しかし、今回は多分、わざわざ選びなおすのが面倒になったのだろう。バートンは迷うことなく一護を指名してきた。ガレットは、これを伝える為に彼の部屋にやってきた。それがバートンからの命令だった。
「え、何、俺にバートンに逆らえって言ってんの? 尸魂界に行く前に、俺の命が尽きるよそれ?」
 尸魂界に偵察で行くこどがユウの耳に入れば、あの少年は新たな世界の見たさに、一護と一緒に行くと言い出して聞かないだろう。だが、子供のユウを連れて行くには、現世はまだしも尸魂界は危険すぎる。
 少年が他の破面達とホールで遊んでいる間に、何とか話をつけなければならない。
「…何でそんな渋んだよ? ナリアはバートンの命令なら、文句言いながらでも従ってきたじゃねぇか」
「あ〜もう、分かったよ!」
 ガバッと体を起こし、一護はヤケクソ気味に叫んだ。
「分かったよ! 明日とか明後日には、必ず行く! それでいいだろ!?」
「そ…そんな怒んなよ…」
「怒ってねぇ!」
 どう見ても怒っている一護に、困り顔で頭を掻いた。何故彼が、ここまで尸魂界に行くことを嫌がるのか、ガレットには理解できなかった。どんな敵でも臆するような性格ではないはずだ。
 一護は再びベッドの上に体を倒すと、ガレットに背を向けて目を閉じた。
「……現世から帰ってきて、まだ一睡もしてねぇんだ…少し寝かせてくれ…」
 寝不足で機嫌が悪かったのか。
 ガレットは納得し、謝ってから彼の部屋を後にした。
 一人になった一護は、まるで周りからの騒音から逃れるように、両手で耳を塞ぐ。
(…うるせぇよ…)

『ど…どうしたのだ、一護?』

 ――――“イチゴ”って、誰だよ。

『行かせねぇ!』

 ――――どうして、敵である俺の肩を、あんな風に掴んだんだ。

『私は貴様を、絶対に許さぬっ!!!』

(……うるせぇっ…!!!)
 何も見えなくていい。何も聞こえなくていい。
 一護は現世で、あの死神二人に出会ってからおかしくなった。頭に、気を抜けばあのときの女と男の顔が浮かび、耳にはその声が聞こえてくる。
 何か、嫌な予感がした。
 自分が尸魂界に行ったら、確実に自分の何かが壊れるような気がした。無性に怖かった。今の自分がわからなくなりそうで、それだけは嫌だった。自分は破面。虚圏にいて、死神の敵。確固たる自分の像が、揺らいでいきそうで、それだけに恐怖した。自分が分からなくなるほど怖いものはないと、一護は思っている。
 自分の甘さに、腹が立った。殺してしまえば良かったのだ。あの、黒く長い髪をした、小柄な女の死神も、赤い髪を結った、目つきの悪いあの男の死神も。
 殺してしまえば、自分はきっと、こんなに悩んだりしなくて済んだ。自分はきっと、おかしくならなくて済んだ。
(――――違う…)
 ふと、そんな考えを否定する自分がいた。
 悩みは、しない。だけど、殺したら、多分…
(…後悔……した…?)
 何故、敵を斃して、後悔する必要がある?
(………頼むっ…もう…)
 固く、目を瞑った。両耳を、もっとしっかり塞いだ。
(もう…入って、こないでくれ…)
 頭の中から、死神の姿を消し去りたいと、心から思った。

   *   *   *

 場所は浦原商店。その奥にある居間で、浦原喜助は巨大な鞄に、あれやこれやと様々なものを入れていた。
「よっこいしょっと…こんなもんスかねぇ…」
 現世に腰を落ち着けていた期間が長かったせいで、持って行くべきものは膨大な量だった。しかし彼は研究者であって、それに関わるものはすべて持っていくべきだ。中途半端な量のものを持っていくと、かえって面倒なことになってしまう。
「…テッサイたちにここを任せるのは心苦しいっスけど…仕方ないっスねー…」
 何気なく畳に触れた。
 “浦原商店”は、これまで自分の帰るべき場所であった。そこを離れることになるのは、少々淋しい気もする。
 そのとき、ガラガラと引き戸が開かれる音がした。お客が来たという証拠だ。
「あ、すいませーん、今出まーす」
 大声を出し、立ち上がる。
 最後に相手をするお客は、どちら様かな。
 そう思って店に出て行き、浦原は目を丸くした。
「阿散井サンじゃないっスか」
 恋次は浦原を見据えたまま、口を開いた。
「…俺を捕らえろって…尸魂界に言われたりしてるか」
 その話は、ルキアと恋次が無断で現世に来たときから、尸魂界に言われていた。先手を打ったのだ。だが、今はまだ、浦原はただの「しがない駄菓子屋」の店長だ。ヘラリと笑って、返す。
「い〜え、なーんにも」
 恋次がホッと息を吐き、肩から力を抜いた。どうやら、浦原に少しでも自分を捕らえるという意志が見えたなら、すぐにでも逃げようと構えていたらしい。
「それで、ご用件は?」
「一護が死んだのは知ってるよな」
「ええ。勿論」
「その魂魄が行方不明になってたのも?」
「一心サンから聞きました」
「じゃあ…」
 仮面で右目を覆っていた、一護を思い出す。
「…一護が、破面になってるのは…知ってるか?」
 浦原が訝しげに眉を顰めた。
「…破面? 黒崎サンがっスか?」
 恋次が難しそうな顔をした。
「いや…実際、破面なのかは…分かんねぇ。だけど…破面にしか、見えなかった」
「…割れた虚の仮面が、黒崎サンの顔に残っていた…と?」
「ああ…」
「それ以外に何か違ったことは?」
「斬魄刀も斬月じゃねぇのを持ってた。でもあれは…ぜってぇ、一護だ」
 もしそれが本当なら、整(プラス)が破面になった、ということだ。
 だが、まずその経過だけで、半年近くの年月を必要とするはずだ。まず、整が虚化し、虚圏にて多くの虚を喰う。しかも一護の外見に、仮面や斬魄刀以外の変化がとくになく、そのものであったとすれば、最上級大虚(ヴァストローデ)の状態で仮面を外し、死神の力を手に入れたということになる。最上級大虚になるには、弱肉強食の世界である虚圏で虚の喰う量は、実に数万を超える。短期間のうちにそこまで成長できるはずがない。
 しかも、最上級大虚から破面へと、完全なる進化を遂げるには、必要なものがある。
「……妙っスねぇ…」
 浦原が手を顎に当てた。
「一つに、黒崎サンが亡くなられてからまだ日は浅いことと…もう一つは、虚が短期間で破面化するしろ、長期間で破面化するにしろ、完全なそれを遂げるには、『崩玉』が必要ということっス」
 ハッとする。たしかに、『崩玉』がなければ、あそこまでの破面が生まれることはできないはずだ。
百十年前浦原が、平子達の虚化を解く為に開発した『崩玉』は、死神と虚の相反する魂の壁を取り払うことで、死神、もしくは虚が本来の魂の限界強度を超えた強さを手に入れられる、というものだ。ゆえに、四年前藍染が『崩玉』を手に入れて以降、破面の完成度は異常なまでに高まった。それまでは未完成な破面が多かったが、それを凌ぐほどの強さをもつ新たな者達が生まれた。だからこそ、数字を持つ破面から選抜された、殺戮能力に優れた成体破面の軍団・十刃(エスパーダ)は、『崩玉』によって生まれた破面達に立場を逆転させられるという事態が発生した。恐らく、十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)は、藍染が『崩玉』を手に入れる以前に生まれた破面達だ。
しばし沈黙がおりると、浦原は自分の顔を扇子でパタパタと扇ぎながら、踵を返した。
「こんなトコでお話するのも何ですから、あがっていきますか?」
 恋次は一瞬迷ったものの、何かこれで新たに情報が得られたらと思い、頷く。
 浦原商店の奥にある居間に入り込んだ。
 すると、彼は訝しげに眉を顰めた。居間の隅に、巨大な鞄とダンボール箱が二つ置いてあるのが目に留まったからだった。
「それじゃ、ちょっと『崩玉』の資料見てくるので、待っててください」
 スタスタと居間を後にする浦原。
 恋次はちゃぶ台の前に腰を下ろし、斬魄刀を鞘ごと抜いて脇に置いた。
 少し遅れて、浦原商店の店員である紬屋雨(つむぎやウルル)が、湯呑みをお盆にのせて入ってきた。
「…どうぞ…」
 彼の前に、緑茶の入ったそれをコトリと置く。
「おう、悪りぃな。…」
「いえ…」
 雨は四年で髪がかなり伸びていたが、相変わらずそれをツインテールにしていた。特殊な形の前髪も健在だ。
 会釈すると、お盆だけを持って立ち上がる。
「お…おい」
 出て行こうとする彼女を、慌てて恋次が呼び止めた。
 雨は不思議そうな顔をして振り返る。
「このデケェ鞄とダンボールはなんだ? なんか散らかってるし…片付けでもしてんのか?」
「あ………、えと……それは……」
「お待たせしましたぁ〜!」
 雨が答えようとしたとき、浦原が居間に戻ってきた。
「あれぇ、雨、こんなトコで立って、どーしたの?」
「……いえ…なんでもないです…」
 ペコリ、と頭を下げると、雨は居間からいなくなった。
 浦原は恋次の正面に腰を下ろす。
「さて…『崩玉』のことっスけど、やっぱり藍染サンが中央四十六室で裁かれたあと、王土の方に持っていかれたらしいんです」
「王土!? ってことは、王属特務にか!?」
「ええ。護廷十三隊でどうにもできないものをどうにかするのが、王属特務(あちらさん)の仕事でもありますからねぇ」
 スッと浦原が瞳を細めた。
「ですが…その王属特務の力を以ってしても、『崩玉』の破壊は失敗に終わったみたいっス」
 汗が流れた。
 一護のことを聞きにきてみたら、とてつもない話になってきている。
 ピッと浦原が指を立てた。
「そこで出てきたのが、“霊王”っス」
「“霊王”…!?」
「はい。破壊が無理ならと、“霊王”が直に封印を試みた。結果、四年間かけてその封印は成功し、王土の奥深くに『崩玉』は眠ることになりました。……が…」
 恋次は湯呑みに入っていた緑茶を一気に呷った。苦い味が、口中に充満する。
「『崩玉』の封印によって、“霊王”は多大な消耗をすることになったんス。“霊王”がいなくなれば、尸魂界は崩壊します。そこで、今回一心サンが、急遽尸魂界に戻るはずだったんスよぉ」
 眉間に皺を寄せる。
「…一心って、一護の親父だよな? 親父が死神だった・って話は前にも聞いたけど、何だってそうなるんだよ?」
「それは彼が、零番隊隊長だからっス」
 静寂が訪れ、恋次はぽかんとした。
「…えーと…なんだって?」
「零番隊隊長なんスよ。一心サンは」
 予想しなかった情報が入ってきて、彼は完全に混乱していた。零番隊隊長というと、王属特務のトップということだ。一護の父親が、そんな力を持っていたのか。
「…驚くのは無理もないと思いますが、アタシにも時間がないので説明しちゃいますね。“霊王”が不安定である以上、王属特務はこれまでより更に色々な不安を強いられることになります。だから隊長である彼に戻ってくるよう要請し、一心サンもそれを承諾していた。……ところが、その矢先に、黒崎サンがお亡くなりになられたんス」
 唾を飲み込む。恋次は、緑茶を飲もうと湯呑みを持ち上げたが、中は既に空っぽだった。
 浦原が、帽子を手でおさえながら、溜息を吐いた。
「とてもじゃありませんが、偶然にしてはあまりにもタイミングが悪すぎます」
 帽子の下から、獣のような鋭い瞳を覗かせる。
「黒崎サンの死、そして破面化には、何かもっと特殊な力が働いている……と考えるのが妥当なところでしょう」
 その言葉に、恋次は気を引き締めなおした。
「記憶…は、ありませんでしたね?」
 まだ言っていないことをピタリとあててみせた浦原に、驚く。
「阿散井サンの顔見れば、そんなことすぐ分かりますよぉ」
 笑って言う彼を不快に思いつつも、恋次はペタペタと自分の顔を触ってみた。
「その、記憶がないというのも、ただ破面となる過程で、流魂街に行く過程と同じように記憶を失うことになるのかもしれません。ですが、もしかすると何者かが故意に記憶を消した…とも考えられます」
 頷き、恋次は口を開こうとして、「店長!」という声に遮られた。
 襖が開かれ、浦原商店の店員であり、かつての鬼道衆である握菱鉄裁が頭を下げた。
「そろそろ…」
「ああ、そーっスね…」
 ゆっくりと立ち上がり、あの巨大な鞄やダンボールの方に向いた。
 恋次は首を傾げながら言う。
「どっか…行くのか?」
 動きを止め、浦原は彼に向き直ると、申し訳なさそうに俯いた。
「…実は…この度、尸魂界に戻ることになったんス」
「なんだそりゃ!? 聞いてねぇぞ!!?」
 自分を捕らえる気もなく、絶好の相談相手であることは確かだ。それに彼はとても鋭い。心強い味方と、つい先程まで考えていた。
「すみません。アタシも驚いてるんですけど…実を言うと、行く隊にもちょっとあまり関わりがないもんで、抵抗はあるんス」
「……どこ、だよ?」
 少し間を置き、静かに口にした。
「…十三番隊の、隊長をやることになったんです」
「はあ!? 十三番隊って…浮竹隊長に何かあったのか!?」
 病状が酷くなったのかと、恋次が嫌な予感をしながら叫ぶ。
 浦原は、肩を竦めた。
「その、浮竹隊長が……零番隊に昇進するらしくて、退位することになったんですよ」
 恋次は、自分が知らないうちに尸魂界にも色々なことが起きていることを知り、ショックを隠せなかった。
 そして、その尸魂界に、また一騒動起こるとは、予想だにしなかった。




前へ 次へ

目次